初心者と熟練者が混ざりにくい浄土真宗の教えの特性【堀内克彦】

宿坊研究会の堀内克彦と申します。寺社旅研究家として各地のお寺や神社をお参りしたり、文筆やイベント企画、寺院コンサルタントなどをしています。

そうした日々を送る中、私は浄土真宗のお寺には、他宗より極端に入りづらい壁を感じています。この要因は明確で、浄土真宗では初心者を対象にしたプログラムがほとんど開発されていません。そんなことないと思われる方もいるでしょうが、いろんな宗派を俯瞰して見ると、その差は歴然としています。しかしこれは真宗のお坊さんの怠慢というよりは、単純に教えの特性の問題です。

例えば坐禅であれば初心者と熟練者が混ざっても、ある程度場が成り立ちます。しかし法話会でそれをするのは難しいでしょう。どちらかのレベルに合わせれば片方の満足度が下がります。大げさに言えば小学生と大学生が、一緒に数学の授業を受けるようなものです。

そしてこれまでであれば地域コミュニティで誘い合って、初心者でもお寺に行く文化がありました。知り合いが先導してくれれば、不慣れな場にも安心して足を運ぶことができます。しかし今はそうした関係も途切れがちです。

初心者との接点を失ったことで、外部がお寺に持つ不安や期待も見えづらくなる。それがますます初心者との距離を生み出しているのが、今の浄土真宗だと感じています。

そこで提案ですが、浄土真宗のお寺はもっと宿坊を開いてみてはいかがでしょうか。宿坊はお寺であり、宿でもあります。この良さは一見さんが入りやすいこと、常連だけでコミュニティが固まりにくいことです。宿泊した人に法話の時間を設ければ誰でも教えにふれることができますし、期待されるレベルも自然と初心者向けになります。お坊さん達もきっと初めての方に響く法話を、これまでとは異なる形で磨くようになるでしょう。

私の手元にある宿坊リストから集計すると、浄土真宗のお寺は日本に8軒しかありません。真言宗(100軒)、天台宗(39軒)、浄土宗(26軒)、日蓮宗(25軒)、臨済宗(16軒)、曹洞宗(10軒)と、主要宗派の中では最少です。日本で一番お寺の多い宗派であることを考えれば、浄土真宗は数字以上に宿坊に対して消極的です。

しかしそうした状況にも変化が見られます。私は以前、東本願寺にある同朋会館で講演させて頂いたことがありました。同朋会館は真宗大谷派に属する方の宿泊研修施設で宿坊とは異なりますが、こちらを一般の人にも開く取り組みをしたいと、検討委員会の立ち上げ時に私が呼ばれました。

そして企画された『東本願寺に泊まって学ぶ親鸞講座』は定員を超えるお申込みがありました。宿泊した側ももちろんですが、受け入れた僧侶にとっても学びの深い企画になったと、後日ご報告を頂いています。こうした取り組みは浄土真宗寺院が宿坊を作る上でも、参考になる事例です。

また、宿坊を作りたいという相談も私のもとには増えていて、2015年に開催した宿坊スタートアップミーティング(宿坊を開きたい方を対象にした勉強会)にも浄土真宗の方は参加されました。宿坊に対する潮目は変わってきており、これからきっと浄土真宗の宿坊は増えていくと感じています。

先日、自民党の観光立国調査会で、宿坊をテーマに講演させて頂く機会がありました。私のようなフリーの寺社旅研究家が呼ばれてしまうほど、宿坊は国策としても注目されています。もちろんそれは経済的な視点が中心ですが、私はここに流れる莫大な投資を活用して、経済的に成り立ちにくい地方のお寺の存続策を生み出せないかと模索しています。

寺院にお金が入る形を作り、仏教との新たな接点も作る。宿坊でお坊さんの話を聞けば、そこから阿弥陀様の教えに興味を持たれる方も出るでしょう。宿坊の弱点は一夜限りで継続的に仏教を説けないことですが、全国レベルで法話情報を掲載している『浄土真宗の法話案内』があれば、興味を持たれた方に改めて地元のお寺を紹介することもできます。

入り口の少ない浄土真宗に、宿坊は相性の良いパーツです。また宿坊はすべてのお寺で作れるものではないので一つの例ですが、「初心者」と「熟練者」を切り分けるだけでも、ずっと入りやすくなります。

初心者コースは単純に内容を平易にすれば良いというものではありませんが、お寺とまったくご縁のなかった人と向き合うと、そこも含めて相手の求めるものが見えてきます。それを汲み取りながら自分たちの教えと結びつけることで、阿弥陀様の教えも広まっていくのではないでしょうか。

執筆者:堀内克彦(ほりうちかつひこ)

宿坊研究会代表。「人生を変える寺社巡り」がテーマの寺社旅研究家。

宿坊研究会・縁結び神社研究会・お守り研究会を運営し、参加者1000人を越える寺社旅サークルの主宰や宿坊創生プロジェクトアドバイザー、仏前結婚式盛り上げ企画、お寺の漫画図書館、寺社好き男女の縁結び企画「寺社コン」などをプロデュース。
日蓮宗のお寺活用アイディアコンペでは、様々な寺社を活性化させた実績を買われて審査員を務め、各地で寺社活性化・地域活性化の講演なども実施。寺院のコンサルタントとしても活動中。
著書に『宿坊に泊まる(小学館)』『こころ美しく京のお寺で修行体験(淡交社)』『恋に効く! えんむすびお守りと名所(山と溪谷社)』など。
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親子という迷いのカタチ。【小林智光】

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【母が重くてたまらない〜墓守娘の嘆き〜】

というタイトルの本を読みました。

ざっくり言うと

 

