朝戸臣統 のすべての投稿

飛騨高山の、神通寺というお寺で住職をしています。 毎月17日 午後1時・午後7時は、定例法座が開かれます。どなたでもお参りいただけます。 12月3~4日は、報恩講法要です。お昼には、おときも用意してあります。

僧侶の本分(かなり私的) 【朝戸 臣統】

まず最初に。
これは、特定の誰かを云々、ということではなく、私自身の問題としてコラムに投稿します。

つい最近、SNSで、こういうやりとりがありました。
「今年はなぜか葬儀が多い。たまたまなんだろうけど・・・。」
「それは羨ましい話ですね。」
「え? 羨ましいですか?」

私は、小学生時代の、同級生とのたわいないやりとりを思い出しました。たわいないやりとりですが、私にとっては大きな意味を持つやりとりです。
「おまえんち、お寺やろ。」
「そうや。お寺や。」
「じゃあ、誰か死んだら、儲かるんやな。誰か死んだら、うれしいんやろ?」
「・・・・・。」

その後、私は紆余曲折を経て(?)、お寺の住職をしているのですが、小学生時代に浴びせられたあのやりとりは、ずっと心の中に引っかかっていたのかも知れません。
最近のSNSのやりとりを目の当たりにして、私の過去が鮮明によみがえりました。

実は、私が抱えていた過去のジレンマを、明確に言い当てながら、僧侶としての立ち位置を示唆してくださった先輩がおられました。
「葬儀は、なくなった方を『貴方のことは絶対に忘れませんよ』と追悼する場です。その上で、み教えを通して、私の生き様を問い聞いていく。僧侶がそのお手伝いをしていくんです。」

私はその先輩の言葉を受け継ぎ、「本当の葬儀を執行できる僧侶でありたい」という思いを強くしました。ただ、残念ながら、その先輩は、突然の病により、あっという間にお浄土へ駆け足で往ってしまわれましたが・・・。

大切な方が亡くなるということは、「悲しみ」に違いありません。私事で恐縮ですが、私自身も、ここ数ヶ月で、叔父と義父を相次いで亡くしました。
ただ、それは悲しみであると同時に、「厳しい催促」なのだろうと受け止めています。厳しいけれども、み教えに出遇ってくれよという、尊い催促なのです。

だから、ご縁をいただいた葬儀には、全身全力で「追悼」のお参りをしたいと思います。同時に、み教えのあたたかさ、尊さを共有できる場にしていきたいと思います。
誰かが亡くなったら儲かるから(経済的に潤うから)、僧侶の道を選んだのではありません。
誰かが亡くなったときに、全力で追悼し、み教えを共有するために、この道を選んだのだと、先にお浄土に往かれた先輩に、報告できる人生を歩みたいと思います。

「浄土真宗で良かった!と思ったこと。」 【朝戸 臣統】

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新しいリレーコラムの更新を楽しみにしておられる貴方へ。
更新が滞っておりますこと、まことに深くお詫び申し上げます。

そこで、ちょっと新しい形で、コラムを公開したいと思います。

「お題」を提示しますので、皆さんのコメントをどんどん挙げていただきたいのです!
つまり、読者参加型のリレーコラムにしてみたいと思います。

第1回目のお題は、「浄土真宗で良かった!と思ったこと。」
それぞれの想いを、コメントとして綴って下さい。
他の方の想いに「そうそう!」と反応していただくのもアリです。
皆さんのコメントをお待ちしております。

※誹謗中傷など、不適切なコメントについては、管理人権限で削除する場合がありますので、あらかじめご了承下さい。皆さんの「大人」なご対応をよろしくお願いします。<(_ _)>

【執筆者はこちら】

人身受け難し 今すでに受く 仏法聞き難し 今すでに聞く 【朝戸 臣統】

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三帰依文といわれる文章の言葉で、地元の仏教会がポスターを作成しました。

