苦悩を自分ごととする難しさと、苦悩を自分ごととされている有り難さ。 【高蔵 大樹】

職場の雰囲気がいつもと違う!

昨日、私の尊敬する上司がパソコンでカタカタ休む間もなく作業しており、
そのデスクに目をやると、文字通り、書類の山、山、山。書類のヒマラヤ山脈が築かれていました。mountain
「ちょっと高蔵くん、手、空いてる?手空いてたらでいいから、文章間違えてないかチェックして見て。」と、無造作にその山々のほんの一部分(天保山級)を渡されまして、
あぁ、、、うわぁ。これは、、、上司、大変そうだなぁ。と。

心配したのと同時に、
「この件全て私が引き受けます、私にまかせてください!」と、代わりにやりとげたら、仕事デキる部下な感じがしてかっこいいぞ!出世だ!出世!
そんな打算的な事も思いつきまして。
いつ出世するの?今でしょ!ばりの気合いで渡された書類に目を通してみました。
・・・。

ふぅ。

マンションの契約書とか、ネットの契約書とかって凄くややこしいですよね。
私は基本的に説明書とか面倒で読み飛ばして丸めてポイしちゃうタイプなのですが。
その資料もそういった類のもので、一枚数行見ただけでめまいと吐き気が、、、orz。
手元を見ると渡されたものだけで十三枚。
上司のデスクを見ると、そこには険しく高く並びそびえるヒマラヤほどの資料の山。山。山。

たかがプリント一枚数行で高山病になってしまった私は席を立ち、
パソコンで忙しそうにカタカタ作業しつづけ、更に資料を重ねている上司の横をそっとすり抜け、
ガタンと外の自動販売機で買ったコーヒーを飲みながら、ガクンと肩を落とし昼さがりの空を見て思いました。
「上司。私はここで下山します。僕のことは気にせず後は頑張ってください。」
私は、上司の問題を、手に負えない問題ときづき、わたしごととできずに終わりましたが。
「名乗りをあげる」「責任を負う」「問題を自分事にする」というのは、実は凄まじい事なのでした。

阿弥陀様は修行時代、自らの師匠の前で、今までのどんな仏様も成し得なかった願いを誓われています。
それは「自らの力では迷いの世界を抜け出せない私たちを、誰一人としてもれることなく迷いの世界から救い出します。」といったもので、
それは今までのどの仏様も、目の前の師匠の仏様ですらも思い付かなかった、やり遂げる事のなかったすごい事でした。
阿弥陀様は、そんな今までのどんな仏様も解決できなかった難問中の難問を、
「わたしがやります!任せてください!できなかったら私は仏になりません!」と手を挙げ、言いきって、自分事としてくださっておられます。すさまじい事です。

しかもただ手を挙げただけではありません。ただ言って誓って終わりじゃありません。
実際に長い長い気の遠くなるような時間を費やし、厳しい厳しい修行の果てにその願いを達成されきっておられます。
しかも、よーし、できた。で終わりじゃないのです。まだまだそこで終わりじゃないのです。
そこからさらに今もなお、南無阿弥陀仏としてこの我が身にはたらき続けてくださっているのです。

cat欲張るなと言われても欲張るし。怒るなといわれても怒るし。
正しくものを見なさいといっても、自分勝手にものを見てしまう。
信じなさいといわれてもなかなか信じる事のできない私。
そんな、迷いにつきすすむ私たちに、「我にまかせよ。必ず救う。」と言いきり、やりきって。
南無阿弥陀仏という救いそのものを完成させ、いまもなお、この我が身にはたらき続けて、呼びつづけてくださっているのが阿弥陀様でした。

阿弥陀様のご苦労に思いをはせ、いまなお、摂めとられている有り難さを噛み締め。
コーヒーを飲み干し。
ほっぺた叩いて気合を入れ直し。再び上司のデスクの上の書類のヒマラヤ山脈に意識をむけ、思いました。
「上司。私はここで下山します。僕の事は気にせず後は頑張ってください。」

・・・

やっぱりあんまり私はかわりません。
私のほうはあんまり変わりませんが、
苦労を知ると、そんな私もサボるにサボれない、、
嫌々ながらもいつもよりほんのすこし大切に仕事に向かうのでした。
おあとがよろしいようで。