・母と娘の間には切っても切れないものがある
・そのつながりは時として「縛り」になる
・「あなたの為にやったのよ」は母を殉教者にする。どんな宗教であれ殉教者は崇められなければならない。逆に考えれば先の言葉は計算の上である。
・母親というのは先天的なものでなく後天的に「なる」もの。
・子供との関係を良くするには、まず夫婦の関係を優先的に良くすること
・母親は絶対、という暗黙の意識がある以上、母から離れることは不可能に思える。関係を絶つ事すら許されないと思った時、子どもは殺意を覚える。
・母は娘との間に境界など無いと思っている。しかし、境界が無いという事は、川の流れがそうであるように不純物はどんどん下流に流れていくばかりである。つまり、娘と繋がればつながるほど押し付けたくないものが娘の方にいく。
・「あなたのお腹の中に私は居た。そしてあなたの身体から苦しみとともに私は生まれた」
「私のお腹の中にあなたは居た。そして私の身体から痛みとともにあなたは生まれた」
「あなたが知っているのは産みの痛みであって、私の苦しみではない」

という感じでしょうか。
この本は臨床心理士の著者が母親と娘の関係性を実際の親子のケースを元に書きまとめたものです。それ故、中には生々しい話もあり、実に示唆に富んだ一冊です。

私にも保育園に通う息子がいます。
実はこの息子は20時間以上の陣痛を経て生まれてきました。
入院前夜から出産の瞬間まで付き添ったのですが、簡易ベッドで背中は痛いし、意識は朦朧とするし…
とはいえ、出産した妻が一番苦しかったのは言うまでもありません。いや、息子も苦しかったでしょう(当然本人には記憶はありませんが)。
ウチはお寺という職業柄、平日に割と時間の余裕があります。それは逆に言えば土日に余裕が無いということにもなるのですが…
とにかく平日に時間を取れることがあるので、保育園の送り迎えもよくやります。
ここまで書くとヒマな人に見えますがw、決してヒマなわけでもなく、保育園送った後に月参りや法事に行き、お迎えの後に教区や組の会議に行くこともしばしば。
一番メンタルに来るのは保育園の送り迎えの前後に枕勤めの連絡を頂くことです。
保育園では笑顔一杯、『行ってらっしゃーい!』と声をかけた後に深い悲しみのご遺族と対面します。
竹○直人さんじゃあるまいし、人間は笑いながら怒ったり泣いたりできません。だから笑った後に深い悲しみの場に行くと、自分の感情が何処にあるのか分からなくなります。つまり、子育てと法務のミックスの日々はメンタルの針がブレまくって、定まらないのです。
まぁ、それはともかくとして、普通のサラリーマンのお父さんに比べれば子供と過ごす時間は遥かに多いのは事実です。
そんな日々ですから、時には「母親役」もする事があります。ご飯食べさせたり寝かしつけたり抱っこしたり。
私は男なので母親にはなれません。だから息子が「ママがいいのに〜」とグズった時には『やっぱ母親にはかなわないよな〜』などと思いました。だけど、ふと『母性というのは母親だけでなく、誰しもが持っている』と思った瞬間に気が楽になりました。
父親もジイちゃんもバアちゃんも兄妹も誰にも母性はある。だって、そうでなければ母親のいない子供は一生母性を享受出来ないことになりますから。
本当の母性ってそんな狭いことではなく、誰かにしてもらう「無条件の受け入れ」ではないでしょうか。それなら父親の僕にもできる。「俺は父親だから」とカタクならずに「今はジッと受け入れの時間だ」とスイッチを切り替える。
逆に言えば、世のお母さん方が
『母である私が受け止めなきゃ!』
と背負い込む事は苦しい事なのかもしれません。ずーっと母親スイッチを入れ続けるのは不可能です。母親だって人間なのですから、やさぐれたい時や一人で趣味に没頭したい瞬間だってありますもんね。

『母親絶対論』は子供の為どころか誰の為にもならない。だってママだって不完全な人間なのですから。そこにフタをして存在し得ない『神格化した母』を追い続けるのは迷いでしかないと思うのです。
それはそのまま、『強い父親』もある種の妄想上のイキモノとして位置付けることになります。

観無量寿経というお経では韋提希というお妃様が登場します。
息子の王子が様々なスッタモンダ(王舎城の悲劇の)の後に原因不明の腫物に苦しみます。
韋提希は薬を塗ろうとしますが、息子である王子・阿闍世より
『この腫物は心の問題なのです』
となだめられます。
薬では治らないのです。
阿闍世を救うのは母である韋提希ではなかったのです。
人を救うのは人ではなく、ましてや薬でもない。我々は真理の法(仏法)のよってしか救われません。それは親子であっても例外ではありません。
『我が子を救いたい』というのは親としては当然の感情ですが、その「当然ぶり」ゆえに迷いを生みます。親子ほど強烈な迷いは無い、とも言えます。
「救いたい」という想いから「ともに救われたい」という想いへの『変わりめ』が大切なのではないでしょうか。

【執筆者はこちら】

お父さん、お母さん、仏法聞こうよ!【松下蓮】

私には子どもが3人います。小学生の娘が2人、保育園に通う息子が1人。
真宗大谷派のお寺を義父が預かっていますので、そこに同居するという形で住まわせていただいています。

このコラムを読んでくださっている方々の中にも、今、子育て真っ最中のお父さん・お母さんがおられると思います。毎日仕事が忙しくってかわいい子たちの相手ができないお父さん、そんなお父さんを頼りにしたいけれどもそういうわけにはいかず、小さい子どもを抱えて右往左往しているお母さん。仕事を抱えながら毎日毎日忙しい日々を送っている方もおられると思います。

