画像

浄土真宗とシェイクスピア~No.1~ 【太田 幸典】

信仰は浄土真宗本願寺派などといいつつ、私は親鸞聖人のこと、浄土真宗のことについて知識がない。
よって、山伏弁円による親鸞聖人暗殺未遂事件を知ったのも、つい最近のこと。
この一大事件のことを知ったとき、とっさに思い出したことがある。

10376455_642470589182968_834310646_oそれは、なぜか『ハムレット』の一場面であった。
ハムレットが伯父のクローディアスに対し仇討ちをしようとする「あの場面」なのだ。
ご存じのように、この場面でハムレットは結局、クローディアスを討つことなくストーリーは展開する。このとき、クローディアスはひとり、神に祈りを捧げていた。クローディアスが父親殺しの犯人だと疑ってやまないハムレットにとっては願ってもない場面だ。しかし、祈りを捧げるクローディアスに対しハムレットは、この瞬間に仇討ちをすれば彼が天国へ行ってしまうことをきらい実行にうつすことをためらう。
実際にこの場面を上演する場合、クローディアスの演技が特に難しく鍵となる。国王としてのnobleさ(気高さ)が祈りの姿からにじみでなければ、ハムレットに暗殺をためらわせるには至らない。クローディアスのうしろ姿から神に通じる何かを観るものに感じさせなければならないからである。

話を弁円による親鸞聖人暗殺未遂事件に戻そう。
山伏弁円による親鸞聖人暗殺の場面に関しては史実をまったく知らないので自分なりに想像をしてみるのだが、恐らく、弁円が乗り込んできたとき、親鸞聖人はお念仏を申されていたのではないかと思うのである。
つまり、「南無阿弥陀仏」の六字の結びつきの強さ、親鸞聖人とお念仏の一体感といってよいだろうか、そうしたものに弁円は圧倒されたのではないかと思うのである。厳しい修行を経験した弁円ならではの直観、研ぎ澄まされた感覚によるためらいがあったと想像するのである。親鸞聖人と山伏弁円という一対一の人間同士のぶつかり合いなら暗殺は決行されたのかもしれない。
しかし、親鸞聖人とお念仏となれば、弁円さんにとっては分が悪かったのではないだろうか。
そして、この場面を舞台化するならば、親鸞聖人の演じ方がとても難しいことはいうまでもない。

浄土真宗とキリスト教では、互いに相容れないものがあるのは当然だが、「お念仏」「祈り」というひとつの宗教的行為において何らかの共通点を見いだせるのではないかと思ったのだ。