南無阿弥陀仏。

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みんな違って有難い 【根来 暁】

のっけから告知で申し訳ありませんが、第四回真宗合同布教大会が、2月21日(金)真宗興正派本山興正寺内の興正会館で開催されます。午前9時半から午後5時半まで、13名の方の法話、感話を一日でお聴聞できるご縁です。ぜひご一緒にお念仏申させていただきましょう。

seppou2年前のある大谷派僧侶のFacebookでの「東西本願寺合同の布教大会をやりたい」という一言を見て、私が「それ、おもしろそうじゃない。できますよ」ってコメントして始まった企画でした。
広島県はほとんどが本願寺派の寺院ですので、いろいろな大谷派の方と、ゆっくりと話す機会があまりありませんでした。そして、断片的に聞く話しを通して、「同じ真宗でも、やっぱり違うんだな」ということばかりが気になっていたことです。だから、東西本願寺合同で何かをすれば、違いがはっきり分かって、よりおもしろいんじゃないかと思ったのです。
企画が進むにつれて、「東西だけでなく、真宗の各派、単立のお寺も合同で」ということになり、いままで聞いたことのない宗派の法話もお聴聞でができる、とワクワクしたものです。

そして、第一回大会当日、お聴聞をさせていただいた結果は、お念仏に出遇えたということは、他人も私も何の違いもない、ということでした。「南無阿弥陀仏」の響きは、性別や年令、地域や育った環境、そして僧侶や門徒、あらゆる違いを超えて届いていたのです。そしてその違いに差を感じていたのは、自分の方だったんだなと思わせていただきました。会場内でのお念仏の響きによって、「違いがあっておもいしろそうじゃないか」という私の思いは、「違いがあっても、みんな同じで有難い」という思いへ変えられたのです。

いろんな出来事を、私の側から考えれば、「私とあの人とは違う」という結論にしかならないのが、私のものの見方です。そこには必ず「差」がおこります。「多い、少ない」「長い、短い」「深い、浅い」「善い、悪い」……などなど。しかし私の思いを超えて届いてるものがあり、そして同じものが目の前の人にも届いていると聞かされたとき、違いがあって有難いと、認め合っていける場が与えられるのではないかと思います。

2月21日は、一聲でも多くのお念仏を一緒にお聞かせいただきましょう。

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ぞうさん 【藤堂 尚夫】

童謡「ぞうさん」を、幼少の頃歌った記憶のある人は多いことと思います。この「ぞうさん」は、まどみちおさんが詞をお書きになりました。。

ぞうさん ぞうさんzousann
おはながながいのね
そうよ  かあさんもながいのよ

一見素朴で見たままを詠んだだけの歌詞のようですが、まどさんはもっと深い意味をこの歌詞に与えていました。
阪田寛夫さんはまどさんからこう聞きました。
あの歌は、動物が動物と して生かされていることを喜んでいる歌なのです。「お鼻が長いのね。」 と悪口を言われた象の子が、「いちばん好きなお母さんも長いのよ。」と誇りをもって答えたのは、象が象として生かされていることが、素晴らしいと思っているからなのです。(「『ぞうさん』 とまどさん」)
誰が好きなのと聞かれて「かあさんがすきなのよ」と答える二番の歌詞とあいまって、自分の生かされている命を素晴らしいと肯定する子象の姿が浮かび上がってきます。自分を「生かされている」身と捉えた上で、生きることの本質を、「ぞうさん」は私たちに語りかけているのです。

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初心忘るべからず 【吉峯 教範】

二十歳の成人式の夜、その流れで中学時代の同級生やその友人たちと夜遅くまで飲みながら語りあっていた時のことです。
yankee当時の流行だったツッパった暴走族風の格好をしたその中の一人が、「まあワシらも、若い頃にはいろいろ無茶なこともして随分親に迷惑もかけたけど、この歳になるまで無事におらいてもろえたがやもんな。喜ばいてもらわんなんぞいや(この年齢になるまで無事に娑婆に命をいただくことができたんだものな、感謝して喜ばさせていただかなければいけないなあ)。」としみじみと口にしたのです。

リーゼントでヤンキー風の兄ちゃんの口から、まるで篤信のお年寄が言うようなセリフが飛び出したことに滑稽さを感じるよりも、むしろこうした言葉が仲間内の会話の中で何気なく普通に出てきたことの方に私は強い衝撃を受けたのです。