私も娘たちが小さいころは主人がほとんど家にいなかったものですから、なんとなく内にこもって悶々とする日々を送っていました。子どもの相手をして一日が過ぎる。子どもが病気になれば一日中抱っこして、掃除も洗濯もいいかげん、授乳しながら自分のご飯をかきこむ、というとても行儀の悪いことも平気でやっていました。その反面、やはりお寺の奥さんという立場上、子どもを置いてリフレッシュしに行くわけに行かず、やはり「いいお母さん」を外で演じては、帰ってきてまた嫁として、お寺の若奥さんとして立派にふるまおうとし、子ども相手にしんどい思いをするのでした。

そのような日々の私の一番の問題は、「思い通りにならないことへの愚痴」でした。子どもが私の言うことを聞かないということはもちろん、ゆっくり本を読んだりショッピングしたり、友達とゆっくり会ってお酒でも飲んでみたり、独身時代にできていた楽しみが全くできない。嫁に行ったことで、お寺や家族の習慣・考え方の違いから、不満を不満として堂々と言うことのできないもどかしさ、遠慮。そんなことがたくさんありました。本当のことを言えば関係がダメになる。

そういう不満を義母に訴えると「思い通りにいかんねえ」とニコニコしています。えっ?!と思いました。たしかに思い通りにはいかん。でもこの状況をどうにかしてほしいのに・・・!子どもがいうことを聞かないことや自分の自由を奪われているような感覚に埋れていたころ、「幼児の虐待死」という問題が社会を騒がせていました。

大阪で、若い母親が幼い子どもを二人置き去りにして死なせた事件。猛暑の中、母親の愛と食べ物を求めてけなげに寄り添って亡くなっていた子どもたち。私はそのニュースに夜も眠れないほどショックを受けました。ちょうど我が子たちと歳が一緒でした。母親をとことんまで批判し人間扱いしないメディア、一方で母親を擁護する人たちは社会の問題、子育てシステムの問題やらなんやら!最初は私も「子どもを置き去りにするなんて。ひどい」と思いました。しかし、よくよく考えてみると、本当にこの母親のことを私は批判できるのか?ふいにおもいだした言葉「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」(歎異抄)。本当にこれは、私にとってはとても恐ろしい言葉に思えました。「あなたもきっかけがあれば子どもを殺すことができるんですよ」と。

そう、あの母親とは、私のことだったのです。子どもを殺さないで済んだのは、子どもを置いて丸一日、外に飛び出したいという衝動を抑えていたのは、世間体だけだったのかもしれません。ただ世間体という薄皮一枚でつながっている。こんな私が人を簡単に批判することができるでしょうか。

私にとって、仏法というものが本当に自分自身のことをピッタリ言い当ててくださっているということが、この事件の縁で知らされた気がします。その一つのきっかけがたまたま今回は歎異抄の言葉だったわけです。頭が下がるというのは、この私の本当の姿を突きつけられて懺悔(さんげ)するしかないということ。その元はというと、釈尊が多くの人に伝えてくださった仏の教え。そしてそれが長い年月をかけて、遠い西の国から数えきれない多くの人々の苦労のおかげで私たちの元へ伝わってきている。一緒に子育てをしているお友達のお母さんに聞かれたことがあります。「仏教って、お経を読むだけではないよね?」と。私は「それやったらほんと、仏教なんていらんよね。お経というもんが何千年も大事にされてきた訳を考えたらさ、やっぱり過去に生きた人たちの拠り所やったからやろね。いろいろみんな苦しんで生きてきたんやろしね。うちらも一緒やん。」

きっかけは何でもいいんです。仏法に遇うためには時には逆縁も必要なんだろうと思います。一番子育てで忙しく苦しい時に、私は仏法を聞きたいというきっかけを与えられました。何でも思い通りにいっている時には、いくら仏法のほうが私の近くにあってもスルーしていたんじゃないかと思います。お寺で本堂に参っていながら、きっとずっと仏のほうが「おーい!」って呼んでいたのにぜんぜん気づかなかったんでしょうね。義母が「思い通りにいかんねえ」とニコニコしていた意味も、「蓮ちゃん、仏法を一緒に聞いていきましょうよ」という呼びかけだったんだなあと思うのです。

思い通りにならないランキングがあるとしたらナンバーワンと思われる子育て。今ですよ、今。子育て中のみなさんと一緒に仏法に出遇っていきたいものです。

執筆者:松下 蓮(まつした れん)
真宗大谷派 延福寺衆徒。1975年生。京都府亀岡市在住。真宗大谷派青少幼年センター研究員。絵本を通してお寺の子ども会を支援する仕事をしています。
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真面目な人とどう向き合うか【寺澤真琴】

高校の時、音楽大学を卒業したばかりの浄土真宗のお寺の息子さんが講師に来られました。その高校の卒業生で、教職の採用が決まるまでの2年間教えていただきました。

特別親しかったわけではありませんが、同じ宗派の方でしたし、私も音楽系のクラブだったので、それなりに話はしました。そういえば音楽準備室でコーヒーをご馳走になったこともありましたね。年賀状の交換も。でも私が三年生になったときには、もうどこか他の学校に移られていました。

先日、その先生をネット上で再発見しました。全然別の用件で検索をかけていたら、たまたまその人のブログがヒットしたのですから、ほんとうに再発見という感じです。そこに書かれていたのは、「浄土真宗の僧侶だった私が日蓮正宗の信者になったわけ」。驚いたことに、先生は家族ともども日蓮正宗の信者となってお寺を出られたようです。

何となく思い当たることはあります。その先生は音楽だけでなく野球もやっていたという熱血漢で、理性よりも感情に重きをおくタイプ。不正や間違ったことが嫌いで、はっきり結論を出すことを好みました。ブラスバンドの顧問をされていましたが、生徒からの好みは分かれていたようです。私も何かで指導されたことがありますが、こんな言葉をおぼえています。「俺は、ボールが飛んできたら自分の力でそれをつかんで、赤なのか白なのか確かめてみないと気が済まない性格なんだ」。

