瓜生崇 のすべての投稿

「浄土真宗の法話案内」の設計とシステム開発を担当しています。滋賀県の大谷派末寺のネコ好き住職です。好きな動物はもちろんネコ。大事なことなので二度言いました。

法話研鑽に「話し込み法話」を【瓜生崇】

この投稿では「話し込み法話」のやり方を紹介します。これは滋賀県の南学会という僧侶の集まりが毎年行っている「法話研鑽合宿」で2015年に始まり、真宗十派問わず各地で少しずつ普及してきている法話研鑽の方法です。この度、やり方をWebに公開してほしいというご要望を多数頂きましたので、ここに公開します。

法話はしようと思ってもなかなかできるものではありません。一般的にはなるべく多く法話に立つことで、お育てを頂いて次第にできるようになっていくと言われていますが、全く出来ないところからいきなり話すのは大変なことで、言わばスタートラインに立つことが最も難しいと言えるかも知れません。
話し込み法話は、まだ生まれて一度も法話をしたことがない人から、何百回と繰り返してきた人に至るまでが、混じって平等に研鑽することが出来ます。また、通夜や法事でされるような短い法話から、寺院の法要や聞法会でされる一時間以上の法話など、このやり方はほぼすべての形式に有効な研鑽方法です。一時間くらいのスキマ時間があれば、どこでもできるのも特徴です。
各地で法話研鑽の講習会や研修会などが盛んに開かれていますが、そうした研修会の中で講義の合間に、研修のスケジュールを圧迫することなく確実な実習方法として取り入れることが出来ます。

話し込み法話の概要

話し込み法話は二人が基本のユニットとなります。二人が「話者」と「聞き手」に別れ、20分位の法話を一対一で行います。それが終わりましたら聞き手が話者の法話を講評し、その後、「話者」と「聞き手」が入れ替わって同様のことを行います。その後、それぞれが相手からの助言をもとにして自分の法話原稿に手を入れます。参加人数が二人以上いる場合はペアを複数作って、お互いの法話と講評が終わったら別の人とペアを組んで同じことをします。

話し込み法話のメリット

話し込み法話にはいくつかのメリットがあります。まずは、短い時間の間に何度も法話することができるということです。そして一対一の法話なので、話す方も聞く方も逃げ場がない真剣勝負です。講評においても多人数の前では気を使って言えないことも、一対一なら言うことが出来ます。
熟練者と初心者がペアになった場合でも、通常熟練者に初心者が意見することはなかなか出来ませんが、一対一なら率直な感想を伝えることが出来ます。これは普段人から教えられることが少ない熟練者にとっては聞く人の率直な意見を聴ける貴重な機会ですし、初心者にとっては熟練者に一対一で指導をしてもらえるので同様に貴重な機会になります。
何度もペアを変えてローテーションで話をすることで話者としてはいろいろな人の率直な講評を聞くことが出来ますし、聞き手として様々な人の法話を聞くことも同じように大きな刺激になるでしょう。
なお、「話し込み法話」は20分くらいの法話を基本としています。これはやってみるとわかりますが、一人の人間の話を真剣に聞くのは20分位が無理のない時間です。この20分の話をベースにして、様々な話題を付け加えていけば90分の法話に出来ますし、縮めれば10分や15分くらいの家庭の法事での法話にもなります。本当に伝えたい内容を凝縮すれば20分程度の内容が基本になるいうことが、この「話し込み法話」を何度もやることで分かってきます。

具体的なやり方

  • 事前の準備として、研修が始まる前に、20分程度の法話原稿を作っておきます。
  • 二人一組のペアを作り散開します。
  • 話者にあたったほうが聞き手にあたった方に話をします。その場合、図のように横並びで話をするのがやりやすいです。正面から向き合うと、話者も聞き手もしんどくなります。

  • 机の上にある「話し込み用紙」といのは、A4くらいの大きさの紙です。これを板書の代わりとします。話すときは、普通に板書するつもりより多めに、話の内容をなぞるようにして、この紙に要点を書きながら話すのがコツです。この板書は後で講評のときの大きな道標になります。
  • 20分の法話が終わったら話の内容を講評します。目上、目下という立場があってもここでは関係ありません。思っていることをできる限り率直に伝えるようにしてください。つまりは「この場限りは空気を読まないで言いたいことを言う」のが大事です。その際に話し込みシートに「板書」したものをなぞっていけば、順序立てて話の内容を確認することが出来ます。
  • 講評が終わったら「話者」と「聞き手」を交代して、同じことをします。
  • お互いに法話と講評が終わったら、自分の原稿に手を入れたり、話の内容をどう改善するかを考える時間を作りましょう。これで終了です、この一連の過程で一時間~一時間半くらいです。研修や合宿などでは、この後ペアを変えて同様のことを繰り返します。

講評の仕方

  • 法話の態度はどうでしたか?(上から目線ではなかったか、言葉遣いは適切か、原稿ばかり見ていないか)
  • 発声はどうでしたか?(早口でないか、語尾ははっきりしているか、聞き取りにくくなかったか)
  • 板書はどうでしたか?(あとから見てわかるように要点を書けているか、伝わるような板書になっているか)
  • 法話の内容はどうでしたか?(伝えたいことは明確か、親鸞聖人の言葉は入っているか、教えを伝えているか、「私」が抜けてただの説明になっていないか)

講評用のPDFを用意しました。印刷してお使いください。裏面は話し込み用の板書として使ってください。
話しこみ法話研鑽シート

「話し込み法話」についてのお問い合わせ

不明な点がありましたら、玄照寺 瓜生までお願いします。(真宗大谷派京都教区・滋賀県東近江市)

「お坊さん便」と新たな搾取の構造【瓜生 崇】

僧侶を定額のお布施で派遣する「お坊さん便」が、お盆になってまた取り上げられるようになってきました。

アマゾン「お坊さん便」、反発する仏教会に想定外の批判(朝日新聞デジタル)

私もこの事については自分の経験から当コラムで以前に書きました。(私はAMAZONで「注文」される僧侶)その後、テレビや宗教誌などの取材を随分受けてきましたが、最近になってまた何件か取材が来たので驚いています。

この話題、大体が上記の朝日新聞の記事に見られるような、全日仏の対応に代表される硬直化した仏教界と、一般の人のニーズに応えた新しいサービスとの対立が先にあって、そこに「高額なお布施を請求してきた僧侶」に反発する人たちと、「経済的に成り立たない過疎寺院」の問題が加わるという構図が加わるというのがいわゆるこの手の記事の「既定路線」という事になります。

私自身も、「こうしたネットでの僧侶派遣サービスというのは、寺院間の固定化された経済格差をある程度解消し、お寺の仕事で生計を立てて仏法を弘めたいと思っていてもなかなか叶わなかった人に、突破口を与える機会になるのではないか、という期待もあるのです。」と以前コラムで書いたこともあります。ある意味、僧侶が救われるサービスであるという認識は今も変わりません。

さて、上の朝日新聞の記事のインタビューによると、「みんれび」の秋田将志副社長自身も、このサービスを「経済的に困っている僧侶の方のお手伝いをさせていただいているつもりです。」と語っています。

前述のようにそういう一面もあることを認めつつも、実情として果たして手放しにそう言えるのかどうかという事も、このコラムでは考えてみたいと思います。

お布施の4割は紹介料

「月刊住職」の2016年8月号に「アマゾン僧侶派遣の紹介料4割はお布施の搾取ではないのか」という記事が載っています。この取材には自分も協力しましたが、記者は多くの関係者にあたって丁寧にこのサービスの実態を解明しています。