*これはあくまで筆者の個人的見解です。ご注意ください。

【執筆者はこちら】

「あとつぎ」と呼ばれて 【小林 智光】

-火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに
 ただ念仏のみぞまことにておわします-
(歎異抄)
私、小林はお寺生まれのお寺育ち。
姉と妹に挟まれた「真ん中長男」でしたから、生まれた時点で
『跡継ぎ確定』
として育てられました。
小さい頃から
「あなたはお寺の跡取りなんだから」
と周囲から色々と手をかけてもらい、お育て頂きました。
しかし反抗期が長く、京都の大谷大学を卒業した後も大学院に進んだり就職したり。
とにかく「いかにしてお寺に帰らないで済むか」の作戦をあれこれと練ってばかりの不届き長男でした。
しかし結婚を機に自坊に帰ることになり、法務の日々を過ごしておりました。
そんなある年の秋のこと。
とてもご縁の深いご門徒さんが亡くなりました。
とても明るい方で、私はもちろん、ご近所からも愛される声の大きなバアちゃんでした。
息子さんからご連絡を頂いた時、ホントに「えええっ!」っと声が出ました。
そして枕経を勤める為にご遺体に向かい、お顔の白布を取った途端涙がポロポロとこぼれました。
今にも例のデカい声で喋り出しそうなお顔。笑うと下がる目尻…
昔から可愛がってもらい、私も「智ちゃん、智ちゃん」と言って可愛がってくれたこのバアちゃん…。
言葉が出ませんでした。
お勤めをしようと思ったのですが、声がつまってお勤めになりません。
お通夜の席でも法話で何をお話したら良いのか、言葉が出てこないのです。
何だか「命は尊いものです」みたいな当たり障りのないお話しかできませんでした。
そして不思議なことに、お念佛が出てこないのです。
いつもなら「ナンマンダブツ、ナンマンダブツ」と口から出てくるのに、この時ばかりは一向にお念佛が出てこない。
何だか自分のお念佛が「嘘っぱち」に思えてしまったのです。 「アンタのお念佛は本物か?」と故人が声なき声で語りかけてくるような気がしたのです。
いや、お念佛は「嘘っぱち」ではありません。歎異抄にもあるように、『ただ念仏のみぞまこと』であって、「私」自体が「嘘っぱち」なのです。
いや、でもそれなら「嘘っぱち」の自分から出てくるお念佛は本物なのかどうなのか…
とにかく頭がグルグルグルグル。
お通夜も葬儀も何とか勤めました。
そして全てのお勤めが終わった時にあるご門徒さんが声をかけて下さいました。
「悲しいけど、○○さん、アンタにお経読んでもらってとても喜んでると思うよ。私の時も頼むわぁ」
と言って下さいました。
10474547_683688638353346_389574804_n時々、お寺の世襲に関して批判的なご意見を頂くことがあります。
「お寺の人間でないからわかる視点もあるのだ」
「生え抜きだとお寺があることが当然に感じられて変えていくという意識が云々」
私は上記の一件があってからというもの、自分のような坊さんでも喜んで下さる方がいることに、大変有難さを
感じるようになりました。お寺生まれのお寺育ちだから「お寺ありき」の発想しかできないかもしれない。
色々な社会事情の中でお寺は窮地に立たされ続けるかもしれない。
それでも「やっぱ自分の菩提寺さんにお経読んでもらうのが一番うれしいわぁ」というご門徒さんがいるのなら、苦しい時は苦しいまま、
辛い時はつらいまんま、手を合わさせてもらおう。
それと、ふと思いました。
自分が逆の立場だったらどうなんだろう。
見知らぬ「おエライ様」の電報より、よく知った人の「ナンマンダブツ」が嬉しい。
美しいセレモニーの祭壇より、近所で採れる季節のお花が嬉しい。
(…世襲もいい面があるんじゃね??)
そんなおセンチなことを考えていた、世襲坊主のひとり言でした。
ありがとうございました。
南無阿弥陀仏

【執筆者はこちら】

「あとから見てね」 【三浦 まゆみ】

10458205_541920439247107_6912057226245829389_n西順寺では、毎朝のお朝事に、真宗聖典を少しずつ拝読しています。そして、10分ほどの解説をします。毎朝来てくださる方々のおかげで、私たちも毎日お聖教の言葉にふれることができています。
今朝の拝読は『蓮如上人御一代記聞書』59、
一 「皆ひとのまことの信はさらになし ものしりがほの風情にてこそ」。近松殿の堺へ御下向のとき、なげしにおしておかせられ候ふ。あとにてこのこころをおもひいだし候へと御掟なり。光応寺殿の御不審なり。「ものしりがほ」とは、われはこころえたりとおもふがこのこころなり。

ちょっとわかりにくいところもあるのですが、
意味は、
「だれもみんな、まことの信はさらさらいただいていないのに、いかにもよくわかっているという顔ばかりである」たぶん蓮如上人のお作りになられたこの和歌を、蓮如上人の息子さんである近松殿(蓮淳、光応寺殿も同一人物)が、大阪の堺へ向かう時に、長押(なげし、ふすまの上部)に押して貼り付けて、あとでこの意味を考えなさいと言われた。 近松殿にとって、このことがはっきりしていないことだった。「ものしりがほ」とは、私は心得ていると思っている、そのこころである。

そういうことだと思います。

ふと思ったのは、蓮淳さんは、部屋のどちらの長押にこの言葉を貼り付けて行ったのだろう、ということです。

a,正面つまり主の真上に貼ると、主には見えません。下座から見ている人々に見えます。

b,主から見て人々の真上に貼ると、主からは見えますが、下座にいる人々からは見えません。

c,左右にはるとどちらからも見えます。

cの場合は、主客共に語り合いながらこれを見るのですから、わかりやすいです。
bの場合はちょっと複雑です。下座にいる人々が「ものしりがほ」ということになるのでしょうか。蓮淳さんは、上に貼りつけた言葉と、人々の顔を見比べながら座っていて、あとから見ておきなさい、と言ったことになるでしょうか。
わからないのは、aです。下座から見て蓮淳さんの真上にこの言葉がありますから、「ものしりがほ」は、他ならない蓮淳さんということになります。あとから考えてごらんなさい、と言われても、困ります。

私は、aだと思います。bだと、相手をそう見ていた、ということになります。浄土真宗の言葉は、決して相手を向かってお説教するのではなく「自督(じとく)の言葉」であって、他ならない私自身がそのものである、という言葉に特徴があります。こうやって話をしている私自身が、本当はわかっていないのに知ったかぶりして話をしている、という懺悔であり、遠くからはよく見えないかもしれないから、私がいないときによく見てください、ということではないかと考えます。

皆さんは、どう思いますか?