三十年間浄土真宗の僧侶だったというその人のブログには、浄土真宗の悪口が書き連ねてあります。「非僧非俗」「往生浄土」「菩提心」といった言葉が出てきますが、そのどれもが誤解・曲解にみちたものです。おそらく、移った先の教義で、強く再教育された成果でしょう。文章の端々には家族のことで悩んでいたことも垣間見えます。私は「浄土真宗が合わなかったのかもしれないな。でも、今この人が満足ならそれで良かったのだろう」と思うことにしました。

しかし、よく考えてみたら後の行き先が破壊的なカルトである場合もありうるわけです。去る者は追わずと、格好をつけている場合ではないのかもしれません。それに、三十年の間、お坊さんをしてきたわけですから、その間にちゃんとした浄土真宗の話を聞く機会は、いくらでもあったはずです。それがこの人の心に響くことがなくて、別の宗教がぴったりきた。これはもちろん、本人の性格とか好みもあるわけですが、それにしてももうちょっと何か方法はなかったのだろうかと思うのは、私だけでしょうか。何か今の真宗に欠けているものがあるのではないか、ということです。

ストイックな仏教の修行に、漠然としたあこがれをもっている人というのは一定の割合でおられるようです。こういう表現が適切かどうかわかりませんが、真面目な求道タイプの人、自分を変えたい、向上させたいという思いを強く持っている人です。ひょっとすると、この先生もそういうタイプだったのかもしれません。そういう人が、自分の思いを真宗の僧侶に投げかけると、こんな答えが返ってくるのではないでしょうか。「そういう自力修行はやりません。浄土真宗は他力の教えですから」。別に間違ったことを言っているわけではありません。しかし、いくつか問題が隠れています。まず、この返答を聞けばたいていの人は「浄土真宗には行はない」と思ってしまうでしょう。それは違います。もう一つは自力修行を格下に見る悪い傾向です。さらにこんな言葉が付け加えられるかもしれません。「念仏ひとつで救われるのが浄土真宗です。自分で何かやろうというのは「はからい心」ですよ」。これまた間違いではありませんが、言われた人は目の前でシャッターを閉められたような感覚をおぼえるでしょう。まったく親切心に欠けますね。

この先生とは別人ですが、「何かやりたい」とお寺に来た人にお聴聞を勧めたけれども、結局今は別の新宗教で戸別訪問を熱心にやっているという人を知っています。この人も真面目な人でした。しかし考えてみると、私たちはそういう「真面目な人」とちゃんと向き合える準備ができているでしょうか。むしろ、厳しい修行がないことを誇りのように思い、世間や常識に流されるばかりで、一所懸命に何かをやろうとしているのを冷笑するような雰囲気がありませんか。口では念仏ひとつと言いながら、念仏を大事にしない生活。そういう不真面目さに、真面目な人は敏感なものです。

少なくとも真面目は悪いことではありません。もちろん、人間の真面目さだけで悟りを開けるわけでも、信心がいただけるわけでもないでしょう。真面目さでがんじがらめになって仏教から遠ざかることもよくあることだと思います。でも間違ってはいけないのは、真面目というのは人間の側の性格・個性にすぎないということです。本願において人間の性格は問題にならないのです。

真面目な人に向き合うために、真宗のお寺で座禅や瞑想をしようと言っているのではありません。足りないのは、真宗を仏教全体の中でどのように位置づけるかという認識かもしれません。たとえば、前に書いたように、行のない仏教はありません。親鸞聖人が「大行とはすなわち無碍光如来の名を称するなり」と書いておられるように、真宗にも行はあるのです。

この部分の解釈は、教義の上ではいろいろと細かい議論もあるのでしょうが、さしあたっては称名念仏が真宗の行であると理解していいと思います。ところがそうすると「口で南無阿弥陀仏と言うだけでいいんですね?」「言えばいいんでしょ?」という人が出てきます。そういう人は、自分が自分の意思で南無阿弥陀仏と言っていると思っているのでしょう。しかし、称名は私の行いであって私の行いではないというのが真宗の立場です。

私から声が出ているという点では、称名はまちがいなく私の上で起こっている行いです。でもそれは、阿弥陀如来のはたらきが私に届いて私に念仏させているわけですから、源泉は私の内にはなく、阿弥陀さまにあります。如来が私に作用して、私に行をさせているのです。そのことを知らされていくのがお聴聞、法話を聞くという過程なのでしょう。

修行というと、思い出すことがあります。私がある先生の講義を聞いたときのことです。以前、オウム事件の時にある放送局から取材を受け、終わりがけに記者から「修行とは何か」と質問された、と前置きしてこんな話をされました。

「修行には二種類あります。賢くなる修行と、愚かになる修行です。賢くなる修行が、仏教で一般に言われている修行です。しかし法然聖人は、自分の愚かさを自覚するのが浄土門の修行であると考えられました。「愚癡にかえって極楽に生まる」です。浄土教の修行というのは愚癡にかえること、自分の愚かさを思い知ることです。しかし、自分の愚かさを思い知ろうと思ったら山にこもって修行してもだめです。一人で静かなところで心が静かになっても、そんなものは大したことはない。むしろ毎日の生活で、親子兄弟夫婦が様々な葛藤を繰り広げるその中で、人間の愚かさというものを思い知ってゆく、これが修行だろうな。ただの世俗の生活ではない。浄土教の在家の生活というのは、自分の愚かさを思い知らされる修行の場なのです。」