実にストレートなタイトルの通り、お坊さん便の紹介料は4割。これはつまり、僧侶に渡した(と思っていた)お布施の大体4割を「みんれび」がバックマージンとして徴収している、ということです。

具体的には35000円で法事を依頼したら、うち15000円は「みんれび」に入り、僧侶に入るのは20000円。僧侶はその中から交通費等も出すので実際には半分以下くらいしか「お布施」にはならないということです。そしてこれは戒名(法名)なども同じです。記事では一例として、院居士・大姉号の戒名のお布施20万のうち、5割にあたる10万円が「みんれび」の取り分になると書かれています。

実は「みんれび」にかぎらず多くの先行業者も同様の割合のバックマージンを設定していました。中には5割を超える要求をされたという話も聞いています。

さらに記事では、《弊社規定額以上のお布施を納められたいというお客様のご対応の際は、全体費用の40%の手数料を頂く形となります》との「みんれび」内部資料をあかし、規定されたお布施額の他に、「お気持ち」で僧侶に渡される志についても、40%のバックマージンを収めるように定めていたとあります。つまり決まった額の他に別途お志を包んだり、少し多めにお布施を出しても、それすら4割は業者が持っていくというのです。

また、法要後新たな依頼を受けてもすべて「みんれび」を経由する必要があるともあります。「いいお坊さんを紹介してもらった」と信頼関係を構築し、お葬式の後に四十九日、一周忌と同じ僧侶がお参りしても、すべて都度4~5割のバックマージンを間接的に支払うことになるわけです。

新たな搾取構造

さて、こうした業務にはバックオフィスでのサポート業務が不可欠ですし、広告宣伝費、葬儀社との提携に関わる営業活動等経費もかかるわけですから、バックマージンがなくていいとは思っていません。

ただ、少なくともこのサービスを申し込む人は、例えば人材派遣会社に払った費用の半分くらいしか実際の労働者にわたらないのと同じように、支払った「お布施」の4~5割は業者に抜かれるという事実は知っておいていいでしょう。

在庫も倉庫も持たず、僧侶の教育コストは各教団に丸投げで、保険や交通費の負担もなく、ネットで注文を受けて僧侶に指示をだすだけでこのマージンが適正かどうかは、実際にサービスを使う人が判断したらいいと思います。

そしてそれらは、コツコツと本堂を修繕したり、法話会を開いて仏教を伝えたり、子ども会を開いて仏様の心を伝えたりといった、全国のお寺が地道に進めている活動には一円も使われることはありません。

私は前回の「お坊さん便」を扱ったコラムで、こうしたサービスの勃興には寺院間の格差問題が背景としてあると論じました。

かつては多くの末端の寺院は格上の大寺院の下請けとして、葬儀や法事、月参りの仕事を受けて生計を立てていました。現在はそうした慣習は一部地域を除いてありませんが、代わりに都市部と過疎地の寺院の間に深刻な格差が生じています。そして全日仏はもちろん、各寺院が所属する教団や宗派が、貧窮寺院に経済的な支援をしたという話を私は聞いたことがありません。

有り余るほどの財を成す寺院が存在する一方で、今まで何百年と教団を支えてきた困窮寺院は経済的に破綻するに任せているのが今の仏教界であり、経済的に成り立たなくなった寺院が新宗教に譲渡されるという事件まで起こっているのが現状です。

私はなんとか仏教を伝えるご縁を維持し、お寺の仕事で生計をたてたいと思う住職が、こうしたサービスに活路を見出すのは当然の流れであり、留めることは出来ないと思っています。

その一方で、かつての寺院間の搾取構造が復活し、その頂点に位置していた大寺院がこうした営利企業に取って代わられつつあるのではないかという危惧も感じます。今は多くの業者が入り乱れてサービスを展開していますが、いずれ淘汰されて寡占が始まれば、真っ先に搾取されるのは「こうしたサービスに頼るしかない」僧侶なのでしょう。

「お坊さん便」のHPを見ると、「お布施料金は定額35000円」というタイトルの下に、「一般的にはお布施の他に、お車代・お膳料・心づけなどが必要になり、合計50万円程度が相場です。」とあります。

「みんれび」が35,000円と提示するのは法事のお布施ですが、私は自分に関しても他の僧侶に関しても「法事で50万円」というお布施を聞いたことも頂いたこともありません。この「相場」っていったい何処の星の話なのでしょうか。

ネットでは「今まで散々高額なお布施をせしめておいて、こういうサービスが出来ると反対するなんて」といった感想がよく見られるのですが、あなた方がこういうサービスを申し込んで来る僧侶の多くは、人口の減少し続ける地方で、地域と共に必死になって生活とお寺を守っている人です。そして、その僧侶が普段檀家(門徒)さんから頂いているお布施は、あなたが「お坊さん便」に支払う額よりきっと少ないはずです。さらに、あなたがそうしてやってきた僧侶に渡したお布施で、実際に僧侶に渡るのは半分程度なのです。

言うまでもなく、この流れを作ってしまったのは、私達僧侶の責任です。ここを真剣に考えなければ、仏教界に未来なんてありえません。

伝えていますか【上野ちひろ】

在家生まれの私が、宗派を超えた寺院住職様向け報道誌『月刊住職』の記者として働くようになったのは14年前でした。本誌は寺院運営や布教活動に役立つ実務情報から、仏教界やお寺で起きている様々な出来事をジャーナリズムの視点で取り上げる日本唯一の雑誌です。以後、全国津々浦々のお寺を取材する日々が始まりました。

取材を重ねて実感したのは、「『お寺』と一口にいうけれど、実に多種多様だな」ということです。宗派の違いはもちろん、地域性、さらに住職の人柄によってお寺のあり方は千差万別。また情報社会かつ多様化が進む今の時代、どの地域のお寺でも工夫次第で可能性は広がっていることも感じました。事実、「里山資本主義」のように発想の逆転から過疎地を「資源の宝庫」として見直し、地域おこしを成功されたお寺の事例はいくつもあります。

しかし、どんな活動であれ、その根底に住職がミッションとして携えておられるのは、「生老病死の苦にいかに向き合うか」「安心をどう伝えるか」でしょう。一般の者にとってもまた、その救いへの道に出会える場だと期待するからこそ、お寺に行く意義、僧侶の必要性を感じるでしょう。あるお寺の写経会で出会ったおじいさんが、しみじみといわれました。「お迎えが近いこの歳になるとな、せめてお坊さんの衣の裾、いや、パンツの紐でもいいからつかんで、なんとか心の安心を得たい」。若い僧侶が開いた座談会に何度か来ていた女の子はこう話していました。「直接会わなくてもネットでコミュニケーションできる今の時代は楽だけどホンネはさびしい。人間関係に向き合うのは苦しいが、それが生きることだと仏教で学べるような気がする」。誰もが、この解決のない苦しみを抱えながら生きています。けれども、その苦しみに向き合うお寺への道(教えに出遇う道)を私たち一般のものが、日常生活でどう見出せるかとなると、けっこうハードルが高いように感じるのです。

一つに、お寺(宗派)と一般の人のあいだに「ズレ」が生じているのかなと思います。

というのも、もし、この誰もが抱える問いや悩みとお寺がストレートに結びついていたら、「寺離れ」などの言葉はないからです。実際に、どのお寺も真面目に法務をつとめておられます。しかし「法座も開いている。行事も行っている。でも人が来ない」という住職の嘆きの声を聞きます。法事も少人数化、減少化傾向にあり、真宗大谷派の『教勢調査』結果を見ても報恩講などの参詣人数が年々、減っています。つまりは人々の中で、お寺を支える意欲が減っているのでしょう。では、その「ズレ」はどこから生まれるのでしょうか。