今ここで、リレーコラムご覧になって、この言葉にフッと目がとまったあなたへ。
何か引っかかりましたか? 何か心に残りましたか?
もしかしたら、内側に抱え込んでいる漠然とした問題意識がわき上がってきた方もあるかも知れません。
忙しい日々の日常の中で、当たり前と思っていたことが当たり前でなくなることを、「有ること難し」といいます。そうです、それが「ありがたい」ということなのです。
なぜ自分が人間としていのちをいただいたのか。なぜ自分がこのコラムで仏法の言葉にであえたのか。全ては、私たちの常識を越えた、ありがたいご縁に依るのです。
仏教は特別な教えではありません。お念仏も特殊な教えではありません。一緒にお参りしましょう。ご法話をお聴聞しましょう。受け難い人間のいのちを授かり、聞き難い仏法を聞かせていただけるのは、他でもない、私自身なのですから。

ひそかな楽しみ 【朝戸 臣統】

布教のご縁をいただいたり、研修会や会議でお出かけする機会があるときには、ちょっとした楽しみがあります。
それは、「ラーメン」。ご当地ラーメンをいただくのがとても楽しみなのです。
地元、飛騨高山から、岐阜・京都・大阪・北九州・広島。今年味わったラーメンを振り返ってみましょう。
地元で大好きなお店は3軒。
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高山市 麺屋伊吹 塩つけ麺が美味しいですが、季節限定メニューもあります。白エビつけ麺は香ばしいエビの香りが漂う秀逸な味です。

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高山市 甚五郎らーめん 醤油と鶏ガラベースの、飛騨中華そばです。途中からすり下ろしニンニクと酢を投入して、味の変化を楽しみます。

高山市 麺屋しらかわ スープにコクを感じることができる、飛騨中華そば。店長の人柄も美味しさを倍増させます。
http://shirawass.hida-ch.com

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北九州市 月天 豚骨ラーメンもありますが、ちゃんぽんをいただきました。奇をてらわず、また食べに行きたくなる優しい味です。

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北九州市 麺屋まるいち 小倉駅前にある豚骨ラーメン。濃厚なのにクセがなく、たっぷりのネギがアクセントになっています。

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大阪市 金龍ラーメン 言わずと知れた、道頓堀の人気店。ノーマルスープにニンニク、ニラ、キムチを投入して、味の変化を楽しみながらいただきます。

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広島市 三公 駅前のビルにある尾道ラーメン。甘めのスープと背脂が絶妙な味。

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広島市 どとんこつ良 スープがぬるめで、ちょっとガッカリ。

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京都市・岐阜市 天下一品 京都北白川の本店と、岐阜県庁前店が美味しい。定番は、並・コッテリ・細麺・ネギスープ大。

で、オススメは、神通寺のご法座でいただける中華そば。ご門徒さんが提供してくださる麺を、住職自らが茹で上げて提供致します。塩ラーメン・醤油ラーメン・醤油豚骨ラーメン・冷やし中華などが振る舞われます。お寺にお参りして、お聴聞の後は、中華そばをいただきながらの仏法談義。お腹をすかせてお参り下さいね。
www.jinzuji.com
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作務衣・・・この便利なるもの。 【朝戸 臣統】

IMG_1823お坊さんって、専業の場合と兼業の場合では、かなり日常の過ごし方が違うかも知れません。私の場合、専業でお坊さんをしておりますので、お参りなどの合間には、お寺で過ごすことが多いのです。
そこで問題になるのが、何を着て過ごすか、ということなんですね。ビジネスマンのようにスーツとネクタイを着用するわけでもありませんし、かといって、ジャージで過ごすのも、接客の都合上、いかがなものか、と。理想は常に袈裟と衣を着用していることなのですが、なかなかそうもいかなくて・・・。
そういうわけで、私の場合、普段着は「作務衣(さむえ)」で過ごすことが大半です。作務衣って、もともとは、禅宗のお坊さんが日常の作務をする際に着用する作業着であったそうですが、これがなかなか便利なのですね。

298980_126680617497516_688924258_n1,動きやすく、身体に優しい。
お坊さんの作業着ですから、いろんな作業がしやすい設計になっています。本当に動きやすいです。化繊なので、丸洗いもOKです。また、ズボンのお腹回りはゴムになっていますし、上着はヒモで留めるだけですので、基本的に身体を締め付けません。しかも、多少の体格の変動にも、柔軟に対応してくれます。ただし、そこに甘えてしまうと、メタボ体型まっしぐら、ということにもなりかねませんが・・・。

