本来のお寺の役割【瓜生 崇】

先日、北陸のあるお寺にご法話に行ってきました。五日間で合計すると約十時間のご法座です。

五日間連続で話をするというのは、今日ではそう機会のあることではありません。最初は十数人のお参りでしたが、お参りされる方は徐々に増えてきました。どうやら田植えのシーズンで、農作業が一段落ついた方からお参りに加わるので増えてゆくのです。

最初から最後まで全部お参りされている方も何人もおられました。聞けば毎日ご法話を聞いているといいます。農作業や病院などでどうしても行けない日以外は本当に毎日法話を聞きに来ているのです。最終日には三十人近くになりました。そのお寺の門徒さんだけでなく、近隣の方々が隔て無く聴聞に来られていました。

私は自分より何倍も多く聴聞しておられる方を相手に、一生懸命お話をさせていただきました。休憩時間になっても本堂は賑やかです。お参りされた方がそれぞれに聞かれた仏法をお話されています。またよく講師控室に仏法のことを質問しに来られる方もありました。

そのお寺は明治時代に一般の末寺での布教が許されてから100年以上の間、毎年120日以上のご法話がなされて来ました。北陸ではこういうお寺は他にも幾つもあったそうですが、今は「うちの寺しか残っていない」と住職さんは言われます。かつては本堂の障子をはずさないと入れないくらいに参詣者であふれることもあったようです。

b0029488_2248370[1]今、お寺の存在意義が問われています。

都会では「直葬」といい、お葬式も読経もないままに直接ご遺体を火葬場におくることが急速に増えています。お葬式をお寺に頼むにしても、特定のお寺の門徒や檀家になることを嫌がりその場だけのお付き合いを希望される方も少なくありません。都会でお寺とのお付き合いが全くない家庭が増える一方で、田舎では過疎化で次々と無住のお寺が増えてきています。そうでなくても、維持するだけで精一杯というのが現状です。

その中で、いわゆる「お寺の中の人」の多くが自分たちの存在意義に悩んでいます。本当にお寺はなくてはならないものなのか。ある人は長く続いた伝統を守らなければならないからと言い、ある人は人のつながりやみんなが安心できる場がそこにあるからだといいます。これからのお寺は社会に奉仕する活動をやらなければならないのだという人もいます。新しいお寺をつくろう、お寺は変わらなければという人もいます。私はそのこと全てに深く同意します。

今までお寺や教団は変わらなかったわけではありません。あるときは戦国大名と対等に渡り合える武装集団だったこともあります。あるときは国家の出先機関として役所のような働きをしていた時もあります。あるときは開拓や戦争に協力し、その中には今から考えると安易な権力への迎合として反省しなければならない点がたくさんありますが、時々の価値観のなかで一生懸命に「役に立つ存在」であろうとしてきたと言えるでしょう。

しかしそういう歴史の中で一つだけ絶対に忘れてほしくない役割があるのです。それは「仏法が伝わる場」としてのお寺です。仏法を話し、仏法を聞く場としてのお寺です。浄土真宗ならば、念仏の道場としてのお寺の役割です。社会や教団、お寺がどう変化していっても、このことだけは変わらなかったはずです。

お寺で仏法が説かれなくなったら、どんなに伝統を守って安心できる場を提供できていても、それは別に寺でなくても構わないはずです。社会の足しになるためだけにお寺があるのではありません。私が生きる根本の問題を解決する場として存在してきたのがお寺です。オウムの元信者が伝統寺院を「風景に過ぎなかった」と言ったように、教えが説かれない寺はただの文化財に過ぎません。そこで仏法が伝わってゆくことで、初めて生きた宗教としての寺は成り立つのだと思います。

北陸の小さな町のそのお寺で私のような若輩者が話をし、それを毎日のようにお参りし居眠りもせずに熱心に聞かれる方々を見て、私はそのことを改めて確かめさせていただきました。私が仏法を聞かせていただくのがお寺です。私を救うとおっしゃる阿弥陀様の本願を聞かせていただくのがお寺です。お寺の「未来」や「本来」を語るとき、そのことを決して忘れないでいたいものです。

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「みんな」になるな「一人」になれ 【宮尾 卓】


「みんな」になるな「一人」になれ 
  (by 玉光 順正)

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「みんな」とはいいことだと教えられてきたような気がする。