たとえば、取材の中でお寺を取り巻く人々や、あるいは団塊世代に接してよく感じるのは、「寂しさ」です。リタイアして悠々自適、けれども老いは確実にやって来る、親しい人も亡くなっていく、お金も底をついてくる。けれども、その苦に「お寺」が関わってこない寂しさです。「お寺とは、葬儀や法事くらいしか接点がないんですよ。でも本当はお寺ってそれだけじゃないんじゃないですかね」「お寺って、本当は辛い時に光を見せてくれるようなところじゃないのかね」という言葉には、お寺への期待があるからこそなのだろうなと感じます(今や積極的に関わってくるのはお寺ではなく、「終活セミナー」くらいでしょうか。しかしその「活動」では本当の安心は得られないことは誰もが分かっているでしょう)。

また、昨今は若手僧侶による意欲的なイベントが各地で行われ、お寺に縁のなかった若者やOLたちで盛況です。日常にこうした場が開かれるのは大変喜ばしいことですが、OLが多いということは、それなりに社会経験を積んだ人たちが集まっているというわけです。美味しい場所、楽しい場所をたくさん知っている彼女たちが貴重な時間とお金を使って、わざわざお坊さんのイベントに来るのは、やはり内心期待があるからでしょう。働かなければ明日の衣食住が保障されず、なおかつストレスフルな時代を生きる「この私」に仏教は「生きていく安心」を感じさせてくれますか、と。

イベントが目的ではないのです。だからこそ、イベントは、主宰側が彼女たちの求めているものが見えているかが問われる場でもあるかもしれません。果たして仏教入門の「さわり」程度で彼女らが満足できるかどうか。そこをはき違えると、「参加してみた私」と写真をフェイスブックにあげられて終わり、になるかもしれません。実際、ある精進料理のイベントで「この金額出してこの程度の内容なら別に来る必要なかったね」と友達にボソッと呟くOLの声を耳にしてヒヤッとしました。逆にいえば、さほど美味しいものが出るわけでもないのに(失礼)、連夜盛況の東京・坊主バーはそれ以上の「ここに来る満足」を得られるのでしょう。いわば「私にとって必要な場所」になれるかどうかなのです。

ズレないためには、と考えた時、二人の住職が思い出されます。一人は東京・亀有の真宗大谷派蓮光寺(http://www.renkoji.jp/)の本多雅人住職です。同寺は毎月様々な行事を催し、法座が開かれる日は自坊の門徒だけでなく、他寺の門徒さんや近所の人まで集まり満堂です。「なぜ活発に行事を続け、またそこに人が来ると思うか」という私の問いに、当時40代の本多住職は「私自身が悩んでいるし、寂しいからだ」と率直にいわれました。「もし親鸞聖人の教えが普遍的なものであるならば、個々人の問題を縁としてお寺は開かれなければならない。出会いのきっかけとなるのは、住職の私自身も病んで、ぐらぐらしているところから始まるのではないか。お互いが悩んだり病んだりするところを縁に仏法を聞いていく。そうして支える人みんなでお寺をお寺にしていくのです」と。

もう一人は、大阪・豊中の浄土真宗本願寺派法雲寺の辻本純昭住職(40代)です。辻本住職は自ら「イベント坊主」と名乗り、お寺を多世代が関わる場として開いています。HP(http://www.tcct.zaq.ne.jp/bpdhn205/)。その辻本住職が今のように活動するきっかけに、30代の時、周囲から「突き刺さるような言葉」をかけられたからだそうです。ある日、地元の人から「お前、この不景気に坊さんはなぜ、何もしてくれんのやっ⁉」と胸倉をつかまれたこと。もう一つは、お寺で幼馴染とラジコンで遊んでいた時、幼馴染の彼からふとこういわれたこと。「お前とこの玄関の土間あるやろ。その敷地、うちの家の一軒と同じや。お前、この広い土地預かって、何しとんねん」。辻本住職は「いわれた時は腹が立ったがそのとおりやと思った。気づかせていただいたのです」と述懐されておられました。

何をするにしても、住職自身が、悩んでいるのか、求めているのか、世の中の苦に出会っているのか、が肝心なのだなと活況するお寺の住職からそれを教えてもらいました。また、そうでないと、人々が「求めているもの」など見えないでしょう。広島のある本願寺派の住職は、教師の資格を得て自坊に戻る時、故・梯実圓師(本願寺派元勧学)にこう声をかけられたそうです。「お寺に戻ったら一つだけできる住職になりなさい。存在をかけた問いに応えられる住職になりなさい」と。存在をかけた問いへの道が全国津々浦々に、日常的に開かれたらよいなと私は願っています。もちろん、その道づくりが、一般の私たちにも問われていることはいうまでもありません。

執筆者:上野ちひろ
龍谷大学文学部真宗学科卒業。宗派を超えた寺院住職向け報道誌『月刊住職』(http://www.kohzansha.com/index.html)記者。趣味は読書と登山。「ビールの写真ばっかり」といわれるフェイスブックはhttps://www.facebook.com/ueno.chihiro.3

初心者と熟練者が混ざりにくい浄土真宗の教えの特性【堀内克彦】

宿坊研究会の堀内克彦と申します。寺社旅研究家として各地のお寺や神社をお参りしたり、文筆やイベント企画、寺院コンサルタントなどをしています。

そうした日々を送る中、私は浄土真宗のお寺には、他宗より極端に入りづらい壁を感じています。この要因は明確で、浄土真宗では初心者を対象にしたプログラムがほとんど開発されていません。そんなことないと思われる方もいるでしょうが、いろんな宗派を俯瞰して見ると、その差は歴然としています。しかしこれは真宗のお坊さんの怠慢というよりは、単純に教えの特性の問題です。

例えば坐禅であれば初心者と熟練者が混ざっても、ある程度場が成り立ちます。しかし法話会でそれをするのは難しいでしょう。どちらかのレベルに合わせれば片方の満足度が下がります。大げさに言えば小学生と大学生が、一緒に数学の授業を受けるようなものです。

そしてこれまでであれば地域コミュニティで誘い合って、初心者でもお寺に行く文化がありました。知り合いが先導してくれれば、不慣れな場にも安心して足を運ぶことができます。しかし今はそうした関係も途切れがちです。

初心者との接点を失ったことで、外部がお寺に持つ不安や期待も見えづらくなる。それがますます初心者との距離を生み出しているのが、今の浄土真宗だと感じています。

そこで提案ですが、浄土真宗のお寺はもっと宿坊を開いてみてはいかがでしょうか。宿坊はお寺であり、宿でもあります。この良さは一見さんが入りやすいこと、常連だけでコミュニティが固まりにくいことです。宿泊した人に法話の時間を設ければ誰でも教えにふれることができますし、期待されるレベルも自然と初心者向けになります。お坊さん達もきっと初めての方に響く法話を、これまでとは異なる形で磨くようになるでしょう。

私の手元にある宿坊リストから集計すると、浄土真宗のお寺は日本に8軒しかありません。真言宗(100軒)、天台宗(39軒)、浄土宗(26軒)、日蓮宗(25軒)、臨済宗(16軒)、曹洞宗(10軒)と、主要宗派の中では最少です。日本で一番お寺の多い宗派であることを考えれば、浄土真宗は数字以上に宿坊に対して消極的です。

