伝えていますか【上野ちひろ】

在家生まれの私が、宗派を超えた寺院住職様向け報道誌『月刊住職』の記者として働くようになったのは14年前でした。本誌は寺院運営や布教活動に役立つ実務情報から、仏教界やお寺で起きている様々な出来事をジャーナリズムの視点で取り上げる日本唯一の雑誌です。以後、全国津々浦々のお寺を取材する日々が始まりました。

取材を重ねて実感したのは、「『お寺』と一口にいうけれど、実に多種多様だな」ということです。宗派の違いはもちろん、地域性、さらに住職の人柄によってお寺のあり方は千差万別。また情報社会かつ多様化が進む今の時代、どの地域のお寺でも工夫次第で可能性は広がっていることも感じました。事実、「里山資本主義」のように発想の逆転から過疎地を「資源の宝庫」として見直し、地域おこしを成功されたお寺の事例はいくつもあります。

しかし、どんな活動であれ、その根底に住職がミッションとして携えておられるのは、「生老病死の苦にいかに向き合うか」「安心をどう伝えるか」でしょう。一般の者にとってもまた、その救いへの道に出会える場だと期待するからこそ、お寺に行く意義、僧侶の必要性を感じるでしょう。あるお寺の写経会で出会ったおじいさんが、しみじみといわれました。「お迎えが近いこの歳になるとな、せめてお坊さんの衣の裾、いや、パンツの紐でもいいからつかんで、なんとか心の安心を得たい」。若い僧侶が開いた座談会に何度か来ていた女の子はこう話していました。「直接会わなくてもネットでコミュニケーションできる今の時代は楽だけどホンネはさびしい。人間関係に向き合うのは苦しいが、それが生きることだと仏教で学べるような気がする」。誰もが、この解決のない苦しみを抱えながら生きています。けれども、その苦しみに向き合うお寺への道(教えに出遇う道)を私たち一般のものが、日常生活でどう見出せるかとなると、けっこうハードルが高いように感じるのです。

一つに、お寺(宗派)と一般の人のあいだに「ズレ」が生じているのかなと思います。

というのも、もし、この誰もが抱える問いや悩みとお寺がストレートに結びついていたら、「寺離れ」などの言葉はないからです。実際に、どのお寺も真面目に法務をつとめておられます。しかし「法座も開いている。行事も行っている。でも人が来ない」という住職の嘆きの声を聞きます。法事も少人数化、減少化傾向にあり、真宗大谷派の『教勢調査』結果を見ても報恩講などの参詣人数が年々、減っています。つまりは人々の中で、お寺を支える意欲が減っているのでしょう。では、その「ズレ」はどこから生まれるのでしょうか。

たとえば、取材の中でお寺を取り巻く人々や、あるいは団塊世代に接してよく感じるのは、「寂しさ」です。リタイアして悠々自適、けれども老いは確実にやって来る、親しい人も亡くなっていく、お金も底をついてくる。けれども、その苦に「お寺」が関わってこない寂しさです。「お寺とは、葬儀や法事くらいしか接点がないんですよ。でも本当はお寺ってそれだけじゃないんじゃないですかね」「お寺って、本当は辛い時に光を見せてくれるようなところじゃないのかね」という言葉には、お寺への期待があるからこそなのだろうなと感じます(今や積極的に関わってくるのはお寺ではなく、「終活セミナー」くらいでしょうか。しかしその「活動」では本当の安心は得られないことは誰もが分かっているでしょう)。

また、昨今は若手僧侶による意欲的なイベントが各地で行われ、お寺に縁のなかった若者やOLたちで盛況です。日常にこうした場が開かれるのは大変喜ばしいことですが、OLが多いということは、それなりに社会経験を積んだ人たちが集まっているというわけです。美味しい場所、楽しい場所をたくさん知っている彼女たちが貴重な時間とお金を使って、わざわざお坊さんのイベントに来るのは、やはり内心期待があるからでしょう。働かなければ明日の衣食住が保障されず、なおかつストレスフルな時代を生きる「この私」に仏教は「生きていく安心」を感じさせてくれますか、と。