2,見た目がいかにもお坊さんっぽい。
これ、けっこう大事なんです。お寺に来られる方への接客でも大切ですし、外出時にも、お坊さんという視線で扱っていただけることが多いように思います。ちなみに、お坊さんに見られたくないときには、他の服に着替えて外出してます。

3,長持ちで、結果的に割安。
ネット通販など、複数の作務衣販売サイトを見ていただくと、「値段が高い!」と思われる方が多いかも知れません。私も当初、そう思いました。でも、長期間着られるということを考えると、実は割安なんです。冬用2着、春秋用2着、夏用3着を、それぞれの季節に合わせて、ほぼ毎日着ているのですが、すでに3〜4シーズン着用していますから、日々のコストを考えれば、安いものです。

お坊さんも、お坊さんでない人も、普段着に作務衣を着てみてはいかがでしょうか?オススメしますよ。(*^_^*)

【執筆者はこちら】

「なかま」ということ 【朝戸 臣統】

スタッフネタですが、けっこう大切なことかも。(*^_^*)

bannerこの、リレーコラムのサイト、最近少しだけ変わりました。右上にある説明が、
「浄土真宗のなかまによる連載コラム」
になったんです。そうなる前までは、
「浄土真宗のお坊さんによる連載コラム」
だったんですよ。気が付きましたか??

ご法話でなくても、浄土真宗に関わる身近なことをリレーコラム形式で掲載しては、という企画からスタートしました。当初は、執筆陣がお坊さんばかりだったのであの表記になっていたのですが、お坊さんじゃない方もコラム執筆に加わって下さるようになりました。そうなると「お坊さん」という括りでは合わなくなったんです。
「お坊さんでダメなら、門徒にしてみたらどう?お坊さんも門徒だし。」
「いや、門徒というのはお寺に所属する人だから、それ以外の人を除外しちゃうんじゃないの?」
「そうか、じゃあ、なかまという表現にしようか?」
というようなやりとりの中で、新しい説明へと変更になりました。

今回のことを通して知らされたのは、ひとつのカテゴリーを作るということは、その外側にカテゴリーから疎外される者を作り出している、ということでした。内側にある者はそのことに気付きにくいのですが、疎外された者は傷みと共に感じてしまうのです。仲間作りという行為そのものが、実は仲間はずれを作る行為につながってしまう危険性をはらんでいるのですね。
Jリーグのサポーターによる「○○○ONLY」という横断幕が差別的だと処分されたのも、同じ理由なのでしょう。

コラムを執筆して下さる方はもちろん、このコラムを読んでくださっている皆さんも、お念仏のみ教えをよりどころとして生きている「なかま」です。だから私は、ここに「なかまはずれ」と感じる人がいなくなるようなサイトでありたいと願っています。
だって、如来の願船に乗せていただいた、お互いですからね。

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アンパンマンとあみださま 【朝戸臣統】

anpanmannアンパンマンは、自分の顔を食べさせるという異色のヒーローです。そんなアンパンマンが大好きな子どもたちは、彼を通して大切なことを学びます。生みの親であるやなせたかしさんは、「困っている人、お腹が空いている人を助けることが正義です。正義は、自分を犠牲にする痛みが伴うのです。」というメッセージを、アンパンマンに託されたのだとお聞きしました。
私が手を合わせるあみださまは、「苦悩・煩悩を抱えて生きているあなたを、必ず救って仏と成らせるぞ。」という願いを私に届けてくださいます。法然さまや親鸞さまは、真実の救いのはたらきがあみださまとなり、この世におしゃかさまを誕生させて、私たちにその救いを明らかにされたと受け止めていかれました。真実の救いである、あみださまの願いが先にあり、この世におしゃかさまを誕生させてくださった。だから、おしゃかさまがこの世を去られても、あみださまの救いは苦悩を抱えたこの私に届き続けるのです。
もしかしたら、正義のメッセージがアンパンマンとなり、この世にやなせたかしさんを誕生させて、子どもたちに姿を現してくださったのかも知れません。やなせたかしさんはこの世を去りましたが、アンパンマンは子どもたちに正義のメッセージを伝え続けるのです。

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