お坊さんになりたい! 【釋 慧空】

私は今、お坊さんになりたいと思っています。

そこには、私とお念仏とのであいがありました。
81o-77aWlCL私は「落語でブッダ」というテレビ番組がきっかけでお念仏を知りました。 初めて番組を見たとき、お念仏の素晴らしさにすごく感動したのです。
実を言うと、私は4歳くらいから、ある仏教系の新宗教に入っていたので、小さいときから仏教に関わってはいたんです。なので、仏教には親しみを持っていたけど、お念仏のことは知りませんでした。
けれど、「落語でブッダ」のあと、お念仏のことが気になり、どんどん好きになりました。
何か、今までの自分と違う感じがしました。
私は、そのお念仏をもっと学びたいし、もっと弘めたい。
そして、大好きなお念仏をよりどころとする、お坊さんになりたいと思いました。

でも、私の思いをそのまま受け止めてくれる人ばかりではありません。
お坊さんになりたいという私の思いを伝えても、怪しんだり、疑ったりする人がいます。
「仏教なんて危ないよ。いつ詐欺等に会うか分からないよ。だから辞めておいたほうがいいよ」って。
その人たちは、仏教の中身を知ろうとせずに、世間体しか見ずに、疑いや批難をしているように思えてなりません。
仏教やお念仏は、決して怪しくなんかないのです。
でも、そんな人たちに話を聞くと、必ずと言って良いほど共通の言葉が返ってきます。
「どうせ救われないよ。」って。

10584273_1477968915795372_1425052148_n私は、それは違うと思います。
疑いなく念仏を称えたとき、ご信心により救われるんです。
私はそう聞かせていただくんです。
だから私は、お念仏を喜ぶ人だけでなく、お念仏を疑い、避難する人たちにも、阿弥陀様のみ教えをきちんと伝えられる、そんなお坊さんになりたいです。

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自己一人(いちにん)を育てる。【三浦まゆみ】

このコラムの読者の皆さんは、「仏教婦人会」というのをご存知ですか?

うちのお寺にもあるわ、私も会員です、というお方もいらっしゃるでしょうし、ご存じない方もいらっしゃるでしょう。

特に本願寺派では、仏教婦人会の活動が大変盛んです。聞法に、奉仕に、キッズサンガ(子ども会活動)、おとき作りにと、お寺の活動は略称「仏婦(ブップ)」さんなくては行き詰ってしまいます。でもこの仏婦、自称仏教ジェンダー論者の私としては、いろいろ問題があると考えています。

私の所属する西順寺の仏教婦人会は、大変熱心で、お寺の者がいなくてもどんどん進みます。みなさん何をすればよいか十分心得ていらっしゃるので、指示する必要がないのです。

では、問題がないか、といえば、あります。

一つは、「婦人」という名称です。この言葉には既婚女性というイメージがあります。実は、西順寺の中でも、私は結婚もしていないし子どももいないので、居心地が悪い、と仏婦を辞められた方がいらっしゃいます。

反対に、お連れ合いに先立たれた男性が、順番なので、と役員を引き受けて下さることもあります。

仏教婦人会の大会などでは、「仏教婦人会綱領」というのを、読み上げるのですが、この「綱領」は、

「私たち仏教婦人は、真実を求めて生きぬかれた親鸞聖人のみあとをしたい、人間に生まれた尊さにめざめ、深く如来の本願を聞きひらき、み法の母として念仏生活にいそしみます。 」

<唱和>

一、ひたすら聞法につとめ、慈光に照らされた日々をおくります。

一、念仏にかおる家庭をきずき、仏の子どもを育てます。

一、「世界はみな同朋」の教えにしたがい、み法の友の輪をひろげます。

というものです。特に二番目の「念仏にかおる家庭をきずき、仏の子どもを育てます。」というのは、前述のシングルの女性には、疎外感を感じさせることでしょう。

どうすれば、ジェンダー、つまり、男は仕事、女は家庭などの、性差による決めつけを固定しない会にできないだろうか、とずっと考えていました。

ところが、ある先生のお話を聞いていて、思わず「あっ」と声を出しそうになりました。

それは、決して初めて聞くお話ではありません。「真宗仏教と祈り」という題でした。「祈り」ということは、浄土真宗ではあまり用いませんが、真宗の祈りは、如来が一切衆生のために祈る、ということがテーマでした。祈りというと、衆生が仏に祈ることというのが一般的だが、真実の祈りとは、如来が私を祈っていてくださることだ、というお話でした。こういう方向性の逆転は、決して初めて聞く話ではありません。

写真は、1985年4月、写っているのは亡くなった祖母と、長女です。この長女もすでにお母さんです。
写真は、1985年4月、写っているのは亡くなった祖母と、長女です。この長女もすでにお母さんです。

その時突然「仏の子どもを育てる」ということは「自己一人(いちにん)を仏の子どもとして育てる」ということだ、という声が聞こえたのです。

「子ども」と聞いて、自分の産んだ子どもだと思い込んでいたので、結婚していない子どももいない女性には疎外感を感じる、と思っていました。育児を女性の仕事と決めつけている、とも感じていました。

「子ども」とは、自分以外の小さい人のことではありません。他ならない自分自身なのです。このわが身一人を「仏の子ども」として育てることが、私自身の大仕事なのです。ほかの誰でもない、自分自身の責任なのです。

私の居場所が家庭です。私の居るこの場所を念仏の香る場所にする責任は自分にあります。

そう考えると、この「綱領」は、「婦人」だけのものではありません。

男性であるあなた、あなた自身を「仏の子」に育ててくれるのは、お母さんでもお連れ合いでもありません、あなた自身です。

このことがはっきりしたので、私のもやもやしていた「仏教婦人会」に対する思いは、明確に見えてきました。もちろん住職の独断では決められませんが、一つの形が見えてきました。

女子会流行の昨今、女性たちだけで話したいこともあるでしょう。男性だけで盛り上がりたいこともあるかもしれません。その場は尊重しつつ、女性も男性も、「御同朋・御同行」として、共に歩める同朋会に発展させていきたいと考えています。

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