そして「みんな」になれない人が「一人」なのだ、なんて思うことがある。

そのくせ、「一人」を楽しんでいる人は、どことなくカッコよく見えたりもする。

 

誰も主体的に「みんな」ではない。そう、主体が無いから「みんな」なのだ。

でも「みんな」は「一人」が集まればそれで「みんな」なんだと思っていた。

 

本当の「みんな」の正体は「みんな」の中に放り込まれた「一人」なのだ。

 

10352716_702069449872483_489562545_nだから、誰も本当の意味での「みんな」を知らない。

知らないから、誰も自分からは「みんな」になれない。

「みんな」とは「世間」であり、「組織」であると言ってもいい。

 

私には「みんな」とは違う「一人」であると主張するところがある。

でも、私は「みんな」になろうともする。

「みんな」は「空気」とか「常識」とかと呼ばれる枠組みを有している。

私は「みんな」の枠組みから漏れないかと不安を抱え、苦しむ。

 

私は「みんな」の中にいる「一人」であり、「みんな」からの評価が気にかかる。

 

得体の知れない「みんな」

評価なんか分からない。でも、不安だから自分で想定する。

これが「みんな」ということなのだろうか、と。

 

想定した「みんな」の「空気」に確かさを感じると、その答えを手放せない。

自由な思考や生き方と引き換えに「こういうものだ」と決めて安心したいのだ。

 

ひとたび安心すると、想定した「みんな」の「空気」と異なる存在は嫌がる。

「みんな」という、曖昧だが確かに感じる「枠」に収まらないモノは異物として排除する。

―――それが昨日までの友人、同僚であっても。時には家族までも。

 

その基準は、私という「一人」の想定する「みんな」である。

時には別の「一人」と似通う部分があることもあるだろう。

でも、本当は誰ひとりとして完全に一致することはないのだ。

 

それでも、「みんな」に染まろうと死ぬまで努力する。似通う「一人」たちと「みんな」を作ろうとする。

時には、私以外の「一人」を私の想定する「みんな」に無理やり染めようする。

 

それは、得体の知れない「みんな」や「世間」に完全に支配されてしまった姿だ。

そうして「みんな」を主(あるじ)とする。

 

得体の知れない主(あるじ)の為に、「一人」の心の叫び声に耳をふさぎ続ける。

そして、気ぜわしくはからい続ける、終わることのない歩みがはじまる。

なぜなら、「みんな」は気まぐれだからだ。曖昧な「空気」ひとつで見事に変わる。

 

ついには「一人」が「みんな」の為に、モノのように扱われるようになる。

私は「みんな」に支配され、私は「みんな」に裁かれる。

「みんな」に従わない「一人」のことも裁き続ける。

「みんな」を主(あるじ)とすると、正しさは暴走する。

―――想定外の事故が起きるまでは。

 

本当は「みんな」がわからない。でも、わからないところに眼を閉ざす。

「こういうものだ」と分かったことにする。そうしないと不安なのだ。

 

私は「みんな」の評価がこわい。「みんな」から漏れ、孤立することに怯える。

存在が生き残るために、お互いにけん制し、正しさを主張する。

存在が護られるために、お互いに探り合い、正しさを確認し続ける。

 

本当には誰も何も信頼していないのだ。

そんな私の「いのちの存在を軽んじる生き方」が「もっと」「ちゃんと」と私自身を駆り立てる。

「みんな」を主(あるじ)とし、「一人」を閉ざすとき、私のいのちもまた「みんな」より軽くなる。

私は私という「一人」なのか、それとも「みんな」の為の私なのかわからなくなる。

そして、私の心は支配され、暗く、生きづらい世の中を作りだしていく。

 

まさに「火の車 作る大工はあらねども 己が作りて 己が乗りゆく」

そんな人生は悲しすぎる。求め、目指す方向が違うのではないか。

 

今一度、「一人」にかえろう。身勝手にふるまうという意味ではなく。

 

和を以て貴しと為すことは美しい。

でも、それは「同じ」が貴いのではではない。「共に」が貴いのである。

ばらばらでいっしょである。

 

今一度、「一人」と「一人」にかえろう。

 

自分の価値観、世間を、「みんな」を絶対化し、はからい続ける私だけれど、お浄土の教えによって、すべての物事が相対化される世界を生きよう。

 

それはまた、人間として本当の意味で自立することに繋がる。

無理に考え方を変えたり、自分に嘘をついたりしなくてもよくなる。

自分の人生に責任をもって、自らが考えて生きていくことになる。

 