【執筆者はこちら】

我が一人子として 【平野 正信】

前回、もうすぐ生れてくる子供に名前をつけたというお話を掲載していただきました。
あれから少しして、つれあいが出産してくれて、明法(あきのり)が生れてくれました。

私は大阪で仕事、つれあいは長野の実家で出産、ということもあり、出産に立ち会えるか立ち会えないかは微妙なところでしたが、運良く休み中に陣痛がはじまり立ち会うことが出来ました。
立ち会えて良かったと思います。

男性の中には、立ち会いは「こわい」「あまり立ち会いたくはない」と言う人がいますし、そういう気持ちもわからなくは無いです。いや、実はとても良くわかります。

なにせ修羅場です。今から激痛に耐えるつれあいを見なければならない。励ますこと以外は何も出来ない、というのは確かにこわいのです。

でも、是非これからという人は、パートナーが望む場合は立ち会ってほしいと思います。
私達男性はこわいだけ、女性はこわいどころの騒ぎじゃなく、今から実際に体験するのですから。

陣痛のタイミングに合わせ、つれあいが苦悶の表情でいきみます。何度も何度も何度も、朦朧と激痛を繰り返す姿はとても痛々しいものでした。

そんな中、最後に産声が聞こえ、明法(あきのり)が誕生しました。
はじめて明法の泣き声を聞いた時はとても感動しました。

翌日は何故か僕も色々なところが筋肉痛になっていました。
それだけ力んでいたということなんでしょう。
しかしまたここからが大変でした。

出産から数日間、つれあいは生れたばかりの赤ちゃんと一緒に過ごすことが出来たのですが、数日後つれあいは40度を超える高熱を出して倒れてしまったのです。
産褥熱(さんじょくねつ)という病気で、出産後の感染症でした。
即入院でした。

明法はつれあいの実家で世話することになりました。
入院翌日、熱はあるものの少し楽になったとのことで、私はつれあいの身の回りのものを持って病院に見舞いに行きました。

「少し楽になったようだし、育児のつかれもあるだろうから、今は育児から離れてゆっくり休めばいい」
と声をかけると、つれあいはポツリと

「あっくんに会いたい」

と言ったのです。
そして今まで見たことの無い寂しい表情をしました。

10329274_544263962348595_1977373831888232437_n十月十日、おなかの中に一緒にいた明法、生れてからは寝かしつけおむつをかえ、乳も飲ましてひと時も離れることがありませんでした。
飲まれなくても胸は張ります。入院当初、検査結果が出るまでは、せっかくの母乳を捨てなければなりませんでした。

私がつれあいにかけた
「今は育児から離れてゆっくり休めばいい」
という言葉は、私は優しさのつもりでしたが、つれあいにとっては残酷な言葉であったかもしれません。

つれあいは休みたいのではなく、この手に抱いて、世話をして、乳をやりたかった、明法に触れていたかったのです。
私はこの時、ある御和讃(ごわさん)を思い出しました。
浄土和讃(じょうどわさん)の

平等心(びょうどうしん)をうるときを 一子地(いっしじ)となづけたり
一子地は仏性(ぶっしょう)なり 安養(あんにょう)にいたりてさとるべし

という御和讃です。

一子地とは、菩薩(ぼさつ)が一切の衆生(しゅじょう)を我が一人の子として慈しんで見ることが出来るという境地です。

つれあいは明法を一人子として見ています。
そして、慈しみと同時に、今つれあいは悲しみ、寂しさの中にいるのだな、と思いました。

 

つれあいが
「一子地って何?」
と聞きました

「あなたが明法をおもうのと同じ気持ちで、全ての生きとし生けるものを見ることが出来る、菩薩様の心のことだよ」
と答えました。

つれあいは少し押し黙って
「そっか、…それは私には無理やなあ」
と言いました。

私も同じように思いました。
一人子と離れることの辛さに打ちひしがれ、一人子を心配してたまらない気持ちになっているつれあいを見ていると、全ての生きとし生けるものを、これ以上無いほど大切な仏の子と思いやってくださっている仏様は、一体今までどれほど悲しんでこられたのかと思ったのです。
仏様の慈悲はやさしさ、ただただ嬉しい気持ち、と思っていた私は、ハッと気付かされた気がしました。
離れ離れにされた母子のように、救いたいと必死によびかけてきた数知れない衆生が、また命つきては輪廻の中に埋もれていく。
それを阿弥陀様はどれほどの悲しみで見てこられたのか。

