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花粉症と阿弥陀様 【平野 正信】

僕のつれあいは花粉症です。
花粉がいよいよ飛び出した時期には、毎年花粉メガネに花粉カットマスクという完全防備の姿になります。

先日、今年もその時期が来たかとつれあいは準備していたメガネとマスクを装着したのですが、まだ一歳に満たない息子は母親のその姿が、かなり恐ろしかったらしく、母の姿を見るなり大泣きしてしまったのです。
普段は母親べったりで、あまり僕にすがりつくようなことは無いのですが、その時ばかりは完全防備お母さんから逃げ惑い、恐怖の表情でもって僕にすがりついて来たのでした。

すると、息子が泣きながら逃げていくというのがショックだったのか、つれあいまでポロポロと涙を流し出したのです。
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僕はというと、一人でその状況が面白くなってしまい、二人が泣いているのを見ながら一人で大笑いしていました。(ひどい男です)

そして、騒動が終った後、つれあいに
「あっくん(息子の呼び名です)に逃げられたのがそんなに泣くほどにショックやったん?」
と聞くと
「それもあるけど『目の前のお母さんが急にいなくなってしまった』っていうあっくんの気持ちを思うと泣けてきたんだよ。」
と答えてくれました。

これは僕にしたら想定外の答えでした。
僕はてっきり「息子に嫌われたから泣いた」と思っていたのです。しかし、それだけでなく「息子に共感してしまって泣いてしまった」のでした。

「お母さんはずっとココにいるのに
『お母さんがいなくなった!こわいよー!』
と不安になって泣いている。
お母さんはココにいるよー
気付いてよー
大丈夫だよー」
という気持ちで泣いたのだそうです。

この気持ちって「私がいるからまかせてくれよ」と喚び続けているのに、その声に気付かずに目の前で泣いている衆生を見ている仏様のようじゃないですか。
僕は「二人で泣いてにぎやかで面白いなー」程度に思って一人で楽しんでいたのですが
「なんとまあ、母親というのはそんな気持ちになるものなのか…」
とえらく驚いて、感動したのです。

「親がココに居るのに、居ないと思って苦しんでいる子の気持ちに共感してしまって辛い」という気持ち。僕はそんな気持ちにはなったことが無いけれど、最も身近な母子をご縁にそんな気持ちがあるのだなと聞かせてもらいました。

なるほど、阿弥陀様は悲しんでこられたのだなと思ったのです。
ずっとずっと。南無阿弥陀仏を完成されてからも、ずっと悲しんでこられた。
阿弥陀様を悲しませていたのはだれか?
それは、お慈悲のど真ん中にいるのに、阿弥陀様なんて居ないと泣いていたこの私。

そんな風に聞かせていただけた日でした。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

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ながむる人の 心にぞすむ 【平野 正信】

今年はお盆まいりのお手伝いに北海道に10日間ほど行ってまいります。

そんな訳で、その間、つれあいと生後2ヶ月の息子は長野県の実家で過ごすこととなりました。 現在は離れた場所で生活しています。

つれあいの実家は涼しくて空気が綺麗で、自然いっぱいのところです。 家族も優しく面倒見も良いので、安心しています。

しかし、つれあいと息子を長野まで車で送り、その帰り道から既に僕は寂しくてしょうがないのです。 今生の別れでもあるまいに、2週間ほどでまた大阪で一緒に暮らすのだから、そんな大袈裟なことでは無いんですが、既に家族シックにかかっています。

毎日、つれあいが送ってくる動画をスマホで見てはニヤニヤしたり、ホロリとしたりしています。

そんななか、法然聖人の歌った歌を思い出しました。

月影の いたらぬ里は なけれども
ながむる人の 心にぞすむ

という歌です。

私なりに訳しますと
「月の光が照らさない場所はどこにも無いけれど
ああ、月が綺麗だなあ、という気持ちは
月を見上げる人の心にこそある」
このようになるかと思います。

この歌は阿弥陀様のおはたらきを月の光にたとえたものです。

阿弥陀様は無限のひかりの仏様です。 全てを包み込む光の仏。

長野と大阪、長野と北海道は、地理的には遠く離れていますが、ともに阿弥陀様の光の中です。

南無阿弥陀仏のお念仏は、阿弥陀様の光に照らされ、今まさに救われる身となっている私からあふれる、仏様の声、仏様そのものです。
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私と妻子は、離れた場所にいても、阿弥陀様の光でつながっています。