その歩みは私の人生を私「一人」が大切に歩む第一歩になり、「みんな」と共に生きる第一歩になるに違いない。

 

10356659_702069456539149_1746807375_nはからい已(や)まぬ私だけれども

「なんまんだぶつ」と、はからえない「いのち」の世界に還ろう。

 

南無阿弥陀仏

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作務衣・・・この便利なるもの。 【朝戸 臣統】

IMG_1823お坊さんって、専業の場合と兼業の場合では、かなり日常の過ごし方が違うかも知れません。私の場合、専業でお坊さんをしておりますので、お参りなどの合間には、お寺で過ごすことが多いのです。
そこで問題になるのが、何を着て過ごすか、ということなんですね。ビジネスマンのようにスーツとネクタイを着用するわけでもありませんし、かといって、ジャージで過ごすのも、接客の都合上、いかがなものか、と。理想は常に袈裟と衣を着用していることなのですが、なかなかそうもいかなくて・・・。
そういうわけで、私の場合、普段着は「作務衣(さむえ)」で過ごすことが大半です。作務衣って、もともとは、禅宗のお坊さんが日常の作務をする際に着用する作業着であったそうですが、これがなかなか便利なのですね。

298980_126680617497516_688924258_n1,動きやすく、身体に優しい。
お坊さんの作業着ですから、いろんな作業がしやすい設計になっています。本当に動きやすいです。化繊なので、丸洗いもOKです。また、ズボンのお腹回りはゴムになっていますし、上着はヒモで留めるだけですので、基本的に身体を締め付けません。しかも、多少の体格の変動にも、柔軟に対応してくれます。ただし、そこに甘えてしまうと、メタボ体型まっしぐら、ということにもなりかねませんが・・・。

2,見た目がいかにもお坊さんっぽい。
これ、けっこう大事なんです。お寺に来られる方への接客でも大切ですし、外出時にも、お坊さんという視線で扱っていただけることが多いように思います。ちなみに、お坊さんに見られたくないときには、他の服に着替えて外出してます。

3,長持ちで、結果的に割安。
ネット通販など、複数の作務衣販売サイトを見ていただくと、「値段が高い!」と思われる方が多いかも知れません。私も当初、そう思いました。でも、長期間着られるということを考えると、実は割安なんです。冬用2着、春秋用2着、夏用3着を、それぞれの季節に合わせて、ほぼ毎日着ているのですが、すでに3〜4シーズン着用していますから、日々のコストを考えれば、安いものです。

お坊さんも、お坊さんでない人も、普段着に作務衣を着てみてはいかがでしょうか?オススメしますよ。(*^_^*)

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いつか念仏もうす人に 【平野 正信】

私事ですが、もうすぐ私達夫婦のところに子供が生れてきます。

命のスタートという意味、受精卵となった時に既に生まれているということなのでしょうが、母の身体から出てきて娑婆の空気を吸うのはもう少し先のことです。

一つの生命が今お腹の中で育っているといのは、何とも不思議なものですね。

ところで、私とつれあいの約束事で、子供の名前については、子供が男の子ならば私が決定権を持ち、女の子ならばつれあいが決定権を持つ、という風に決めていました。

もちろん話し合いはしますが、最終的な決定権は同性の親が持つ、という約束事です。

そして、エコー検査の結果、ほぼ男子で間違い無いということがわかりました。
(まあ、生れてみたら違ったというケースは良くあるらしいですが)

という理由で、名前の決定権は私が持つということになったのです。
名前というのは重要です。
なにせ、一生ものですから、こりゃあ責任重大だ、と思って色々と案を出したのですが、何となくシックリこない。

どうしたものか?
と考えていたある日、お聖教を読んでいて
「お!この名前にしよう」
と直感的に思いまして、名前を決定しました。

1510989_530103167098008_4263069880652851984_nその名前は
「明法(あきのり)」
です。

この名前はあるお方の名前から頂戴しました。
その方は、親鸞聖人のお弟子様の一人、明法房(みょうほうぼう)です。

明法房は親鸞聖人の弟子になる前の名前を弁円(べんねん)といい、山伏でした。そして、彼は親鸞聖人を殺害しようとした人です。

山伏弁円は、親鸞聖人が説く念仏の教えが広まることを良しと思わず、親鸞聖人を殺害しようと草庵に押し入りましたが、殺そうとしていたはずの聖人のお人柄に触れ、心を翻して念仏のみ教えに入り、親鸞聖人の弟子として法名をいただたいた方です。