当時私は大学で仏教の勉強していたのですが、自分も含めて当時の大学の友人同士の会話でそんな言葉が出てくるような場面には一度も出会ったこともなかったし、私自身そんなことを考えたことすらありませんでした。
土徳とでもいうのでしょうか、おそらく仏教の教えなど学んだこともない彼の口から、妙好人が話すような言葉が実感を伴ってサラッと出てきたのを耳にして、私はただただ恥じ入らずにはおられなかったのです。

そう、私は仏教の教義や歴史、文献ついての知識はあっても、仏教そのものがまるで我が身についていないということを思い知らされたのでありました。

「仏法は知りそうもない人が知るぞ」(蓮如上人聞書166)

後に、蓮如上人のこの言葉に出会った時、とっさにこの時の事が思い出されたものであります。

その後、大学を終えて帰省した私が更に驚かされたのが、地元の年老いた門信徒たちの姿でありました。
irori世間にあるような迷信を歯牙にもかけず、お念仏ひとつで習俗や民間信仰にも迷うことのないお年寄りたち。身内の葬儀の翌日に涼しげな顔で遺品を焼いておられる姿を見かけて驚く私に「おかげさんで結構なところへやらしていただいたんだから」と微笑み、「私も同じところへやらしていただけるがでしょう。ありがたいことです、なむまんだぶ、なむまんだぶつ」と笑顔で答える姿に、正直逆立ちしてもかなわないと感じたものです。
貧しい山の村故に、親や我が子の死を目前にしても(死亡診断書を書いてもらう時以外は)医者を呼ぶこともできず、生きるために親や子を見殺しにしてきたという思いを抱きながらお念仏と共に生きてきた人々。雪深い谷間で食うにも事欠く厳しいギリギリの日暮しの中、すべてをわが身に引き受けてお念仏ひとつを支えに生きてこられた人々。田畑でも道中でもお念仏申しつつ日暮を送る大地に根のはえたようなお念仏の姿に、ただただ驚かされるばかりでありました。
朝夕のお参りの和讃や御文の繰り読みは別にして、それ以外のお聖教は『歎異鈔』や『教行信証』すらほとんど読んだことも聞いたこともなかったであろう人々の深いお念仏のお領解のおすがたに、自分が大学で学んできたものは何だったのだろうかと、つくづくと思い知らされ、この名も無き一人一人の御同行の方たちこそ私の師とせねばならない方々だと痛感させられたものでした。

あれから、四半世紀。
いつの間にやら、そのようなお念仏申す人々は私の周りからは姿を消し、替わりに「死んだ人は今どこにいるんですか?」「阿弥陀様って本当におられるのですか?」「信じてさえいれば阿弥陀様がみんな救ってくださるんでしょ?」と尋ねられる御門徒さんたちを半ば小馬鹿にしたように高いところから見下して答えている私が取り残されておりました。

お釈迦様が説かれたお経に『四十二章経』という経典があります。
その中で、仏道を歩む上での20の困難な問題、たとえば「貧しくして施すことはむずかしく、慢心にして道を学ぶことはむずかしく、仏の教えを聞くことは難しく・・・」といった教えを示されているのですが、その第12番目に、「初心の人を軽んじないことはむずかしく」という言葉があります。

お恥ずかしいことに、まさに私の今の姿でありました。

考えてみれば、“家族を見殺しにせざるを得なかったような苦しみ”も衆生の苦悩ならば、“友引に葬儀を出すことが気になって夜も眠れぬ苦しみ”もまた衆生の苦悩でありました。
それを自分の勝手な物差しで、程度の高い苦悩だの低い苦悩だのと分別しては、御門徒さんの真摯な問いを初歩的なものと決めつけて鼻で笑っていた自分のなんと愚かなことであったか。人には「浄土宗の人は愚者になりて往生す」(親鸞聖人御消息16)とお説教で話しながら、教義と知識だけで生きていた私でございました。
如来(お釈迦様)がこの世にあらわれて説いて下さった仏法は、「除苦悩法(苦悩を除くおしえ)」だと言われます。そのみ仏のお心から最も遠いところにいるのが私でありました。
まさに「初心忘るべからず」。五十歳となって迎えた今年こそ、あらためてこの思いで再スタートさせていただきたいと思います。

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