しかしそうした状況にも変化が見られます。私は以前、東本願寺にある同朋会館で講演させて頂いたことがありました。同朋会館は真宗大谷派に属する方の宿泊研修施設で宿坊とは異なりますが、こちらを一般の人にも開く取り組みをしたいと、検討委員会の立ち上げ時に私が呼ばれました。

そして企画された『東本願寺に泊まって学ぶ親鸞講座』は定員を超えるお申込みがありました。宿泊した側ももちろんですが、受け入れた僧侶にとっても学びの深い企画になったと、後日ご報告を頂いています。こうした取り組みは浄土真宗寺院が宿坊を作る上でも、参考になる事例です。

また、宿坊を作りたいという相談も私のもとには増えていて、2015年に開催した宿坊スタートアップミーティング(宿坊を開きたい方を対象にした勉強会)にも浄土真宗の方は参加されました。宿坊に対する潮目は変わってきており、これからきっと浄土真宗の宿坊は増えていくと感じています。

先日、自民党の観光立国調査会で、宿坊をテーマに講演させて頂く機会がありました。私のようなフリーの寺社旅研究家が呼ばれてしまうほど、宿坊は国策としても注目されています。もちろんそれは経済的な視点が中心ですが、私はここに流れる莫大な投資を活用して、経済的に成り立ちにくい地方のお寺の存続策を生み出せないかと模索しています。

寺院にお金が入る形を作り、仏教との新たな接点も作る。宿坊でお坊さんの話を聞けば、そこから阿弥陀様の教えに興味を持たれる方も出るでしょう。宿坊の弱点は一夜限りで継続的に仏教を説けないことですが、全国レベルで法話情報を掲載している『浄土真宗の法話案内』があれば、興味を持たれた方に改めて地元のお寺を紹介することもできます。

入り口の少ない浄土真宗に、宿坊は相性の良いパーツです。また宿坊はすべてのお寺で作れるものではないので一つの例ですが、「初心者」と「熟練者」を切り分けるだけでも、ずっと入りやすくなります。

初心者コースは単純に内容を平易にすれば良いというものではありませんが、お寺とまったくご縁のなかった人と向き合うと、そこも含めて相手の求めるものが見えてきます。それを汲み取りながら自分たちの教えと結びつけることで、阿弥陀様の教えも広まっていくのではないでしょうか。

執筆者:堀内克彦(ほりうちかつひこ)

宿坊研究会代表。「人生を変える寺社巡り」がテーマの寺社旅研究家。

宿坊研究会・縁結び神社研究会・お守り研究会を運営し、参加者1000人を越える寺社旅サークルの主宰や宿坊創生プロジェクトアドバイザー、仏前結婚式盛り上げ企画、お寺の漫画図書館、寺社好き男女の縁結び企画「寺社コン」などをプロデュース。
日蓮宗のお寺活用アイディアコンペでは、様々な寺社を活性化させた実績を買われて審査員を務め、各地で寺社活性化・地域活性化の講演なども実施。寺院のコンサルタントとしても活動中。
著書に『宿坊に泊まる(小学館)』『こころ美しく京のお寺で修行体験(淡交社)』『恋に効く! えんむすびお守りと名所(山と溪谷社)』など。
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お父さん、お母さん、仏法聞こうよ!【松下蓮】

私には子どもが3人います。小学生の娘が2人、保育園に通う息子が1人。
真宗大谷派のお寺を義父が預かっていますので、そこに同居するという形で住まわせていただいています。

このコラムを読んでくださっている方々の中にも、今、子育て真っ最中のお父さん・お母さんがおられると思います。毎日仕事が忙しくってかわいい子たちの相手ができないお父さん、そんなお父さんを頼りにしたいけれどもそういうわけにはいかず、小さい子どもを抱えて右往左往しているお母さん。仕事を抱えながら毎日毎日忙しい日々を送っている方もおられると思います。

私も娘たちが小さいころは主人がほとんど家にいなかったものですから、なんとなく内にこもって悶々とする日々を送っていました。子どもの相手をして一日が過ぎる。子どもが病気になれば一日中抱っこして、掃除も洗濯もいいかげん、授乳しながら自分のご飯をかきこむ、というとても行儀の悪いことも平気でやっていました。その反面、やはりお寺の奥さんという立場上、子どもを置いてリフレッシュしに行くわけに行かず、やはり「いいお母さん」を外で演じては、帰ってきてまた嫁として、お寺の若奥さんとして立派にふるまおうとし、子ども相手にしんどい思いをするのでした。

そのような日々の私の一番の問題は、「思い通りにならないことへの愚痴」でした。子どもが私の言うことを聞かないということはもちろん、ゆっくり本を読んだりショッピングしたり、友達とゆっくり会ってお酒でも飲んでみたり、独身時代にできていた楽しみが全くできない。嫁に行ったことで、お寺や家族の習慣・考え方の違いから、不満を不満として堂々と言うことのできないもどかしさ、遠慮。そんなことがたくさんありました。本当のことを言えば関係がダメになる。

そういう不満を義母に訴えると「思い通りにいかんねえ」とニコニコしています。えっ?!と思いました。たしかに思い通りにはいかん。でもこの状況をどうにかしてほしいのに・・・!子どもがいうことを聞かないことや自分の自由を奪われているような感覚に埋れていたころ、「幼児の虐待死」という問題が社会を騒がせていました。

大阪で、若い母親が幼い子どもを二人置き去りにして死なせた事件。猛暑の中、母親の愛と食べ物を求めてけなげに寄り添って亡くなっていた子どもたち。私はそのニュースに夜も眠れないほどショックを受けました。ちょうど我が子たちと歳が一緒でした。母親をとことんまで批判し人間扱いしないメディア、一方で母親を擁護する人たちは社会の問題、子育てシステムの問題やらなんやら!最初は私も「子どもを置き去りにするなんて。ひどい」と思いました。しかし、よくよく考えてみると、本当にこの母親のことを私は批判できるのか?ふいにおもいだした言葉「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」(歎異抄)。本当にこれは、私にとってはとても恐ろしい言葉に思えました。「あなたもきっかけがあれば子どもを殺すことができるんですよ」と。

そう、あの母親とは、私のことだったのです。子どもを殺さないで済んだのは、子どもを置いて丸一日、外に飛び出したいという衝動を抑えていたのは、世間体だけだったのかもしれません。ただ世間体という薄皮一枚でつながっている。こんな私が人を簡単に批判することができるでしょうか。

私にとって、仏法というものが本当に自分自身のことをピッタリ言い当ててくださっているということが、この事件の縁で知らされた気がします。その一つのきっかけがたまたま今回は歎異抄の言葉だったわけです。頭が下がるというのは、この私の本当の姿を突きつけられて懺悔(さんげ)するしかないということ。その元はというと、釈尊が多くの人に伝えてくださった仏の教え。そしてそれが長い年月をかけて、遠い西の国から数えきれない多くの人々の苦労のおかげで私たちの元へ伝わってきている。一緒に子育てをしているお友達のお母さんに聞かれたことがあります。「仏教って、お経を読むだけではないよね?」と。私は「それやったらほんと、仏教なんていらんよね。お経というもんが何千年も大事にされてきた訳を考えたらさ、やっぱり過去に生きた人たちの拠り所やったからやろね。いろいろみんな苦しんで生きてきたんやろしね。うちらも一緒やん。」

きっかけは何でもいいんです。仏法に遇うためには時には逆縁も必要なんだろうと思います。一番子育てで忙しく苦しい時に、私は仏法を聞きたいというきっかけを与えられました。何でも思い通りにいっている時には、いくら仏法のほうが私の近くにあってもスルーしていたんじゃないかと思います。お寺で本堂に参っていながら、きっとずっと仏のほうが「おーい!」って呼んでいたのにぜんぜん気づかなかったんでしょうね。義母が「思い通りにいかんねえ」とニコニコしていた意味も、「蓮ちゃん、仏法を一緒に聞いていきましょうよ」という呼びかけだったんだなあと思うのです。

