苦しむからこそ【藤枝宏壽】

 私こと藤枝宏壽は、リレーコラムには新入りですが、もう米寿に近い老耄の愚僧です。11歳で父を比島で失い(戦死)、以後、母と弟妹3人らと共に福井県越前市の片田舎にある小坊・真宗出雲路派了慶寺を守ってきて、今住職64年となります。小寺維持のため英語教師と住職という二足草鞋を履いてきましたが、叔父から「二足草鞋は両方をしっかり履け」と諭され、出来るかぎりその理想に向かってきたつもりですが、その成果たるや?・・・汗顔の至り! ただ、51歳で胃がん手術を受け命拾いさせてもらった時、我が余生は仏縁弘める「ご縁さん」(御院主の訛り)に徹しようと決意し、いろんなメディアにチャレンジしてきました。自坊での定例聞光会法話、他寺依頼の法話・講演出張、弊派での聖典講座(過去9年間)、日曜学校(今春51周年で閉校)、同人教化誌『群萌』(季刊:55年継続)や福井新聞「心のしおり」(毎月)への寄稿23年、ホームページ(http://ryokeiji.net/)(英語コーナーもあり)の毎月更新、法話テープ友の会(貸出用)、除夜の鐘百八法句編集(34回)などがその例です。(10年ほど前までは法縁バス旅行に人気があり20年ほど続けました)。

 さて6年前に設立したのが、「安らぎ法話ダーナの会」です。会の活動として出版した法話集『老いて聞く安らぎへの法話』(2015年、自照社出版;好評頒布2刷り:絶版)の冒頭に、私は次のようにその願いを書いております。

《「それ、秋も去り春も去りて、年月を送ること、昨日も過ぎ今日も過ぐ。いつのまにかは年老(ねんろう)のつもるらんともおぼえずしらざりき」と書き出しておられる蓮如上人の御文章(四帖目四通)がありますが、「いつのまにか、知らぬまに老年になってしまった」というところ、私にもぴったりです。しかし、それは上人が七十歳になられたときのお言葉、それより十歳余りも老いてしまったわが身をかえりみてただ恥ずかしいばかりです。宗教の社会性が問われてきているのに、何一つ世の中にご恩返しもできずに今日まできてしまいました。そこで、まことに遅まきですが、老齢になられた方、老人施設や病院におられる方、在宅で病床におられる方など、多くの老境進んでおられる方々とともに、自らの人生最後のしめくくりとして、仏法を真剣に聞いていき、やさしい法話をダーナ(布施)したいと思うようになりました。老いると、もうむずかしい教理のことなどは聞きわけできなくなります。やさしい言葉で、仏法のかなめを聞きたいと思うようになりました。それも、あまり長いと疲れます。そういう趣旨で、平易に、なるべく具体的に、ほどほどの長さで、『老いて聞く安らぎ法話』を12篇書いてみました。私自身が聞かせてもらいながら、お話している口調で書きました》……。

 そのひとつ、「苦しむからこそ」をここでご紹介したいと思います。

「苦しむからこそ」
 皆さん、ようこそ法話をお聞きくださいますね。ご苦労さまです。私も高齢者ですから、皆さんといっしょに仏さまのみ教えを聞かせていただきます。
 皆さんは、今、苦しいこと、悩んでいること、不安なこと、気がかりなこと、 
 困っていることがありませんか? なければそれに越したことはありませんが、人間、心の底には、言いようのない苦悩があるようです。
 相田みつをさんという仏教詩人にこういう詩があります。
   だれにだってあるんだよ
   ひとにはいえないくるしみが
   だれにだってあるんだよ
   ひとにはいえないかなしみが
   ただだまっているだけなんだよ
   いえば
   ぐちになるから
 特に、歳がいくとこういう悲しみ、苦しみが多くなるようですね。身体にいろいろ故障が出てくる。耳はきこえず、目はうとくなる、足腰が痛む。そして持病が進んでくる。それに物忘れが多くなる、若い者から相手にされなくなる・・・など。愚痴をいえば切りがありませんね。
 これが「老い」の苦しみです。加えて「死」の苦しみ、不安が待っています。やがて死なねばならないが、死ぬときは辛いのだろうか、死んだらどうなるのだろうか、死んだ後残していくものはどうなるのだろうか・・・などと、いろいろ心配し出すと切りがありません。
 お釈迦様は、まだ若いころ、お城の門から出てみられたら、こういう老いの苦しみ、病の苦しみ、死の苦しみの姿を見られて、これが人間のいつわらぬ姿かと、大きなショックを受けられます。そして、こういう苦を離れようと修行していく人をみて、自分もこの人生の無常を乗り越える道を求めようと、二十九歳でお城を捨てて山に入り、六年修行された後、に尼れん連ぜん禅という河で苦行の垢を落とし、菩提樹の下で瞑想に入られ、遂に三十五歳十二月八日の暁、明けの明星の輝くのを見てお覚りになられたのでした。(後略)》  