私の口から南無阿弥陀仏が出るのは、阿弥陀さまの力が私にはたらいているからです。しかしその私は、一日中お念仏しているわけではありません。むしろ、念仏も阿弥陀さまも忘れている時間の方が長いかもしれません。けれども、私が忘れていても如来は私を忘れません。私が煩悩の中で焼かれたり流されたりしているその時も、如来の慈悲ははたらき続けているはずです。そのはたらきがあるから、私が自分の愚かさに気づくことができるのでしょう。世俗の生活が修行なのだと言うことができるのです。ボランティアも瞑想も、自由にやればいいと思います。それと同時に、真宗の修行ということをはっきりさせておかなければなりません。求められているのは、自力他力の線引きではなく、ふさわしい伝え方なのだろうと思うのです。

執筆者:寺澤真琴(てらさわまこと)
1962年生まれ。
東京工業大学(修)卒、化学会社、教学研究所講師を経て、現在は本願寺派清徳寺住職(滋賀県)。近畿大学非常勤講師。
気象予報士。大阪の某放送局で気象キャスターをするも、一年でお役御免に。柏原市在住。

村のお寺が新宗教に譲渡される?【石川正穂】

2016年3月10日、研修会の前日打ち合わせを終え会場寺院から帰ろうとした矢先、携帯が鳴りました。観勢寺が親鸞会に譲渡されるという件で、上市町横越の門徒さんが相談にいらしているので早く帰れという電話でした。びっくりして帰って事情を聴きますと、横越全住民に19日、住民説明会が開催されるというチラシが配布されたという事でした。この日から私の混乱した毎日が始まりました。

観勢寺は浄土真宗本願寺派(西本願寺)の末寺であり、親鸞会は1958年に元本願寺派僧侶である高森顕徹によって設立された浄土真宗系の新宗教です。高額な献金や、大学などでの正体を隠した勧誘で知られています。

私は本願寺派富山教務所、当該の立山組長を尋ね、情報を集めました。宗教法人の解散手続きを進めていた本願寺派観勢寺住職が、突然宗派を離脱し、単立寺院となって親鸞会に役員交代しようとしているという、驚くべき内容でした。そしてもう、離脱されてしまっては手の施しようがない、という空気が漂っていました。

私自身の親鸞会についての知識は十分ではありませんでした。学生や会社員だった頃に何度か勧誘をうけました。教区の研修会に参加したこともあります。しかしお手次のご門徒さんのすぐ近くにこのような事が起こらなければ、この問題についてここまで関わらなかったと思います。 この後、私は大谷派富山教務所を通して青小幼年センター嘱託の京都教区、瓜生崇さんを紹介していただきました。既に彼とはフェイスブックを通して友達になっており、以来、アドバイスをいただいています。この事件に親鸞会のどういう意図があるのかを教えて頂いたことが、この後の展開に大きな影響を与えたと思います。

「寺の参詣は減少し、葬儀も行われていない。そんな寂々とした東西本願寺寺院に比べ小杉の親鸞会館には目を見張るような数の人々が聴聞に集まっている」と、親鸞会は世間にアピールしてきました。そして実際に維持に行き詰った本願寺派住職が親鸞会に寺を寄付すると申し出てきた。そこを参詣者でいっぱいにして、いよいよ親鸞会の時代がやってきたと。これまで東西両本願寺批判によって大きくなってきた親鸞会にとって、主張してきたことが現実になる最初の事例が観勢寺になるであろうというのです。

3月19日の親鸞会による住民説明会の内容については3月26日付の文化時報に詳細に書かれています。また、興山舎「月刊住職」5月号も観勢寺問題について丁寧に記事にしています。この号の「月刊住職」には、過疎、人口減少に悩む地方寺院の抱える問題や、不活動宗教法人の売買問題という、観勢寺事件の背景について参考になる記事がありますので、ぜひ一読されることをお勧めします。

説明会では住民から親鸞会譲渡に反対する意向が示されました。それでも観勢寺住職は譲渡にこだわり、2か月にわたって本願寺派も交えて交渉が続けられてきました。しかし残念ながら不調に終わり、譲渡されることがほぼ決まりました。(5月17日現在)

親鸞会は活発な動きを見せています。県東部では富山市太田にすでに親鸞会富山会館がありますが、昨年新たに黒部会館ができました。北日本新聞カルチャーパーク高岡の正信偈入門講座を、再三抗議したにも関わらず、親鸞会講師が務めています。夏の参議院選、石川選挙区にて親鸞会員柴田未来氏が、野党統一候補とされています。「なぜ生きる―蓮如上人と吉崎炎上」という映画が5月21日から全国の映画館でロードショー公開されます。

さてここに至ってこれからなにをどうしたらよいのか、私は途方に暮れています。ただ、もっと門徒さんと親鸞会や様々な宗教について語り合いたいと思っています。そして、今まで以上に法要、葬儀、年中行事、同朋会に力を尽くして、門徒さんがお念仏の教えに触れる、ご縁づくりをしたいと思っています。 私たちはこの問題を見て見ぬふりをしてきました。しかし、真宗王国に胡坐をかいてきた私たちの、今目の前で起こっている事実です。

執筆者:石川正穂
1961年生まれ、金沢大学文学部行動科学科卒、大谷大学真宗学科修士課程卒、現在真宗大谷派玉永寺住職。好きなアイドルはももいろクローバーZ、推しメンは高城れに。共著に、「振起―富山藩の廃仏毀釈と民衆の念仏―」(真宗大谷派富山教区・富山別院)
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方便法身と仰ぐ【筑後誠隆】

