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浄土真宗とシェイクスピア~No.1~ 【太田 幸典】

信仰は浄土真宗本願寺派などといいつつ、私は親鸞聖人のこと、浄土真宗のことについて知識がない。
よって、山伏弁円による親鸞聖人暗殺未遂事件を知ったのも、つい最近のこと。
この一大事件のことを知ったとき、とっさに思い出したことがある。

10376455_642470589182968_834310646_oそれは、なぜか『ハムレット』の一場面であった。
ハムレットが伯父のクローディアスに対し仇討ちをしようとする「あの場面」なのだ。
ご存じのように、この場面でハムレットは結局、クローディアスを討つことなくストーリーは展開する。このとき、クローディアスはひとり、神に祈りを捧げていた。クローディアスが父親殺しの犯人だと疑ってやまないハムレットにとっては願ってもない場面だ。しかし、祈りを捧げるクローディアスに対しハムレットは、この瞬間に仇討ちをすれば彼が天国へ行ってしまうことをきらい実行にうつすことをためらう。
実際にこの場面を上演する場合、クローディアスの演技が特に難しく鍵となる。国王としてのnobleさ(気高さ)が祈りの姿からにじみでなければ、ハムレットに暗殺をためらわせるには至らない。クローディアスのうしろ姿から神に通じる何かを観るものに感じさせなければならないからである。

話を弁円による親鸞聖人暗殺未遂事件に戻そう。
山伏弁円による親鸞聖人暗殺の場面に関しては史実をまったく知らないので自分なりに想像をしてみるのだが、恐らく、弁円が乗り込んできたとき、親鸞聖人はお念仏を申されていたのではないかと思うのである。
つまり、「南無阿弥陀仏」の六字の結びつきの強さ、親鸞聖人とお念仏の一体感といってよいだろうか、そうしたものに弁円は圧倒されたのではないかと思うのである。厳しい修行を経験した弁円ならではの直観、研ぎ澄まされた感覚によるためらいがあったと想像するのである。親鸞聖人と山伏弁円という一対一の人間同士のぶつかり合いなら暗殺は決行されたのかもしれない。
しかし、親鸞聖人とお念仏となれば、弁円さんにとっては分が悪かったのではないだろうか。
そして、この場面を舞台化するならば、親鸞聖人の演じ方がとても難しいことはいうまでもない。

浄土真宗とキリスト教では、互いに相容れないものがあるのは当然だが、「お念仏」「祈り」というひとつの宗教的行為において何らかの共通点を見いだせるのではないかと思ったのだ。

*これはあくまで筆者の個人的見解です。ご注意ください。

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おもかる石が想い?! 【太田 幸典】

持ち上げてみて、軽いと思えば願いがかない、重いと思えば願いがかなわない…

10156913_599848460111848_1926585298_nそんな石が神社さんに置かれていることがありますね。
”信心深い”?僕は必ず持ち上げてみます。でも、この石、大きさのわりに意外と重いんですよね。
毎回、”重い”と感じる僕は決まって周囲の人たちに「これ、意外と軽いなぁ。」と言います。
それで、毎回、変な汗をかくことになるんですが、神社さんの片隅に置かれているのを発見すれば持ち上げてみたくなるのです。
そこで、今回、この”おもかる石”について考えてみました。
持ち上げてみて”重い””軽い”と感じるのは持ち上げる前の覚悟が大切なんですね。
見た目はこぶりな石だけど「これはかなり重くて手ごわい石だ!」と思って持ち上げると、きっと軽く感じるでしょう。
「これは軽そうだな。」と思って持ち上げてみると「意外に重いなぁ!」となるのでしょうね。

この”おもかる石”は人生に似ているのかもしれませんね。
「人生は明るくて楽しくて…」と思っていると様々な困難にぶつかるたびに「生きることは、なんでこんなに辛くて悲しいの?」と思うでしょうし、「この世はつらいものだ」と思って毎日を過ごしていると、ちょっとしたことがとてもありがたく、またうれしく思えるのかもしれません。

えっ?今頃気付いたの?って言わない言わない…

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緊張と感話 【太田 幸典】

感話デビュー
そんな言葉があるかどうか分からないが、来年は是非どこかで…
という気持ちが沸々と湧いてきた。

ohta2と昨年末、facebookに書き込んだところ、早速、1月には玄照寺(真宗大谷派)さん、2月には第四回真宗合同布教大会にて感話をする機会をいただいた。
すると、まわりの人たちが「緊張するでしょう?」と声をかけてくださるのですが、あいにく僕は緊張しないんです。
人前で話をすることが仕事だから…といわれれば、それまでなのですが、僕なりに緊張しない理由を分析してみました。
僕は身長176cm、体重65Kg…これ以上でもなく、これ以下でもないのです。つまり、ピッタリと自分のサイズに合ったことをしようとすると常に平常心でいられます。しかし、少しでも自分を大きく見せよう!良いカッコをしよう!とすると平常心は消え失せます。それと、あらかじめ準備した原稿を読むとき、間違ってはいけないと思うので緊張してしまうんです。
だから、感話デビューとなった1月の時は「平成12年17歳の犯行」「お正月に富士山登山」「大峯山」「阪神タイガーズの優勝」だけ、2月は「悲しみ、怒り、恨みから報恩感謝へ」ということだけ記憶してお話をさせていただきました。

そんな僕でも、とても緊張するときがあるんです。それは今から授業をするというのに、まったく予習ができていないという夢を見たときです。
まぁ、これは当たり前ですね。

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