思い通りにならないランキングがあるとしたらナンバーワンと思われる子育て。今ですよ、今。子育て中のみなさんと一緒に仏法に出遇っていきたいものです。

執筆者:松下 蓮(まつした れん)
真宗大谷派 延福寺衆徒。1975年生。京都府亀岡市在住。真宗大谷派青少幼年センター研究員。絵本を通してお寺の子ども会を支援する仕事をしています。
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真面目な人とどう向き合うか【寺澤真琴】

高校の時、音楽大学を卒業したばかりの浄土真宗のお寺の息子さんが講師に来られました。その高校の卒業生で、教職の採用が決まるまでの2年間教えていただきました。

特別親しかったわけではありませんが、同じ宗派の方でしたし、私も音楽系のクラブだったので、それなりに話はしました。そういえば音楽準備室でコーヒーをご馳走になったこともありましたね。年賀状の交換も。でも私が三年生になったときには、もうどこか他の学校に移られていました。

先日、その先生をネット上で再発見しました。全然別の用件で検索をかけていたら、たまたまその人のブログがヒットしたのですから、ほんとうに再発見という感じです。そこに書かれていたのは、「浄土真宗の僧侶だった私が日蓮正宗の信者になったわけ」。驚いたことに、先生は家族ともども日蓮正宗の信者となってお寺を出られたようです。

何となく思い当たることはあります。その先生は音楽だけでなく野球もやっていたという熱血漢で、理性よりも感情に重きをおくタイプ。不正や間違ったことが嫌いで、はっきり結論を出すことを好みました。ブラスバンドの顧問をされていましたが、生徒からの好みは分かれていたようです。私も何かで指導されたことがありますが、こんな言葉をおぼえています。「俺は、ボールが飛んできたら自分の力でそれをつかんで、赤なのか白なのか確かめてみないと気が済まない性格なんだ」。

三十年間浄土真宗の僧侶だったというその人のブログには、浄土真宗の悪口が書き連ねてあります。「非僧非俗」「往生浄土」「菩提心」といった言葉が出てきますが、そのどれもが誤解・曲解にみちたものです。おそらく、移った先の教義で、強く再教育された成果でしょう。文章の端々には家族のことで悩んでいたことも垣間見えます。私は「浄土真宗が合わなかったのかもしれないな。でも、今この人が満足ならそれで良かったのだろう」と思うことにしました。

しかし、よく考えてみたら後の行き先が破壊的なカルトである場合もありうるわけです。去る者は追わずと、格好をつけている場合ではないのかもしれません。それに、三十年の間、お坊さんをしてきたわけですから、その間にちゃんとした浄土真宗の話を聞く機会は、いくらでもあったはずです。それがこの人の心に響くことがなくて、別の宗教がぴったりきた。これはもちろん、本人の性格とか好みもあるわけですが、それにしてももうちょっと何か方法はなかったのだろうかと思うのは、私だけでしょうか。何か今の真宗に欠けているものがあるのではないか、ということです。

ストイックな仏教の修行に、漠然としたあこがれをもっている人というのは一定の割合でおられるようです。こういう表現が適切かどうかわかりませんが、真面目な求道タイプの人、自分を変えたい、向上させたいという思いを強く持っている人です。ひょっとすると、この先生もそういうタイプだったのかもしれません。そういう人が、自分の思いを真宗の僧侶に投げかけると、こんな答えが返ってくるのではないでしょうか。「そういう自力修行はやりません。浄土真宗は他力の教えですから」。別に間違ったことを言っているわけではありません。しかし、いくつか問題が隠れています。まず、この返答を聞けばたいていの人は「浄土真宗には行はない」と思ってしまうでしょう。それは違います。もう一つは自力修行を格下に見る悪い傾向です。さらにこんな言葉が付け加えられるかもしれません。「念仏ひとつで救われるのが浄土真宗です。自分で何かやろうというのは「はからい心」ですよ」。これまた間違いではありませんが、言われた人は目の前でシャッターを閉められたような感覚をおぼえるでしょう。まったく親切心に欠けますね。

この先生とは別人ですが、「何かやりたい」とお寺に来た人にお聴聞を勧めたけれども、結局今は別の新宗教で戸別訪問を熱心にやっているという人を知っています。この人も真面目な人でした。しかし考えてみると、私たちはそういう「真面目な人」とちゃんと向き合える準備ができているでしょうか。むしろ、厳しい修行がないことを誇りのように思い、世間や常識に流されるばかりで、一所懸命に何かをやろうとしているのを冷笑するような雰囲気がありませんか。口では念仏ひとつと言いながら、念仏を大事にしない生活。そういう不真面目さに、真面目な人は敏感なものです。

少なくとも真面目は悪いことではありません。もちろん、人間の真面目さだけで悟りを開けるわけでも、信心がいただけるわけでもないでしょう。真面目さでがんじがらめになって仏教から遠ざかることもよくあることだと思います。でも間違ってはいけないのは、真面目というのは人間の側の性格・個性にすぎないということです。本願において人間の性格は問題にならないのです。

真面目な人に向き合うために、真宗のお寺で座禅や瞑想をしようと言っているのではありません。足りないのは、真宗を仏教全体の中でどのように位置づけるかという認識かもしれません。たとえば、前に書いたように、行のない仏教はありません。親鸞聖人が「大行とはすなわち無碍光如来の名を称するなり」と書いておられるように、真宗にも行はあるのです。

この部分の解釈は、教義の上ではいろいろと細かい議論もあるのでしょうが、さしあたっては称名念仏が真宗の行であると理解していいと思います。ところがそうすると「口で南無阿弥陀仏と言うだけでいいんですね?」「言えばいいんでしょ?」という人が出てきます。そういう人は、自分が自分の意思で南無阿弥陀仏と言っていると思っているのでしょう。しかし、称名は私の行いであって私の行いではないというのが真宗の立場です。

私から声が出ているという点では、称名はまちがいなく私の上で起こっている行いです。でもそれは、阿弥陀如来のはたらきが私に届いて私に念仏させているわけですから、源泉は私の内にはなく、阿弥陀さまにあります。如来が私に作用して、私に行をさせているのです。そのことを知らされていくのがお聴聞、法話を聞くという過程なのでしょう。

修行というと、思い出すことがあります。私がある先生の講義を聞いたときのことです。以前、オウム事件の時にある放送局から取材を受け、終わりがけに記者から「修行とは何か」と質問された、と前置きしてこんな話をされました。

「修行には二種類あります。賢くなる修行と、愚かになる修行です。賢くなる修行が、仏教で一般に言われている修行です。しかし法然聖人は、自分の愚かさを自覚するのが浄土門の修行であると考えられました。「愚癡にかえって極楽に生まる」です。浄土教の修行というのは愚癡にかえること、自分の愚かさを思い知ることです。しかし、自分の愚かさを思い知ろうと思ったら山にこもって修行してもだめです。一人で静かなところで心が静かになっても、そんなものは大したことはない。むしろ毎日の生活で、親子兄弟夫婦が様々な葛藤を繰り広げるその中で、人間の愚かさというものを思い知ってゆく、これが修行だろうな。ただの世俗の生活ではない。浄土教の在家の生活というのは、自分の愚かさを思い知らされる修行の場なのです。」