師匠と出遭ったのは、20歳の時だった。龍谷大学が封鎖されていた時に学長代行をしており、学長選挙規定を設定して新しい学長を選出したので、雑務から逃れてアメリカへ一年間の海外留学‥‥という名目のご褒美から帰ってきたときだった。
こちらは3回生となり、そろそろまともに勉強しようかなと思っていた時だったから、師匠の「現代思想批判」という講義は、アメリカ帰りのオッサンのお気楽なヨタ話だと思って聞いていた。
ところが、この講義が面白い。キルケゴールから始まって、初期仏教・チベット仏教・唯識まで、縦横無尽に話が飛んでいく。こちらは、2年間の紛争でほとんどまともな勉強をしていなかったから、分からん話を聞くたびに「そんなアホな」と合いの手を入れて、解説を追加してもらったものだった。

あの先生に就いてほしかった

師匠に就いたのを一番喜んだのは母親であった。師匠は、得度の習礼で仏教を教えていたのだった。母親もその話を聴いて、息子はこの先生に就けたいと思ったらしかった。
師匠は、龍谷大学の仏教学の最長老が得度の習礼で教えるべきだと、後々も言っていた。でないと、本当の仏教が分からなくなる、とも主張していた。
ボクの得度習礼の時も、師匠が教えてくれた。往生浄土が目的ではない、成仏が目的なのだ、と明確に説明してくれたのが、みょうに心に残った。

背表紙を見るんじゃ

師匠の研究室に入って最初の課題は、必要な本を図書館から探し出してくることだった。「誰某の〇〇という本を採ってこい」という課題に、すぐに閉架書庫に入って探し出してくるのだが、最初は難しかった。
師匠の「本は背表紙を見て覚えるんや」の言葉で、毎日、書庫に入ってすべての棚の背表紙を見て覚えた。そのお陰で、カテゴリーを把握し、誰がどのような本を書いたのかが分かるようになった。
マ、和綴じ本を毎日触っていたので、手の皮は一枚剥けてしまった。しかし、図書館の掃除のオバチャンと仲良くなって、ボクの専門の書架だけは、いつも綺麗にしてくれていた。

つまみ食いをするな

どの経典、どの注釈書でも、必要な部分だけ引用しようとすると、「全部読んだか?」と叱られた。すべて読み通さないと、何をどう言おうとしているのか分からない。ひょっとすると、正反対の論証で取り上げているかもしれない。
今は『般若心経』を講じているので、『八千頌般若経』と『大般若経』を通して読んでいるが、分量が多いので大変だ。が、やはり読み通さないと誤解していた部分があった。夏からは『大智度論』をもう一度読み通さなくてはならないと思っている。
こういう指摘が、お聖教を読む時にも必要なことだろうと思う。

経典は縁起のように、お聖教は信心をいただくように

経典を読んでいた時に、「そんな読み方をしたら、縁起にならん」と叱られたことがある。経典はすべて縁起を説くために書いているんだから、縁起のように読むんだと、繰り返し言われた。同じように、御開山のご著書をいただくときは、信心をいただくように読むのだ、と教えられた。そう読めない時は、読み方が間違っているんだから、もう一度読み直せ、と言うことである。
「我々が学んでいるのは哲学じゃない。仏教なのだから、答えは決まっている。勝手な読み方をしてはいけない」と何度も言われた。

弟子は師匠を選べるが、師匠は弟子を選べんからナァ

こういう話をして行くと、さも立派な弟子のように思われるだろうが、研究室の中でもボクは本当に最後の方の弟子だったから、かなり甘やかされて指導されたと思う。
逆らった時に「昔ならドツいていたけどナァ」と言われたり、研究が小さくまとまった時には、「中身が小さいんやから、題なと大きくしとけ」と笑われた。そして、挙句に「弟子は師匠を選べるけど、師匠は弟子を選べんからナァ」という言葉だった。
小さな指導はほとんどなかった。ただ、方法論と体系については揺るぎがなかった。自分が考える時の指針はちゃんと伝えてくれた。
ボクにとっては、師匠というより方便法身であった。浄楠院釋尚邦 享年90歳。今年は十三回忌となる。

執筆者:筑後 誠隆(ちくご のぶたか)
もとマイコン坊主。ニフティのfbudの初代主催者。 龍谷大学大学院単位取得退学 仏教学専攻 専攻は因明と唯識。 本願寺派輔教。徳勝寺前住職。 昭和26年生まれ。 趣味 庭木の剪定と若い坊主を蹴飛ばすこと。(Facebook

「師と仰ぐ」ということ【柳衛法舟】

2年前の5月初旬、僕は真宗大谷派にて「人生二度目の得度」をしました。それから現在に至るまでの間、僕は心の中のどこかで、一つの矛盾のようなものを常に感じていたように思えます。

その矛盾とは、「『全ての人々を摂め取って捨てない』という本願に基づく真宗教団において、何故『疎外感』のようなものを時折感じるのだろうか? この『疎外感』の正体とは、一体何なのだろうか?」というものでした。
この矛盾は簡単に答えが出せるようなものではなく、恐らく一生問い続けていかなければいけない問題だと思います。

僧侶の方と浄土真宗について語り合おうとした時、「(私が学んでいる)○○先生は、このように仰っていた」という発言を繰り返すばかりで、こちらの意見を殆ど受け止めてもらえなかったことが、今までに何度かありました。おそらく本人は「○○先生の言葉は間違いないから、是非知ってもらいたい」という親切心で発言しているのでしょう。けれども、僕の心の内に湧き起こったのは、教えて戴いた感謝の気持ちではなく、押しつけがましさに対する不快感でした。白状すると、○○先生の話を聞きたいと思うどころか、「意地でも聞くものか」とすら思いました。
僕は何故、不快な気持ちになったのでしょうか。それは「○○先生に学べた私は幸せ者だ」という「選民意識」のようなものを感じてしまったからです。写真のポジにはネガがあるように、「選民意識」の裏には必ず「選ばれなかった民への眼差し」が伴います。言葉の裏に「今まで○○先生に学ぶご縁のなかったあなたは可哀想だ」という眼差しを感じ、とても嫌な気持ちになったのです。
以下、この出来事を念頭に置きながら、皆さんと一緒に「師と仰ぐ」ということについて、考えてみたいとおもいます。