「あなたを救いたい」とずっとよびかけてきた呼び声が、そのものの生涯の間にとどかなかった虚しさは、どれほどに寂しいお気持ちであったのでしょうか。
数日経ち、血液検査の結果も出て熱も下がり、つれあいは退院することが出来ました。
そして、少しの間離れていた我が子を、また抱くことが出来ました。

この時の「よかった」という気持ちは、私がお念仏申すとき、阿弥陀様が私に向けてくださる気持ちと似ているのかもしれないな、と思いました。

「ずっとよんでいたよ
よかった
南無阿弥陀仏をやっとうけとってくれたね
よかった」
私をおもって悲しみ続けてきてくれた阿弥陀様が、今やっと私を一人子として抱きしめて、よろこんでくださっています。

お念仏をいただくとは、仏様に抱きしめられることなんだ。
そのように味あわせていただくご縁でした。

【執筆者はこちら】

 

「あるがまんま」と「このまんま」 【高蔵 大樹】

大ヒット上映中!アナと雪の女王を見ました。

image素敵でした。歌がいいですよね。ついついくちずさんでしまいます。

ありのーままのーーすがたみせるのよーーー。ありのーままのーじぶんになるのー。

あるがまんまで生きる事。本当に大切な事なんでしょうね。

人間だけがあるがままを忘れて生きているとの話を目にした事がありますが。自分自身無理しがちで、カッコつけたがりなので、ほんまだなぁと思います。

よけいなものにとらわれずあるがまんまで生きてゆきたいです。ありのままで。

ところで、
仏の願いはそのまま。私の願いはわがまま。という法語があるんですが。

先日、法話で「そのまんま」と「このまんま」は違う。という話を聞きました。

「そのまんま」と「このまんま」は違う?

わかるようなわからんような、わからんような、わからんような、結局わからん話ですが。

そういわれて、振り返ってみると、私の思う「あるがまんま」は悲しいかな、「あるがまんま」ではなかったような。私の思い通りであってほしいという「このまんま」であったような、そんな気がしました。

あるがまんま、と言いながら、このまんまから離れようとしない、ままならない、ワガママな私のすがた。

時々刻々うつりかわる私。
揺れ動いて、流され流され、流されつづける私、、

寝る私。真面目な私。忘れる私。怒る私。笑う私。泣く私。卑屈な私。傲慢な私。几帳面な私。めんどくさがりな私。わがままな私。明るい私。暗い私。成功した私。失敗した私。隠したい私。

今の私が、ほんとのワタシ。であるならば、「このワタシ」以外の私はわたしじゃない?

ぐるぐるしてきます。

都合の悪い私は、わたしじゃない方がそりゃいいのですが、、、

image仏法にであい、
真実の光にてらされて、うかびあがる我が身の真実は、わたしにとって都合のいいものばかりではありません。

目を背けたくなるような、おぞましい私の姿もあったりします。

その私のおぞましい姿を知り、悲しみ、そんなどうにもならないお前こそ必ずすくいとるぞ、と呼つづけはたらき続ける仏様の呼び声は、

おぞましいままならんこの身こそを「そのまんま」ゆるして引き受けてくださっています。

まかせなさい、必ず救いとる。と、この身にはたらいてくださってます。

一人では「このまんま」であろうとしてしまう。
あるがままに生きる事のできない私は、

仏様に許されている事を受け取り、おまかせして初めて、安心して、あるがままでいれるのでしょうか?

ありのーままのーーすがたみせるのよーーー。ありのーままのーーじぶんになるのー。

まだ見ていない方もおられるかもなので、オチは詳しくかけませんが、

映画の中のキャラクターも
内に秘められたおぞましい力を、ありのままゆるされて、安心する世界にであっているような気がします。

ありのまま願われている事に感謝して、仏法から我が身を聞く生活をおくりたいもんです。

南無阿弥陀仏。

【執筆者はこちら】

ともだち100人できるかな? 【平井 裕善】

「一年生になったら」という歌をご存知でしょうか。

”一年生になったら
 一年生になったら
ともだち100人 できるかな
100人で 食べたいな
富士山の上で おにぎりを
パックン パックン パックンと”