私の口から南無阿弥陀仏が出るのは、阿弥陀さまの力が私にはたらいているからです。しかしその私は、一日中お念仏しているわけではありません。むしろ、念仏も阿弥陀さまも忘れている時間の方が長いかもしれません。けれども、私が忘れていても如来は私を忘れません。私が煩悩の中で焼かれたり流されたりしているその時も、如来の慈悲ははたらき続けているはずです。そのはたらきがあるから、私が自分の愚かさに気づくことができるのでしょう。世俗の生活が修行なのだと言うことができるのです。ボランティアも瞑想も、自由にやればいいと思います。それと同時に、真宗の修行ということをはっきりさせておかなければなりません。求められているのは、自力他力の線引きではなく、ふさわしい伝え方なのだろうと思うのです。

執筆者:寺澤真琴(てらさわまこと)
1962年生まれ。
東京工業大学(修)卒、化学会社、教学研究所講師を経て、現在は本願寺派清徳寺住職(滋賀県)。近畿大学非常勤講師。
気象予報士。大阪の某放送局で気象キャスターをするも、一年でお役御免に。柏原市在住。

村のお寺が新宗教に譲渡される?【石川正穂】

2016年3月10日、研修会の前日打ち合わせを終え会場寺院から帰ろうとした矢先、携帯が鳴りました。観勢寺が親鸞会に譲渡されるという件で、上市町横越の門徒さんが相談にいらしているので早く帰れという電話でした。びっくりして帰って事情を聴きますと、横越全住民に19日、住民説明会が開催されるというチラシが配布されたという事でした。この日から私の混乱した毎日が始まりました。

観勢寺は浄土真宗本願寺派(西本願寺)の末寺であり、親鸞会は1958年に元本願寺派僧侶である高森顕徹によって設立された浄土真宗系の新宗教です。高額な献金や、大学などでの正体を隠した勧誘で知られています。

私は本願寺派富山教務所、当該の立山組長を尋ね、情報を集めました。宗教法人の解散手続きを進めていた本願寺派観勢寺住職が、突然宗派を離脱し、単立寺院となって親鸞会に役員交代しようとしているという、驚くべき内容でした。そしてもう、離脱されてしまっては手の施しようがない、という空気が漂っていました。

私自身の親鸞会についての知識は十分ではありませんでした。学生や会社員だった頃に何度か勧誘をうけました。教区の研修会に参加したこともあります。しかしお手次のご門徒さんのすぐ近くにこのような事が起こらなければ、この問題についてここまで関わらなかったと思います。 この後、私は大谷派富山教務所を通して青小幼年センター嘱託の京都教区、瓜生崇さんを紹介していただきました。既に彼とはフェイスブックを通して友達になっており、以来、アドバイスをいただいています。この事件に親鸞会のどういう意図があるのかを教えて頂いたことが、この後の展開に大きな影響を与えたと思います。

「寺の参詣は減少し、葬儀も行われていない。そんな寂々とした東西本願寺寺院に比べ小杉の親鸞会館には目を見張るような数の人々が聴聞に集まっている」と、親鸞会は世間にアピールしてきました。そして実際に維持に行き詰った本願寺派住職が親鸞会に寺を寄付すると申し出てきた。そこを参詣者でいっぱいにして、いよいよ親鸞会の時代がやってきたと。これまで東西両本願寺批判によって大きくなってきた親鸞会にとって、主張してきたことが現実になる最初の事例が観勢寺になるであろうというのです。

3月19日の親鸞会による住民説明会の内容については3月26日付の文化時報に詳細に書かれています。また、興山舎「月刊住職」5月号も観勢寺問題について丁寧に記事にしています。この号の「月刊住職」には、過疎、人口減少に悩む地方寺院の抱える問題や、不活動宗教法人の売買問題という、観勢寺事件の背景について参考になる記事がありますので、ぜひ一読されることをお勧めします。

説明会では住民から親鸞会譲渡に反対する意向が示されました。それでも観勢寺住職は譲渡にこだわり、2か月にわたって本願寺派も交えて交渉が続けられてきました。しかし残念ながら不調に終わり、譲渡されることがほぼ決まりました。(5月17日現在)

親鸞会は活発な動きを見せています。県東部では富山市太田にすでに親鸞会富山会館がありますが、昨年新たに黒部会館ができました。北日本新聞カルチャーパーク高岡の正信偈入門講座を、再三抗議したにも関わらず、親鸞会講師が務めています。夏の参議院選、石川選挙区にて親鸞会員柴田未来氏が、野党統一候補とされています。「なぜ生きる―蓮如上人と吉崎炎上」という映画が5月21日から全国の映画館でロードショー公開されます。

さてここに至ってこれからなにをどうしたらよいのか、私は途方に暮れています。ただ、もっと門徒さんと親鸞会や様々な宗教について語り合いたいと思っています。そして、今まで以上に法要、葬儀、年中行事、同朋会に力を尽くして、門徒さんがお念仏の教えに触れる、ご縁づくりをしたいと思っています。 私たちはこの問題を見て見ぬふりをしてきました。しかし、真宗王国に胡坐をかいてきた私たちの、今目の前で起こっている事実です。

執筆者:石川正穂
1961年生まれ、金沢大学文学部行動科学科卒、大谷大学真宗学科修士課程卒、現在真宗大谷派玉永寺住職。好きなアイドルはももいろクローバーZ、推しメンは高城れに。共著に、「振起―富山藩の廃仏毀釈と民衆の念仏―」(真宗大谷派富山教区・富山別院)
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方便法身と仰ぐ【筑後誠隆】

師匠と出遭ったのは、20歳の時だった。龍谷大学が封鎖されていた時に学長代行をしており、学長選挙規定を設定して新しい学長を選出したので、雑務から逃れてアメリカへ一年間の海外留学‥‥という名目のご褒美から帰ってきたときだった。
こちらは3回生となり、そろそろまともに勉強しようかなと思っていた時だったから、師匠の「現代思想批判」という講義は、アメリカ帰りのオッサンのお気楽なヨタ話だと思って聞いていた。
ところが、この講義が面白い。キルケゴールから始まって、初期仏教・チベット仏教・唯識まで、縦横無尽に話が飛んでいく。こちらは、2年間の紛争でほとんどまともな勉強をしていなかったから、分からん話を聞くたびに「そんなアホな」と合いの手を入れて、解説を追加してもらったものだった。

あの先生に就いてほしかった

師匠に就いたのを一番喜んだのは母親であった。師匠は、得度の習礼で仏教を教えていたのだった。母親もその話を聴いて、息子はこの先生に就けたいと思ったらしかった。
師匠は、龍谷大学の仏教学の最長老が得度の習礼で教えるべきだと、後々も言っていた。でないと、本当の仏教が分からなくなる、とも主張していた。
ボクの得度習礼の時も、師匠が教えてくれた。往生浄土が目的ではない、成仏が目的なのだ、と明確に説明してくれたのが、みょうに心に残った。

背表紙を見るんじゃ

師匠の研究室に入って最初の課題は、必要な本を図書館から探し出してくることだった。「誰某の〇〇という本を採ってこい」という課題に、すぐに閉架書庫に入って探し出してくるのだが、最初は難しかった。
師匠の「本は背表紙を見て覚えるんや」の言葉で、毎日、書庫に入ってすべての棚の背表紙を見て覚えた。そのお陰で、カテゴリーを把握し、誰がどのような本を書いたのかが分かるようになった。
マ、和綴じ本を毎日触っていたので、手の皮は一枚剥けてしまった。しかし、図書館の掃除のオバチャンと仲良くなって、ボクの専門の書架だけは、いつも綺麗にしてくれていた。