 おかげさまで本は二刷りとなりましたが現在は絶版です。ですが「安らぎ法話ダーナの会」では、実演を希望する老人施設等へ定期/不定期に出張して、入所者等に法話(希望により映像投写も)のダーナ(法施=奉仕)を実施(昨年からはコロナ警戒で休止中。)し、また、了慶寺で朗読・録音構成、専門編集した「老いて聞く安らぎへの法話CD」も頒布しております。
 「老いて聞く安らぎへの法話CD」
 ●内容:10分前後の「分かりやすく、臨場感ある法話12篇」
…法話タイトルの例としては、「苦しむからこそ」「死ぬのがこわい?」「死にたくない」「光といのち」「飛ぶ鳥還る」「ともに会う世界」「人間と生まれたら」「さいごの仕事」などがあり、  
12話全体で「死の不安解消」―「すくいの確かさ」―「人生の充実」という流れになっています。
 このCDはこれまで、希望する老人施設等、および個人に実費(市価の半額1000円)で頒布しました。おかげさまで大変好評で、「分かりやすい語り口に引き込まれ、夢中で聞きいりました」「胸うたれて、思わず涙がでました」「何度もなんども聞いて、暗記できるくらいになりました」「毎晩寝る前に一話ずつ聞いて、安らいで眠ります」 「念仏すれば自分で浄土にいくのだと思っていたのは間違い、仏さまに救われていくのだと知らされ、勉強しました」などの声をいただいております。

 こういう聞法の喜びをまだご存知ないお方にも伝えたい、聞いていただきたいとの思いから、現在、「老いて聞く安らぎへの法話CD」を『報恩超特価』(=500円+送料実費180円)とし、「仏法弘まれー老安CDキャンペーン」を始めています。
●その一環として「老いて聞く安らぎへの法話CD 第7話」をYouTubeにアップしています。(「YouTube了慶寺」で検索、ご試聴ください。)

 コロナ禍で「心塞意閉・しんそくいへい」(心ふさがりおもい意とじ)《大経下巻》となりやすいこの頃ですが、『老いて聞く安らぎへの法話CD』を聞いて「心得開明・しんとくかいみょう」(心 開明することを得たり)《大経下巻》になれたら幸いです。人間、誰しも落ち込むこと、行き詰まること、不安になることがあります。歳がいくと、なおその傾向になりやすいです。そういうとき、上記のCDを一度お聞きになってみてください。
 自分で聞く、友人に贈る、法話会など仲間で聞く、法事の供養品にするなど、いろいろな方途に利用されています。
 ご注文は下記にご連絡ください。代金(1セット500円+送料180円)は現品到着後、同封の郵便振替でご送金願います。
宛先 915-0083 福井県押田2丁目8-31 了慶寺 藤枝宏壽     
℡&Fax 0778-22-1254
Email kojufjda@mitene.or.jp
URL http://ryokeiji.net/

◎ご連絡をお待ちしています。
 令和3年(2021)5月下旬
 安らぎ法話ダーナの会
            藤枝宏壽