つれあいには、携帯用の小さなご本尊をわたして、毎朝あっくん(息子)と手を合せてください。と言ってあります。

もちろん、お念仏を申したからといって、触れられない寂しさが無くなるわけではありません。息子の重さを感じたいという切なさが消えるわけではありません。 寂しいのは寂しいのです。

しかし、お念仏申す時、その寂しさはただの寂しさではなくなります。 寂しいからこそあふれてくださる南無阿弥陀仏があるなら、寂しさもまたご縁です。寂しさは消えないが、寂しいままにありがたいのです。

私達は少し離れて暮らしています。 でも、一緒にお念仏もうさせてもらう家族です。

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我が一人子として 【平野 正信】

前回、もうすぐ生れてくる子供に名前をつけたというお話を掲載していただきました。
あれから少しして、つれあいが出産してくれて、明法(あきのり)が生れてくれました。

私は大阪で仕事、つれあいは長野の実家で出産、ということもあり、出産に立ち会えるか立ち会えないかは微妙なところでしたが、運良く休み中に陣痛がはじまり立ち会うことが出来ました。
立ち会えて良かったと思います。

男性の中には、立ち会いは「こわい」「あまり立ち会いたくはない」と言う人がいますし、そういう気持ちもわからなくは無いです。いや、実はとても良くわかります。

なにせ修羅場です。今から激痛に耐えるつれあいを見なければならない。励ますこと以外は何も出来ない、というのは確かにこわいのです。

でも、是非これからという人は、パートナーが望む場合は立ち会ってほしいと思います。
私達男性はこわいだけ、女性はこわいどころの騒ぎじゃなく、今から実際に体験するのですから。

陣痛のタイミングに合わせ、つれあいが苦悶の表情でいきみます。何度も何度も何度も、朦朧と激痛を繰り返す姿はとても痛々しいものでした。

そんな中、最後に産声が聞こえ、明法(あきのり)が誕生しました。
はじめて明法の泣き声を聞いた時はとても感動しました。

翌日は何故か僕も色々なところが筋肉痛になっていました。
それだけ力んでいたということなんでしょう。
しかしまたここからが大変でした。

出産から数日間、つれあいは生れたばかりの赤ちゃんと一緒に過ごすことが出来たのですが、数日後つれあいは40度を超える高熱を出して倒れてしまったのです。
産褥熱(さんじょくねつ)という病気で、出産後の感染症でした。
即入院でした。

明法はつれあいの実家で世話することになりました。
入院翌日、熱はあるものの少し楽になったとのことで、私はつれあいの身の回りのものを持って病院に見舞いに行きました。

「少し楽になったようだし、育児のつかれもあるだろうから、今は育児から離れてゆっくり休めばいい」
と声をかけると、つれあいはポツリと

「あっくんに会いたい」

と言ったのです。
そして今まで見たことの無い寂しい表情をしました。

10329274_544263962348595_1977373831888232437_n十月十日、おなかの中に一緒にいた明法、生れてからは寝かしつけおむつをかえ、乳も飲ましてひと時も離れることがありませんでした。
飲まれなくても胸は張ります。入院当初、検査結果が出るまでは、せっかくの母乳を捨てなければなりませんでした。

私がつれあいにかけた
「今は育児から離れてゆっくり休めばいい」
という言葉は、私は優しさのつもりでしたが、つれあいにとっては残酷な言葉であったかもしれません。

つれあいは休みたいのではなく、この手に抱いて、世話をして、乳をやりたかった、明法に触れていたかったのです。
私はこの時、ある御和讃(ごわさん)を思い出しました。
浄土和讃(じょうどわさん)の

平等心(びょうどうしん)をうるときを 一子地(いっしじ)となづけたり
一子地は仏性(ぶっしょう)なり 安養(あんにょう)にいたりてさとるべし

という御和讃です。

一子地とは、菩薩(ぼさつ)が一切の衆生(しゅじょう)を我が一人の子として慈しんで見ることが出来るという境地です。

つれあいは明法を一人子として見ています。
そして、慈しみと同時に、今つれあいは悲しみ、寂しさの中にいるのだな、と思いました。

 