つまみ食いをするな

どの経典、どの注釈書でも、必要な部分だけ引用しようとすると、「全部読んだか?」と叱られた。すべて読み通さないと、何をどう言おうとしているのか分からない。ひょっとすると、正反対の論証で取り上げているかもしれない。
今は『般若心経』を講じているので、『八千頌般若経』と『大般若経』を通して読んでいるが、分量が多いので大変だ。が、やはり読み通さないと誤解していた部分があった。夏からは『大智度論』をもう一度読み通さなくてはならないと思っている。
こういう指摘が、お聖教を読む時にも必要なことだろうと思う。

経典は縁起のように、お聖教は信心をいただくように

経典を読んでいた時に、「そんな読み方をしたら、縁起にならん」と叱られたことがある。経典はすべて縁起を説くために書いているんだから、縁起のように読むんだと、繰り返し言われた。同じように、御開山のご著書をいただくときは、信心をいただくように読むのだ、と教えられた。そう読めない時は、読み方が間違っているんだから、もう一度読み直せ、と言うことである。
「我々が学んでいるのは哲学じゃない。仏教なのだから、答えは決まっている。勝手な読み方をしてはいけない」と何度も言われた。

弟子は師匠を選べるが、師匠は弟子を選べんからナァ

こういう話をして行くと、さも立派な弟子のように思われるだろうが、研究室の中でもボクは本当に最後の方の弟子だったから、かなり甘やかされて指導されたと思う。
逆らった時に「昔ならドツいていたけどナァ」と言われたり、研究が小さくまとまった時には、「中身が小さいんやから、題なと大きくしとけ」と笑われた。そして、挙句に「弟子は師匠を選べるけど、師匠は弟子を選べんからナァ」という言葉だった。
小さな指導はほとんどなかった。ただ、方法論と体系については揺るぎがなかった。自分が考える時の指針はちゃんと伝えてくれた。
ボクにとっては、師匠というより方便法身であった。浄楠院釋尚邦 享年90歳。今年は十三回忌となる。

執筆者:筑後 誠隆(ちくご のぶたか)
もとマイコン坊主。ニフティのfbudの初代主催者。 龍谷大学大学院単位取得退学 仏教学専攻 専攻は因明と唯識。 本願寺派輔教。徳勝寺前住職。 昭和26年生まれ。 趣味 庭木の剪定と若い坊主を蹴飛ばすこと。(Facebook

「師と仰ぐ」ということ【柳衛法舟】

2年前の5月初旬、僕は真宗大谷派にて「人生二度目の得度」をしました。それから現在に至るまでの間、僕は心の中のどこかで、一つの矛盾のようなものを常に感じていたように思えます。

その矛盾とは、「『全ての人々を摂め取って捨てない』という本願に基づく真宗教団において、何故『疎外感』のようなものを時折感じるのだろうか? この『疎外感』の正体とは、一体何なのだろうか?」というものでした。
この矛盾は簡単に答えが出せるようなものではなく、恐らく一生問い続けていかなければいけない問題だと思います。

僧侶の方と浄土真宗について語り合おうとした時、「(私が学んでいる)○○先生は、このように仰っていた」という発言を繰り返すばかりで、こちらの意見を殆ど受け止めてもらえなかったことが、今までに何度かありました。おそらく本人は「○○先生の言葉は間違いないから、是非知ってもらいたい」という親切心で発言しているのでしょう。けれども、僕の心の内に湧き起こったのは、教えて戴いた感謝の気持ちではなく、押しつけがましさに対する不快感でした。白状すると、○○先生の話を聞きたいと思うどころか、「意地でも聞くものか」とすら思いました。
僕は何故、不快な気持ちになったのでしょうか。それは「○○先生に学べた私は幸せ者だ」という「選民意識」のようなものを感じてしまったからです。写真のポジにはネガがあるように、「選民意識」の裏には必ず「選ばれなかった民への眼差し」が伴います。言葉の裏に「今まで○○先生に学ぶご縁のなかったあなたは可哀想だ」という眼差しを感じ、とても嫌な気持ちになったのです。
以下、この出来事を念頭に置きながら、皆さんと一緒に「師と仰ぐ」ということについて、考えてみたいとおもいます。

この出来事に限らず、浄土真宗の僧侶の世界では「師との出遇い」をとても大切にします。その背景には「『師との出遇い』が無ければ、本当に本願念仏の教えに出遇ったとはいえない」という考え方があります。これは、親鸞聖人が本願念仏の教えと出遇う上で、師である法然上人との出遇いが決定的な意味を持ったことを根拠としています。僕も、「師との出遇い」が大切であるという点に、異論はありません。
しかしながら、「しっかりとした先生の下で学ぶことで、必ず教えと出遇える」ということにはならないはずです。事実、法然上人の下には数多くの門弟が集っておりましたが、浄土真宗の立場から言えば、本願念仏の教えに出遇えた者は数えるほどだったからです。
むしろ逆に、「教えに出遇えた」という事実に立った時にはじめて、その縁となった方が「師」として見出されるのではないでしょうか。もっと言えば、今まで出会っていたはずの方と、師として出遇い直すということがあるのだと思います。

少し意地悪な言い方になりますが、「○○先生はこう仰っている」という方は、本当に○○先生を「師と仰いでいる」のでしょうか。自分自身が本願念仏の教えに出遇った、救われたという体験がなければ、○○先生との関係は単なる教員と学生との関係でしかありません。そうした表明も不十分なまま、「私は○○先生に学べて幸せだ」「私は××学校で学べて幸せだ」とことのほか言い立てる裏には、自分自身の歩みに対する自信の無さすら感じられてしまいます。
何より、他人が本当に教えと出遇えたかということは、心の奥底の話になりますから、外見や経歴から窺い知ることは出来ないはずです。もし、自分とは違う経歴であること、例えば龍谷大学や大谷大学といったしっかりとした教育機関で学んでいないことから、「この人は教えに出遇っていない」と決めてかかるのであれば、それは傲慢な姿勢と言われても仕方ないのではないでしょうか。

さて、皆さんは「師との出遇い」について、どのようなイメージを持っておられるでしょうか。恐らく、多くの方は実際に顔を突き合わせた師弟関係、所謂「面授口決」の関係をイメージされるかと思います。確かに、多くの方が「私の師」として挙げられるのは、学校や私塾で教鞭をとられた教学者がほとんどです。
勿論、「師との出遇い」のオーソドックスな形が、教育機関における教学者との師弟関係であることは間違いないと思います。けれども、例えば僕のように教育機関に所属して教学者から直接学ぶ縁になかった者はどうしたら良いでしょうか。「師との出遇い」が成り立たないから、教えと本当に出遇うことは出来ないのでしょうか。
僕は、「師との出遇い」は、直接の師弟関係に限定せず、もっと広いつながりでもって捉え直して良いのではないかと考えています。それこそ、極論かもしれませんが、自分が根底からひっくり返されるような教えとの出遇いがあれば、本を通じて「師と仰ぐ方」と出遇うことも出来るのではないでしょうか。既に亡くなった方であっても、書かれた文字を通して、それこそ時空を超えて出遇うことが出来るのであれば、それはとても素晴らしいことではないかとも思うのです。