幼稚園の時や、小学生になってからでも良く耳にすることがある歌でした。

幼少期の僕は人見知りが激しく、どちかというと一人で遊んでいるのが大好きな子どもでした。
ですので、友達というものがほとんどおりませんでした。
だから僕はこの歌が大嫌いでした(笑)

歌詞の意図は新しい毎日への希望にあふれた歌かもしれません。また友達を100人作りなさいという歌でもありません。
しかしながら僕にとっては「ともだち100人できるかな」と迫られているような気がしたので「余計なお世話なので放っておいてください」と感じていました。
実に偏屈な幼児ですね。そんな幼児もそろそろ不惑を迎える年になりましたが、この社会は「余計なお世話」が沢山あるような気がします。

「大人の男性なら高級時計をするべし!」という踊り文句を書いた雑誌の中吊り広告が、G-shockを巻いた腕で吊り革を持つ僕へ訴えかけてきます。
「アラフォー男性のモテる髪型」とスキンヘッドの僕へ訴えかけてきます。

いつもいつも心のなかで「放っておいてください」と思うことであります。ま、こういうのは冗談事で済みますが。
しかしながらたまには冗談で済まないような余計なお世話が「こうあるべし!」と迫ってくる場合があります。
たとえその「こうあるべし!」がその人なりの善意などに基づいたものでもあっても、僕にとっての「ともだち100人できるかな」と同じ圧迫感を持つことがあります。

「こういう人でなければならない」
「こういう考えでなければならない」
「こういう事をしなくてはならない」
逆に、
「こういう人であってはならない」
「こういう考えをしてはならない」
「こういう事をしてはならない」

このような強制と矯正の中で生きるということが、この娑婆で生きるということなのかもしれません。
時折「あーーーーー」っと叫んで何もかも放り出したい気分になることであります。
なんと人の世は生きづらいことなのでしょうか。
そんな世の中ですから「自己啓発」とかが流行るのかもしれません。
「笑顔でラッキーを引き寄せる」、「自分探しで毎日が変わる」等々の綺麗な言葉がアチラコチラで踊ります。
でも、それは本当の意味での解決手段なのでしょうか。
結局は自分を誤魔化しているのでは無いでしょうか。
見たく無いものを見ないように目を逸らして、聞きたく無いことには耳を塞いで、綺麗な物ばかりを見て、ここちの良い言葉ばかりを聞いている。そんな気がします。

お釈迦様はこのような虚仮不実の覚りがたき人の世で覚りを得られました。
しかしこの僕がお釈迦様のように覚りを得ることは、自分の日頃の生活を見ていてもどだい無理な事です。
だからこそ、そんな僕のためにお念佛をお伝えくださったのだと味わうことであります。

色々と理屈云々を述べる前に「あーーーーー」と叫びだす声を「なんまんだぶ」に変えてまいります。

image「なんまんだぶ」と称えてみても、この娑婆はあいも変わらずに強制と矯正で迫ってくるかもしれません。ちっとも住みやすい世の中にならないことでしょう。
しかし、僕が称える「なんまんだぶ」には阿弥陀様が「そのままでいいよ、真っ直ぐにおいで」と声の佛さまとして現われ出てくださることであります。
佛さまの智慧を借りることで、世間の事をキレイ事へと誤魔化しをすることなく、お念佛とともに生きていく人生。
それは実に有り難い人生なのではないでしょうか。

友達は100人できない人生でしたが、そのままで良いと呼んでくださる声の佛さまにお会いすることができました。
それは十二分に「虚しく過ぎる」ことの無い人生であります。

【執筆者はこちら】

本来のお寺の役割【瓜生 崇】

先日、北陸のあるお寺にご法話に行ってきました。五日間で合計すると約十時間のご法座です。

五日間連続で話をするというのは、今日ではそう機会のあることではありません。最初は十数人のお参りでしたが、お参りされる方は徐々に増えてきました。どうやら田植えのシーズンで、農作業が一段落ついた方からお参りに加わるので増えてゆくのです。

最初から最後まで全部お参りされている方も何人もおられました。聞けば毎日ご法話を聞いているといいます。農作業や病院などでどうしても行けない日以外は本当に毎日法話を聞きに来ているのです。最終日には三十人近くになりました。そのお寺の門徒さんだけでなく、近隣の方々が隔て無く聴聞に来られていました。