この出来事に限らず、浄土真宗の僧侶の世界では「師との出遇い」をとても大切にします。その背景には「『師との出遇い』が無ければ、本当に本願念仏の教えに出遇ったとはいえない」という考え方があります。これは、親鸞聖人が本願念仏の教えと出遇う上で、師である法然上人との出遇いが決定的な意味を持ったことを根拠としています。僕も、「師との出遇い」が大切であるという点に、異論はありません。
しかしながら、「しっかりとした先生の下で学ぶことで、必ず教えと出遇える」ということにはならないはずです。事実、法然上人の下には数多くの門弟が集っておりましたが、浄土真宗の立場から言えば、本願念仏の教えに出遇えた者は数えるほどだったからです。
むしろ逆に、「教えに出遇えた」という事実に立った時にはじめて、その縁となった方が「師」として見出されるのではないでしょうか。もっと言えば、今まで出会っていたはずの方と、師として出遇い直すということがあるのだと思います。

少し意地悪な言い方になりますが、「○○先生はこう仰っている」という方は、本当に○○先生を「師と仰いでいる」のでしょうか。自分自身が本願念仏の教えに出遇った、救われたという体験がなければ、○○先生との関係は単なる教員と学生との関係でしかありません。そうした表明も不十分なまま、「私は○○先生に学べて幸せだ」「私は××学校で学べて幸せだ」とことのほか言い立てる裏には、自分自身の歩みに対する自信の無さすら感じられてしまいます。
何より、他人が本当に教えと出遇えたかということは、心の奥底の話になりますから、外見や経歴から窺い知ることは出来ないはずです。もし、自分とは違う経歴であること、例えば龍谷大学や大谷大学といったしっかりとした教育機関で学んでいないことから、「この人は教えに出遇っていない」と決めてかかるのであれば、それは傲慢な姿勢と言われても仕方ないのではないでしょうか。

さて、皆さんは「師との出遇い」について、どのようなイメージを持っておられるでしょうか。恐らく、多くの方は実際に顔を突き合わせた師弟関係、所謂「面授口決」の関係をイメージされるかと思います。確かに、多くの方が「私の師」として挙げられるのは、学校や私塾で教鞭をとられた教学者がほとんどです。
勿論、「師との出遇い」のオーソドックスな形が、教育機関における教学者との師弟関係であることは間違いないと思います。けれども、例えば僕のように教育機関に所属して教学者から直接学ぶ縁になかった者はどうしたら良いでしょうか。「師との出遇い」が成り立たないから、教えと本当に出遇うことは出来ないのでしょうか。
僕は、「師との出遇い」は、直接の師弟関係に限定せず、もっと広いつながりでもって捉え直して良いのではないかと考えています。それこそ、極論かもしれませんが、自分が根底からひっくり返されるような教えとの出遇いがあれば、本を通じて「師と仰ぐ方」と出遇うことも出来るのではないでしょうか。既に亡くなった方であっても、書かれた文字を通して、それこそ時空を超えて出遇うことが出来るのであれば、それはとても素晴らしいことではないかとも思うのです。

なお、これはあくまで僕の個人的な意見ですが、自分の師が誰かについて、あまり積極的に表明していく必要もないように感じます。勿論、教学理解に対する議論などで自分自身の立ち位置を示す必要がある時には「名告る」べきでしょうし、ことさら隠す必要もないでしょう。ただし、わざわざ「○○先生が私の師だ!」言い立てなくても、本当に師と仰いでいるのであれば、自ずと言葉や行動に表れてくるはずです。これこそ、師と仰ぐ方への敬意を表しているのではないでしょうか。
僕は「師の言葉」よりも「師を縁として、出遇った教えとは何か」「教えと出遇ったことで、自分自身にどのような転換を迫られたのか」ということが重要だと考えています。ですから、「教えによって、転換を迫られた自分」というものを、自分自身の言葉でもって表現していきたいし、そのような表現に出会っていきたいと思っています。本願念仏の教えが僕一人に届くまでに、そのような営みが絶えること無く続いてきたはずであり、その担い手の方を心より尊敬するからです。

最後になりますが、生まれや経歴を問わず、一人でも多くの方が様々な縁のもとで御念仏の教えと出遇い、先達の中から「師と仰ぐ方」を見出して戴きたいと念じています。そして、ご自身が「師と仰ぐ方」と同様に、ご自身の言葉でもって、御念仏の教えを喜んで戴きたいと念じております。
そうして紡がれた言葉が、新たな念仏者を生んでいく。そうした広がりこそが、浄土真宗の僧伽の本質ではないかとも思うのです。

執筆者 柳衛 法舟(やなぎえ ほうしゅう)
1982年東京都生まれ
学習院大学大学院人文科学研究科博士前期課程史学専攻修了、真宗大谷派教師。現在、真宗大谷派成真寺衆徒として法務に携わる一方で、東京にて団体職員として仏教書の出版事業に従事。(Facebook
著書に『ニセ坊主 僧伽をおもう―本願寺維持財団と真宗大谷派』(響流書房)