なお、これはあくまで僕の個人的な意見ですが、自分の師が誰かについて、あまり積極的に表明していく必要もないように感じます。勿論、教学理解に対する議論などで自分自身の立ち位置を示す必要がある時には「名告る」べきでしょうし、ことさら隠す必要もないでしょう。ただし、わざわざ「○○先生が私の師だ!」言い立てなくても、本当に師と仰いでいるのであれば、自ずと言葉や行動に表れてくるはずです。これこそ、師と仰ぐ方への敬意を表しているのではないでしょうか。
僕は「師の言葉」よりも「師を縁として、出遇った教えとは何か」「教えと出遇ったことで、自分自身にどのような転換を迫られたのか」ということが重要だと考えています。ですから、「教えによって、転換を迫られた自分」というものを、自分自身の言葉でもって表現していきたいし、そのような表現に出会っていきたいと思っています。本願念仏の教えが僕一人に届くまでに、そのような営みが絶えること無く続いてきたはずであり、その担い手の方を心より尊敬するからです。

最後になりますが、生まれや経歴を問わず、一人でも多くの方が様々な縁のもとで御念仏の教えと出遇い、先達の中から「師と仰ぐ方」を見出して戴きたいと念じています。そして、ご自身が「師と仰ぐ方」と同様に、ご自身の言葉でもって、御念仏の教えを喜んで戴きたいと念じております。
そうして紡がれた言葉が、新たな念仏者を生んでいく。そうした広がりこそが、浄土真宗の僧伽の本質ではないかとも思うのです。

執筆者 柳衛 法舟(やなぎえ ほうしゅう)
1982年東京都生まれ
学習院大学大学院人文科学研究科博士前期課程史学専攻修了、真宗大谷派教師。現在、真宗大谷派成真寺衆徒として法務に携わる一方で、東京にて団体職員として仏教書の出版事業に従事。(Facebook
著書に『ニセ坊主 僧伽をおもう―本願寺維持財団と真宗大谷派』(響流書房)

慈悲に聖道・浄土のかわりめあり【朝戸臣統】

熊本で、大きな地震が起きました。何十人もの命が失われたばかりでなく、未だに余震が続いていて、多くの人たちが不安な日々を過ごしておられるようです。家が崩れ、道路が寸断され、命が失われていく中で、当たり前のようにあった目の前のものが、ガラガラと音を立てて崩れていくかのようです。
自然は、時に豊かな恵みを与えてくれるけれども、時には残酷な災害ももたらしてしまいます。

ここ数十年で、私たちは様々な大災害に見舞われ、その度に力を合わせて復興の道を歩んできました。同時に、人間の力の無力さを知らされ、自分の力の限界もイヤと言うほど知らされました。
住む家も、道路も、水や食料も、そして家族や知人がいてくれることを「当たり前」だと思い込んでいた私から、その当たり前が奪い取られてしまう。「どうしてこんな目に遭わないといけないのか!」と叫びたくなるばかりです。
どんなにお念仏申したからといっても、お念仏で災害に遭わなくなるわけではありません。お念仏で経済的な支援をいただけるわけでもありません。
あらためて、私たちにとってのお念仏とは、いかなる意味を持つのでしょうか。

歎異抄 第四条には、「お慈悲」には二通りあるのだという、親鸞聖人のお言葉が示されます。

 あるとき、親鸞さまはこう言われた。
「慈悲」というものについて、私たち他力門と、自力をたのむ聖道門とでは、考え方がちがう。
 聖道門の慈悲とは、他人やすべてのものをあわれんだり、深くいとおしんだり、自力のちからでたすけようとする気持ちと、その行為のことである。
 しかし、はたしていったい、ほんとうに自分のちからで他の人びとを根底から救うことなどできるものなのだろうか。
 我々の信じる他力の慈悲というのは、すべての人は念仏によってまず浄土に生うまれ、そこで仏となる。その結果、新たな力を得えて人びとを救うことができるという考えかたである。
 この世において、どんなに他人があわれで可哀相に思われても、自力で思うがままにそれを救済することなどできないことなのだ。そのことを思えば、自力の慈悲にたよることだけでは十分ではない。だからこそ、ただひたすら念仏することに徹底することが、ほんとうの慈悲の心と言うべきだろう。
(五木寛之氏『私訳歎異抄』より)

多くの命が失われ、避難所でつらい思いをしておられる方々の映像をテレビで見ながら、「かわいそうだなあ、何とかしてあげたいなあ。」と思う自分がいるのも事実です。
でも、そう思いながら、いつもと同じようにごはんを食べれば、ちゃんとのどを通ります。いつものように晩酌をし、ぐっすり眠っている自分がここにいます。
私の中からわき上がってくる、何とかしてあげたいという「お慈悲」の思いは、あまりにいいかげんで、頼りないものでしかありません。

目の前にある「当たり前」が崩れ去っていくのは、災害ばかりではありません。突然の事故や、大病を患うなど、様々な人生の苦難に遭わねばならないのが、私の現実でもあります。
私自身は、四年前の交通事故で、今までの当たり前が私の手から奪われていきました。与えられていた仕事もすることができず、家族や周りに心配をかけ、ただベッドに横たわるしかない現実の中で、「どうしてこんな目に遭わないといけないのか!」と強く思いました。
その一方で、「当たり前」を失ったことで、何が本当に大切なことなのかを知ることができたように思います。家族をはじめとして、多くの仲間たちに支えられ、今まで暮らしていたことに、あらためて気付いたのです。「当たり前」ではなく、実は「有難がたい」ものに支えられている私でありました。
「有り難い」ということは、ずっと有り続けることが難しい、ということでもあります。私が普段から大切にしているものは、いつまでもアテにはならない、ということです。家族も、健康も、お金も、地位も、場合によっては家や食べ物さえも奪い取られていく私である、ということです。
アテにならないものをよりどころとして生きているのが、私の姿なのです。自分の中にあると思っていた慈悲の心も、全くアテになりませんでした。
 「他人やすべてのものをあわれんだり、深くいとおしんだり、自力のちからでたすけようとする気持ち」さえも末通ることなく、平気で食べ物がのどを通るのが、私の姿なのです。

親鸞聖人は、そのような私が自分の力で行おうとする慈悲は、どうしても末通らないものなのですよ、と示されました。
同時に、本当に末通ったはたらきは、阿弥陀様のお慈悲の心であると示されます。
「必ず救うぞ。我われにまかせよ。」
という阿弥陀様の願いが、私のよりどころとなるのです。
災害に遭わないのが当たり前、事故に遭わないのが当たり前、平穏無事に暮らしているのが当たり前だと思い込んでいた私から、その当たり前が奪い取られたときにこそ、
「どんなことがあっても、汝を必ず救いとるぞ。」
という、どんな条件も付けることのない阿弥陀様の救いが、私のためであったと確かに頷けるのです。
残念ながら私の中には、末通ったお慈悲はありませんが、その私を必ず救い、仏と成らせていくという大きなお慈悲の中にあるのだと知らされます。それは、どんなことがあっても私を捨てることがないという、摂取不捨のお誓いです。
そのお慈悲のはたらきの中にあればこそ、私の中にある慈悲の思いが末通らないものであることを自覚することができるのです。阿弥陀様のお慈悲の心こそがホンモノの善であるならば、私の中にある慈悲は全くのニセモノですから、「偽善」でありましょう。
だから、私が行うことは全て偽善であると自覚しながら、今回の震災にも関わっていきます。ボランティアも、義援金も、災害支援の活動や思いは、私の中にある偽善でしかないけれども、できることを積み重ねていきたいと思っています。
阿弥陀様のお慈悲のぬくもりに、少しでもかなう生き方をめざしていきたい。お念仏を申しつつ、偽善を積み重ねながら、「困ったときはお互い様」の支援を共にしていけたらと思います。

神通寺報2016年4月号より(朝戸臣統)