イベントが目的ではないのです。だからこそ、イベントは、主宰側が彼女たちの求めているものが見えているかが問われる場でもあるかもしれません。果たして仏教入門の「さわり」程度で彼女らが満足できるかどうか。そこをはき違えると、「参加してみた私」と写真をフェイスブックにあげられて終わり、になるかもしれません。実際、ある精進料理のイベントで「この金額出してこの程度の内容なら別に来る必要なかったね」と友達にボソッと呟くOLの声を耳にしてヒヤッとしました。逆にいえば、さほど美味しいものが出るわけでもないのに(失礼)、連夜盛況の東京・坊主バーはそれ以上の「ここに来る満足」を得られるのでしょう。いわば「私にとって必要な場所」になれるかどうかなのです。

ズレないためには、と考えた時、二人の住職が思い出されます。一人は東京・亀有の真宗大谷派蓮光寺(http://www.renkoji.jp/)の本多雅人住職です。同寺は毎月様々な行事を催し、法座が開かれる日は自坊の門徒だけでなく、他寺の門徒さんや近所の人まで集まり満堂です。「なぜ活発に行事を続け、またそこに人が来ると思うか」という私の問いに、当時40代の本多住職は「私自身が悩んでいるし、寂しいからだ」と率直にいわれました。「もし親鸞聖人の教えが普遍的なものであるならば、個々人の問題を縁としてお寺は開かれなければならない。出会いのきっかけとなるのは、住職の私自身も病んで、ぐらぐらしているところから始まるのではないか。お互いが悩んだり病んだりするところを縁に仏法を聞いていく。そうして支える人みんなでお寺をお寺にしていくのです」と。

もう一人は、大阪・豊中の浄土真宗本願寺派法雲寺の辻本純昭住職(40代)です。辻本住職は自ら「イベント坊主」と名乗り、お寺を多世代が関わる場として開いています。HP(http://www.tcct.zaq.ne.jp/bpdhn205/)。その辻本住職が今のように活動するきっかけに、30代の時、周囲から「突き刺さるような言葉」をかけられたからだそうです。ある日、地元の人から「お前、この不景気に坊さんはなぜ、何もしてくれんのやっ⁉」と胸倉をつかまれたこと。もう一つは、お寺で幼馴染とラジコンで遊んでいた時、幼馴染の彼からふとこういわれたこと。「お前とこの玄関の土間あるやろ。その敷地、うちの家の一軒と同じや。お前、この広い土地預かって、何しとんねん」。辻本住職は「いわれた時は腹が立ったがそのとおりやと思った。気づかせていただいたのです」と述懐されておられました。

何をするにしても、住職自身が、悩んでいるのか、求めているのか、世の中の苦に出会っているのか、が肝心なのだなと活況するお寺の住職からそれを教えてもらいました。また、そうでないと、人々が「求めているもの」など見えないでしょう。広島のある本願寺派の住職は、教師の資格を得て自坊に戻る時、故・梯実圓師(本願寺派元勧学)にこう声をかけられたそうです。「お寺に戻ったら一つだけできる住職になりなさい。存在をかけた問いに応えられる住職になりなさい」と。存在をかけた問いへの道が全国津々浦々に、日常的に開かれたらよいなと私は願っています。もちろん、その道づくりが、一般の私たちにも問われていることはいうまでもありません。

執筆者:上野ちひろ
龍谷大学文学部真宗学科卒業。宗派を超えた寺院住職向け報道誌『月刊住職』(http://www.kohzansha.com/index.html)記者。趣味は読書と登山。「ビールの写真ばっかり」といわれるフェイスブックはhttps://www.facebook.com/ueno.chihiro.3