慈悲に聖道・浄土のかわりめあり【朝戸臣統】

熊本で、大きな地震が起きました。何十人もの命が失われたばかりでなく、未だに余震が続いていて、多くの人たちが不安な日々を過ごしておられるようです。家が崩れ、道路が寸断され、命が失われていく中で、当たり前のようにあった目の前のものが、ガラガラと音を立てて崩れていくかのようです。
自然は、時に豊かな恵みを与えてくれるけれども、時には残酷な災害ももたらしてしまいます。

ここ数十年で、私たちは様々な大災害に見舞われ、その度に力を合わせて復興の道を歩んできました。同時に、人間の力の無力さを知らされ、自分の力の限界もイヤと言うほど知らされました。
住む家も、道路も、水や食料も、そして家族や知人がいてくれることを「当たり前」だと思い込んでいた私から、その当たり前が奪い取られてしまう。「どうしてこんな目に遭わないといけないのか!」と叫びたくなるばかりです。
どんなにお念仏申したからといっても、お念仏で災害に遭わなくなるわけではありません。お念仏で経済的な支援をいただけるわけでもありません。
あらためて、私たちにとってのお念仏とは、いかなる意味を持つのでしょうか。

歎異抄 第四条には、「お慈悲」には二通りあるのだという、親鸞聖人のお言葉が示されます。

 あるとき、親鸞さまはこう言われた。
「慈悲」というものについて、私たち他力門と、自力をたのむ聖道門とでは、考え方がちがう。
 聖道門の慈悲とは、他人やすべてのものをあわれんだり、深くいとおしんだり、自力のちからでたすけようとする気持ちと、その行為のことである。
 しかし、はたしていったい、ほんとうに自分のちからで他の人びとを根底から救うことなどできるものなのだろうか。
 我々の信じる他力の慈悲というのは、すべての人は念仏によってまず浄土に生うまれ、そこで仏となる。その結果、新たな力を得えて人びとを救うことができるという考えかたである。
 この世において、どんなに他人があわれで可哀相に思われても、自力で思うがままにそれを救済することなどできないことなのだ。そのことを思えば、自力の慈悲にたよることだけでは十分ではない。だからこそ、ただひたすら念仏することに徹底することが、ほんとうの慈悲の心と言うべきだろう。
(五木寛之氏『私訳歎異抄』より)

多くの命が失われ、避難所でつらい思いをしておられる方々の映像をテレビで見ながら、「かわいそうだなあ、何とかしてあげたいなあ。」と思う自分がいるのも事実です。
でも、そう思いながら、いつもと同じようにごはんを食べれば、ちゃんとのどを通ります。いつものように晩酌をし、ぐっすり眠っている自分がここにいます。
私の中からわき上がってくる、何とかしてあげたいという「お慈悲」の思いは、あまりにいいかげんで、頼りないものでしかありません。

目の前にある「当たり前」が崩れ去っていくのは、災害ばかりではありません。突然の事故や、大病を患うなど、様々な人生の苦難に遭わねばならないのが、私の現実でもあります。
私自身は、四年前の交通事故で、今までの当たり前が私の手から奪われていきました。与えられていた仕事もすることができず、家族や周りに心配をかけ、ただベッドに横たわるしかない現実の中で、「どうしてこんな目に遭わないといけないのか!」と強く思いました。
その一方で、「当たり前」を失ったことで、何が本当に大切なことなのかを知ることができたように思います。家族をはじめとして、多くの仲間たちに支えられ、今まで暮らしていたことに、あらためて気付いたのです。「当たり前」ではなく、実は「有難がたい」ものに支えられている私でありました。
「有り難い」ということは、ずっと有り続けることが難しい、ということでもあります。私が普段から大切にしているものは、いつまでもアテにはならない、ということです。家族も、健康も、お金も、地位も、場合によっては家や食べ物さえも奪い取られていく私である、ということです。
アテにならないものをよりどころとして生きているのが、私の姿なのです。自分の中にあると思っていた慈悲の心も、全くアテになりませんでした。
 「他人やすべてのものをあわれんだり、深くいとおしんだり、自力のちからでたすけようとする気持ち」さえも末通ることなく、平気で食べ物がのどを通るのが、私の姿なのです。

親鸞聖人は、そのような私が自分の力で行おうとする慈悲は、どうしても末通らないものなのですよ、と示されました。
同時に、本当に末通ったはたらきは、阿弥陀様のお慈悲の心であると示されます。
「必ず救うぞ。我われにまかせよ。」
という阿弥陀様の願いが、私のよりどころとなるのです。
災害に遭わないのが当たり前、事故に遭わないのが当たり前、平穏無事に暮らしているのが当たり前だと思い込んでいた私から、その当たり前が奪い取られたときにこそ、
「どんなことがあっても、汝を必ず救いとるぞ。」
という、どんな条件も付けることのない阿弥陀様の救いが、私のためであったと確かに頷けるのです。
残念ながら私の中には、末通ったお慈悲はありませんが、その私を必ず救い、仏と成らせていくという大きなお慈悲の中にあるのだと知らされます。それは、どんなことがあっても私を捨てることがないという、摂取不捨のお誓いです。
そのお慈悲のはたらきの中にあればこそ、私の中にある慈悲の思いが末通らないものであることを自覚することができるのです。阿弥陀様のお慈悲の心こそがホンモノの善であるならば、私の中にある慈悲は全くのニセモノですから、「偽善」でありましょう。
だから、私が行うことは全て偽善であると自覚しながら、今回の震災にも関わっていきます。ボランティアも、義援金も、災害支援の活動や思いは、私の中にある偽善でしかないけれども、できることを積み重ねていきたいと思っています。
阿弥陀様のお慈悲のぬくもりに、少しでもかなう生き方をめざしていきたい。お念仏を申しつつ、偽善を積み重ねながら、「困ったときはお互い様」の支援を共にしていけたらと思います。

神通寺報2016年4月号より(朝戸臣統)