つれあいが
「一子地って何?」
と聞きました

「あなたが明法をおもうのと同じ気持ちで、全ての生きとし生けるものを見ることが出来る、菩薩様の心のことだよ」
と答えました。

つれあいは少し押し黙って
「そっか、…それは私には無理やなあ」
と言いました。

私も同じように思いました。
一人子と離れることの辛さに打ちひしがれ、一人子を心配してたまらない気持ちになっているつれあいを見ていると、全ての生きとし生けるものを、これ以上無いほど大切な仏の子と思いやってくださっている仏様は、一体今までどれほど悲しんでこられたのかと思ったのです。
仏様の慈悲はやさしさ、ただただ嬉しい気持ち、と思っていた私は、ハッと気付かされた気がしました。
離れ離れにされた母子のように、救いたいと必死によびかけてきた数知れない衆生が、また命つきては輪廻の中に埋もれていく。
それを阿弥陀様はどれほどの悲しみで見てこられたのか。

「あなたを救いたい」とずっとよびかけてきた呼び声が、そのものの生涯の間にとどかなかった虚しさは、どれほどに寂しいお気持ちであったのでしょうか。
数日経ち、血液検査の結果も出て熱も下がり、つれあいは退院することが出来ました。
そして、少しの間離れていた我が子を、また抱くことが出来ました。

この時の「よかった」という気持ちは、私がお念仏申すとき、阿弥陀様が私に向けてくださる気持ちと似ているのかもしれないな、と思いました。

「ずっとよんでいたよ
よかった
南無阿弥陀仏をやっとうけとってくれたね
よかった」
私をおもって悲しみ続けてきてくれた阿弥陀様が、今やっと私を一人子として抱きしめて、よろこんでくださっています。

お念仏をいただくとは、仏様に抱きしめられることなんだ。
そのように味あわせていただくご縁でした。

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いつか念仏もうす人に 【平野 正信】

私事ですが、もうすぐ私達夫婦のところに子供が生れてきます。

命のスタートという意味、受精卵となった時に既に生まれているということなのでしょうが、母の身体から出てきて娑婆の空気を吸うのはもう少し先のことです。

一つの生命が今お腹の中で育っているといのは、何とも不思議なものですね。

ところで、私とつれあいの約束事で、子供の名前については、子供が男の子ならば私が決定権を持ち、女の子ならばつれあいが決定権を持つ、という風に決めていました。

もちろん話し合いはしますが、最終的な決定権は同性の親が持つ、という約束事です。

そして、エコー検査の結果、ほぼ男子で間違い無いということがわかりました。
(まあ、生れてみたら違ったというケースは良くあるらしいですが)

という理由で、名前の決定権は私が持つということになったのです。
名前というのは重要です。
なにせ、一生ものですから、こりゃあ責任重大だ、と思って色々と案を出したのですが、何となくシックリこない。

どうしたものか?
と考えていたある日、お聖教を読んでいて
「お!この名前にしよう」
と直感的に思いまして、名前を決定しました。

1510989_530103167098008_4263069880652851984_nその名前は
「明法(あきのり)」
です。

この名前はあるお方の名前から頂戴しました。
その方は、親鸞聖人のお弟子様の一人、明法房(みょうほうぼう)です。

明法房は親鸞聖人の弟子になる前の名前を弁円(べんねん)といい、山伏でした。そして、彼は親鸞聖人を殺害しようとした人です。

山伏弁円は、親鸞聖人が説く念仏の教えが広まることを良しと思わず、親鸞聖人を殺害しようと草庵に押し入りましたが、殺そうとしていたはずの聖人のお人柄に触れ、心を翻して念仏のみ教えに入り、親鸞聖人の弟子として法名をいただたいた方です。

聖人より早くご往生され、その知らせを聞いた親鸞聖人に「うれしいことだ」「めでたいことだ」と喜ばれた方です。

五逆の罪人であったはずなのに、お念仏の教えに出遇い、最後には親鸞聖人にその往生を喜んでいただけるなんて、こんなに幸せな人が他にいるでしょうか。

私はこの幸せな人、明法房の名前を頂戴し、子供の名前を明法にすることに決めました。
名は親の願いです。
私が彼に願うこと、それは

どんな生き方をしてもかまわない、たとえ、これ以上無いほどの罪を犯す人になってしまったとしても、いつの日かお念仏をよろこべる人になってほしい

これだけです。
親子であっても、彼もまた仏に願われた仏の子ですから、仏様の子をおあずかりさせていただき、この手に抱く時を、お念仏申させていただきながら待っております。

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