私は自分より何倍も多く聴聞しておられる方を相手に、一生懸命お話をさせていただきました。休憩時間になっても本堂は賑やかです。お参りされた方がそれぞれに聞かれた仏法をお話されています。またよく講師控室に仏法のことを質問しに来られる方もありました。

そのお寺は明治時代に一般の末寺での布教が許されてから100年以上の間、毎年120日以上のご法話がなされて来ました。北陸ではこういうお寺は他にも幾つもあったそうですが、今は「うちの寺しか残っていない」と住職さんは言われます。かつては本堂の障子をはずさないと入れないくらいに参詣者であふれることもあったようです。

b0029488_2248370[1]今、お寺の存在意義が問われています。

都会では「直葬」といい、お葬式も読経もないままに直接ご遺体を火葬場におくることが急速に増えています。お葬式をお寺に頼むにしても、特定のお寺の門徒や檀家になることを嫌がりその場だけのお付き合いを希望される方も少なくありません。都会でお寺とのお付き合いが全くない家庭が増える一方で、田舎では過疎化で次々と無住のお寺が増えてきています。そうでなくても、維持するだけで精一杯というのが現状です。

その中で、いわゆる「お寺の中の人」の多くが自分たちの存在意義に悩んでいます。本当にお寺はなくてはならないものなのか。ある人は長く続いた伝統を守らなければならないからと言い、ある人は人のつながりやみんなが安心できる場がそこにあるからだといいます。これからのお寺は社会に奉仕する活動をやらなければならないのだという人もいます。新しいお寺をつくろう、お寺は変わらなければという人もいます。私はそのこと全てに深く同意します。

今までお寺や教団は変わらなかったわけではありません。あるときは戦国大名と対等に渡り合える武装集団だったこともあります。あるときは国家の出先機関として役所のような働きをしていた時もあります。あるときは開拓や戦争に協力し、その中には今から考えると安易な権力への迎合として反省しなければならない点がたくさんありますが、時々の価値観のなかで一生懸命に「役に立つ存在」であろうとしてきたと言えるでしょう。

しかしそういう歴史の中で一つだけ絶対に忘れてほしくない役割があるのです。それは「仏法が伝わる場」としてのお寺です。仏法を話し、仏法を聞く場としてのお寺です。浄土真宗ならば、念仏の道場としてのお寺の役割です。社会や教団、お寺がどう変化していっても、このことだけは変わらなかったはずです。

お寺で仏法が説かれなくなったら、どんなに伝統を守って安心できる場を提供できていても、それは別に寺でなくても構わないはずです。社会の足しになるためだけにお寺があるのではありません。私が生きる根本の問題を解決する場として存在してきたのがお寺です。オウムの元信者が伝統寺院を「風景に過ぎなかった」と言ったように、教えが説かれない寺はただの文化財に過ぎません。そこで仏法が伝わってゆくことで、初めて生きた宗教としての寺は成り立つのだと思います。

北陸の小さな町のそのお寺で私のような若輩者が話をし、それを毎日のようにお参りし居眠りもせずに熱心に聞かれる方々を見て、私はそのことを改めて確かめさせていただきました。私が仏法を聞かせていただくのがお寺です。私を救うとおっしゃる阿弥陀様の本願を聞かせていただくのがお寺です。お寺の「未来」や「本来」を語るとき、そのことを決して忘れないでいたいものです。

【執筆者はこちら】

「みんな」になるな「一人」になれ 【宮尾 卓】


「みんな」になるな「一人」になれ 
  (by 玉光 順正)

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「みんな」とはいいことだと教えられてきたような気がする。

そして「みんな」になれない人が「一人」なのだ、なんて思うことがある。

そのくせ、「一人」を楽しんでいる人は、どことなくカッコよく見えたりもする。

 

誰も主体的に「みんな」ではない。そう、主体が無いから「みんな」なのだ。

でも「みんな」は「一人」が集まればそれで「みんな」なんだと思っていた。

 

本当の「みんな」の正体は「みんな」の中に放り込まれた「一人」なのだ。

 

10352716_702069449872483_489562545_nだから、誰も本当の意味での「みんな」を知らない。

知らないから、誰も自分からは「みんな」になれない。

「みんな」とは「世間」であり、「組織」であると言ってもいい。

 

私には「みんな」とは違う「一人」であると主張するところがある。

でも、私は「みんな」になろうともする。

「みんな」は「空気」とか「常識」とかと呼ばれる枠組みを有している。

私は「みんな」の枠組みから漏れないかと不安を抱え、苦しむ。

 

