お父さん、お母さん、仏法聞こうよ!【松下蓮】

私には子どもが3人います。小学生の娘が2人、保育園に通う息子が1人。
真宗大谷派のお寺を義父が預かっていますので、そこに同居するという形で住まわせていただいています。

このコラムを読んでくださっている方々の中にも、今、子育て真っ最中のお父さん・お母さんがおられると思います。毎日仕事が忙しくってかわいい子たちの相手ができないお父さん、そんなお父さんを頼りにしたいけれどもそういうわけにはいかず、小さい子どもを抱えて右往左往しているお母さん。仕事を抱えながら毎日毎日忙しい日々を送っている方もおられると思います。

私も娘たちが小さいころは主人がほとんど家にいなかったものですから、なんとなく内にこもって悶々とする日々を送っていました。子どもの相手をして一日が過ぎる。子どもが病気になれば一日中抱っこして、掃除も洗濯もいいかげん、授乳しながら自分のご飯をかきこむ、というとても行儀の悪いことも平気でやっていました。その反面、やはりお寺の奥さんという立場上、子どもを置いてリフレッシュしに行くわけに行かず、やはり「いいお母さん」を外で演じては、帰ってきてまた嫁として、お寺の若奥さんとして立派にふるまおうとし、子ども相手にしんどい思いをするのでした。

そのような日々の私の一番の問題は、「思い通りにならないことへの愚痴」でした。子どもが私の言うことを聞かないということはもちろん、ゆっくり本を読んだりショッピングしたり、友達とゆっくり会ってお酒でも飲んでみたり、独身時代にできていた楽しみが全くできない。嫁に行ったことで、お寺や家族の習慣・考え方の違いから、不満を不満として堂々と言うことのできないもどかしさ、遠慮。そんなことがたくさんありました。本当のことを言えば関係がダメになる。

そういう不満を義母に訴えると「思い通りにいかんねえ」とニコニコしています。えっ?!と思いました。たしかに思い通りにはいかん。でもこの状況をどうにかしてほしいのに・・・!子どもがいうことを聞かないことや自分の自由を奪われているような感覚に埋れていたころ、「幼児の虐待死」という問題が社会を騒がせていました。

大阪で、若い母親が幼い子どもを二人置き去りにして死なせた事件。猛暑の中、母親の愛と食べ物を求めてけなげに寄り添って亡くなっていた子どもたち。私はそのニュースに夜も眠れないほどショックを受けました。ちょうど我が子たちと歳が一緒でした。母親をとことんまで批判し人間扱いしないメディア、一方で母親を擁護する人たちは社会の問題、子育てシステムの問題やらなんやら!最初は私も「子どもを置き去りにするなんて。ひどい」と思いました。しかし、よくよく考えてみると、本当にこの母親のことを私は批判できるのか?ふいにおもいだした言葉「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」(歎異抄)。本当にこれは、私にとってはとても恐ろしい言葉に思えました。「あなたもきっかけがあれば子どもを殺すことができるんですよ」と。

そう、あの母親とは、私のことだったのです。子どもを殺さないで済んだのは、子どもを置いて丸一日、外に飛び出したいという衝動を抑えていたのは、世間体だけだったのかもしれません。ただ世間体という薄皮一枚でつながっている。こんな私が人を簡単に批判することができるでしょうか。

私にとって、仏法というものが本当に自分自身のことをピッタリ言い当ててくださっているということが、この事件の縁で知らされた気がします。その一つのきっかけがたまたま今回は歎異抄の言葉だったわけです。頭が下がるというのは、この私の本当の姿を突きつけられて懺悔(さんげ)するしかないということ。その元はというと、釈尊が多くの人に伝えてくださった仏の教え。そしてそれが長い年月をかけて、遠い西の国から数えきれない多くの人々の苦労のおかげで私たちの元へ伝わってきている。一緒に子育てをしているお友達のお母さんに聞かれたことがあります。「仏教って、お経を読むだけではないよね?」と。私は「それやったらほんと、仏教なんていらんよね。お経というもんが何千年も大事にされてきた訳を考えたらさ、やっぱり過去に生きた人たちの拠り所やったからやろね。いろいろみんな苦しんで生きてきたんやろしね。うちらも一緒やん。」

きっかけは何でもいいんです。仏法に遇うためには時には逆縁も必要なんだろうと思います。一番子育てで忙しく苦しい時に、私は仏法を聞きたいというきっかけを与えられました。何でも思い通りにいっている時には、いくら仏法のほうが私の近くにあってもスルーしていたんじゃないかと思います。お寺で本堂に参っていながら、きっとずっと仏のほうが「おーい!」って呼んでいたのにぜんぜん気づかなかったんでしょうね。義母が「思い通りにいかんねえ」とニコニコしていた意味も、「蓮ちゃん、仏法を一緒に聞いていきましょうよ」という呼びかけだったんだなあと思うのです。

思い通りにならないランキングがあるとしたらナンバーワンと思われる子育て。今ですよ、今。子育て中のみなさんと一緒に仏法に出遇っていきたいものです。

執筆者:松下 蓮(まつした れん)
真宗大谷派 延福寺衆徒。1975年生。京都府亀岡市在住。真宗大谷派青少幼年センター研究員。絵本を通してお寺の子ども会を支援する仕事をしています。
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