私は「みんな」の中にいる「一人」であり、「みんな」からの評価が気にかかる。

 

得体の知れない「みんな」

評価なんか分からない。でも、不安だから自分で想定する。

これが「みんな」ということなのだろうか、と。

 

想定した「みんな」の「空気」に確かさを感じると、その答えを手放せない。

自由な思考や生き方と引き換えに「こういうものだ」と決めて安心したいのだ。

 

ひとたび安心すると、想定した「みんな」の「空気」と異なる存在は嫌がる。

「みんな」という、曖昧だが確かに感じる「枠」に収まらないモノは異物として排除する。

―――それが昨日までの友人、同僚であっても。時には家族までも。

 

その基準は、私という「一人」の想定する「みんな」である。

時には別の「一人」と似通う部分があることもあるだろう。

でも、本当は誰ひとりとして完全に一致することはないのだ。

 

それでも、「みんな」に染まろうと死ぬまで努力する。似通う「一人」たちと「みんな」を作ろうとする。

時には、私以外の「一人」を私の想定する「みんな」に無理やり染めようする。

 

それは、得体の知れない「みんな」や「世間」に完全に支配されてしまった姿だ。

そうして「みんな」を主(あるじ)とする。

 

得体の知れない主(あるじ)の為に、「一人」の心の叫び声に耳をふさぎ続ける。

そして、気ぜわしくはからい続ける、終わることのない歩みがはじまる。

なぜなら、「みんな」は気まぐれだからだ。曖昧な「空気」ひとつで見事に変わる。

 

ついには「一人」が「みんな」の為に、モノのように扱われるようになる。

私は「みんな」に支配され、私は「みんな」に裁かれる。

「みんな」に従わない「一人」のことも裁き続ける。

「みんな」を主(あるじ)とすると、正しさは暴走する。

―――想定外の事故が起きるまでは。

 

本当は「みんな」がわからない。でも、わからないところに眼を閉ざす。

「こういうものだ」と分かったことにする。そうしないと不安なのだ。

 

私は「みんな」の評価がこわい。「みんな」から漏れ、孤立することに怯える。

存在が生き残るために、お互いにけん制し、正しさを主張する。

存在が護られるために、お互いに探り合い、正しさを確認し続ける。

 

本当には誰も何も信頼していないのだ。

そんな私の「いのちの存在を軽んじる生き方」が「もっと」「ちゃんと」と私自身を駆り立てる。

「みんな」を主(あるじ)とし、「一人」を閉ざすとき、私のいのちもまた「みんな」より軽くなる。

私は私という「一人」なのか、それとも「みんな」の為の私なのかわからなくなる。

そして、私の心は支配され、暗く、生きづらい世の中を作りだしていく。

 

まさに「火の車 作る大工はあらねども 己が作りて 己が乗りゆく」

そんな人生は悲しすぎる。求め、目指す方向が違うのではないか。

 

今一度、「一人」にかえろう。身勝手にふるまうという意味ではなく。

 

和を以て貴しと為すことは美しい。

でも、それは「同じ」が貴いのではではない。「共に」が貴いのである。

ばらばらでいっしょである。

 

今一度、「一人」と「一人」にかえろう。

 

自分の価値観、世間を、「みんな」を絶対化し、はからい続ける私だけれど、お浄土の教えによって、すべての物事が相対化される世界を生きよう。

 

それはまた、人間として本当の意味で自立することに繋がる。

無理に考え方を変えたり、自分に嘘をついたりしなくてもよくなる。

自分の人生に責任をもって、自らが考えて生きていくことになる。

 

その歩みは私の人生を私「一人」が大切に歩む第一歩になり、「みんな」と共に生きる第一歩になるに違いない。

 

10356659_702069456539149_1746807375_nはからい已(や)まぬ私だけれども

「なんまんだぶつ」と、はからえない「いのち」の世界に還ろう。

 

南無阿弥陀仏

【執筆者はこちら】

作務衣・・・この便利なるもの。 【朝戸 臣統】

IMG_1823お坊さんって、専業の場合と兼業の場合では、かなり日常の過ごし方が違うかも知れません。私の場合、専業でお坊さんをしておりますので、お参りなどの合間には、お寺で過ごすことが多いのです。
そこで問題になるのが、何を着て過ごすか、ということなんですね。ビジネスマンのようにスーツとネクタイを着用するわけでもありませんし、かといって、ジャージで過ごすのも、接客の都合上、いかがなものか、と。理想は常に袈裟と衣を着用していることなのですが、なかなかそうもいかなくて・・・。
そういうわけで、私の場合、普段着は「作務衣(さむえ)」で過ごすことが大半です。作務衣って、もともとは、禅宗のお坊さんが日常の作務をする際に着用する作業着であったそうですが、これがなかなか便利なのですね。

298980_126680617497516_688924258_n1,動きやすく、身体に優しい。
お坊さんの作業着ですから、いろんな作業がしやすい設計になっています。本当に動きやすいです。化繊なので、丸洗いもOKです。また、ズボンのお腹回りはゴムになっていますし、上着はヒモで留めるだけですので、基本的に身体を締め付けません。しかも、多少の体格の変動にも、柔軟に対応してくれます。ただし、そこに甘えてしまうと、メタボ体型まっしぐら、ということにもなりかねませんが・・・。

2,見た目がいかにもお坊さんっぽい。
これ、けっこう大事なんです。お寺に来られる方への接客でも大切ですし、外出時にも、お坊さんという視線で扱っていただけることが多いように思います。ちなみに、お坊さんに見られたくないときには、他の服に着替えて外出してます。

3,長持ちで、結果的に割安。
ネット通販など、複数の作務衣販売サイトを見ていただくと、「値段が高い!」と思われる方が多いかも知れません。私も当初、そう思いました。でも、長期間着られるということを考えると、実は割安なんです。冬用2着、春秋用2着、夏用3着を、それぞれの季節に合わせて、ほぼ毎日着ているのですが、すでに3〜4シーズン着用していますから、日々のコストを考えれば、安いものです。

お坊さんも、お坊さんでない人も、普段着に作務衣を着てみてはいかがでしょうか?オススメしますよ。(*^_^*)

【執筆者はこちら】

いつか念仏もうす人に 【平野 正信】

私事ですが、もうすぐ私達夫婦のところに子供が生れてきます。

命のスタートという意味、受精卵となった時に既に生まれているということなのでしょうが、母の身体から出てきて娑婆の空気を吸うのはもう少し先のことです。

一つの生命が今お腹の中で育っているといのは、何とも不思議なものですね。

ところで、私とつれあいの約束事で、子供の名前については、子供が男の子ならば私が決定権を持ち、女の子ならばつれあいが決定権を持つ、という風に決めていました。

もちろん話し合いはしますが、最終的な決定権は同性の親が持つ、という約束事です。

そして、エコー検査の結果、ほぼ男子で間違い無いということがわかりました。
(まあ、生れてみたら違ったというケースは良くあるらしいですが)

という理由で、名前の決定権は私が持つということになったのです。
名前というのは重要です。
なにせ、一生ものですから、こりゃあ責任重大だ、と思って色々と案を出したのですが、何となくシックリこない。

どうしたものか?
と考えていたある日、お聖教を読んでいて
「お!この名前にしよう」
と直感的に思いまして、名前を決定しました。

1510989_530103167098008_4263069880652851984_nその名前は
「明法(あきのり)」
です。

この名前はあるお方の名前から頂戴しました。
その方は、親鸞聖人のお弟子様の一人、明法房(みょうほうぼう)です。

明法房は親鸞聖人の弟子になる前の名前を弁円(べんねん)といい、山伏でした。そして、彼は親鸞聖人を殺害しようとした人です。

山伏弁円は、親鸞聖人が説く念仏の教えが広まることを良しと思わず、親鸞聖人を殺害しようと草庵に押し入りましたが、殺そうとしていたはずの聖人のお人柄に触れ、心を翻して念仏のみ教えに入り、親鸞聖人の弟子として法名をいただたいた方です。

聖人より早くご往生され、その知らせを聞いた親鸞聖人に「うれしいことだ」「めでたいことだ」と喜ばれた方です。

五逆の罪人であったはずなのに、お念仏の教えに出遇い、最後には親鸞聖人にその往生を喜んでいただけるなんて、こんなに幸せな人が他にいるでしょうか。

私はこの幸せな人、明法房の名前を頂戴し、子供の名前を明法にすることに決めました。
名は親の願いです。
私が彼に願うこと、それは

どんな生き方をしてもかまわない、たとえ、これ以上無いほどの罪を犯す人になってしまったとしても、いつの日かお念仏をよろこべる人になってほしい

これだけです。
親子であっても、彼もまた仏に願われた仏の子ですから、仏様の子をおあずかりさせていただき、この手に抱く時を、お念仏申させていただきながら待っております。

【執筆者はこちら】