聖人より早くご往生され、その知らせを聞いた親鸞聖人に「うれしいことだ」「めでたいことだ」と喜ばれた方です。

五逆の罪人であったはずなのに、お念仏の教えに出遇い、最後には親鸞聖人にその往生を喜んでいただけるなんて、こんなに幸せな人が他にいるでしょうか。

私はこの幸せな人、明法房の名前を頂戴し、子供の名前を明法にすることに決めました。
名は親の願いです。
私が彼に願うこと、それは

どんな生き方をしてもかまわない、たとえ、これ以上無いほどの罪を犯す人になってしまったとしても、いつの日かお念仏をよろこべる人になってほしい

これだけです。
親子であっても、彼もまた仏に願われた仏の子ですから、仏様の子をおあずかりさせていただき、この手に抱く時を、お念仏申させていただきながら待っております。

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『あみださま』は、えらばない。 【一二三 智生】

 阿弥陀さまのはたらきは「えらばず」と言われます。

「えらばず」という事は、「比較をしない」という事でしょう。

2011年に発刊された、みうらじゅんさんの《マイ仏教》という本があります。この方は、多才な方ですが、この本の中、後半に“非核三原則”ならぬ“比較三原則”という項目がありました。我々は、日々の生活の中で色々な事を比べて生きているというのです。

10250684_1492718890951152_1510747884_n「他人と自分」「過去と現在」「親と自分」これら3つを比較して、自分自身の人生を狭いものに閉じこめていると言うのです。まさしく、我々は比較するという煩悩で優劣をつけ、自分自身を狭いものに閉じ込めています

このような比較する私に対して、阿弥陀さまは「えらばない、比べない」とはたらいていて下さるのです。

 ところが、現代社会を生きていく上で、色々な事を自らの都合によって選び、比べ、それによって生じる苦しみ悩みを抱えているのが私達です。 この苦しみ悩みを無くすことは容易ではありませんが、これらを無くすことができない、そういう私という存在を既に見抜いておられる方が「えらばない、比べない」とはたらいて下さっている『阿弥陀さま』なのです。

 『仏法は聴聞にきわまる』

これからも、阿弥陀さまのお言葉をお聞かせいただききながら、阿弥陀さまの誓いを信じ、「南無阿弥陀仏」をとなえながら力強い人生の歩みをさせていただきましょう。

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おもかる石が想い?! 【太田 幸典】

持ち上げてみて、軽いと思えば願いがかない、重いと思えば願いがかなわない…

10156913_599848460111848_1926585298_nそんな石が神社さんに置かれていることがありますね。
”信心深い”?僕は必ず持ち上げてみます。でも、この石、大きさのわりに意外と重いんですよね。
毎回、”重い”と感じる僕は決まって周囲の人たちに「これ、意外と軽いなぁ。」と言います。
それで、毎回、変な汗をかくことになるんですが、神社さんの片隅に置かれているのを発見すれば持ち上げてみたくなるのです。
そこで、今回、この”おもかる石”について考えてみました。
持ち上げてみて”重い””軽い”と感じるのは持ち上げる前の覚悟が大切なんですね。
見た目はこぶりな石だけど「これはかなり重くて手ごわい石だ!」と思って持ち上げると、きっと軽く感じるでしょう。
「これは軽そうだな。」と思って持ち上げてみると「意外に重いなぁ!」となるのでしょうね。

この”おもかる石”は人生に似ているのかもしれませんね。
「人生は明るくて楽しくて…」と思っていると様々な困難にぶつかるたびに「生きることは、なんでこんなに辛くて悲しいの?」と思うでしょうし、「この世はつらいものだ」と思って毎日を過ごしていると、ちょっとしたことがとてもありがたく、またうれしく思えるのかもしれません。

えっ?今頃気付いたの?って言わない言わない…

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日々のご給仕 【吉峯 教範】

10250955_683681128360050_1249638353_n某所で御葬儀の手伝いをしていた時に、ある方が仰った。
「どうして、ご葬儀のお道具は皆銀箔が押してあるのかわかりますか?」
お東の寺院の葬儀では、蝋燭や供笥、四方といったお道具や、根菓餅の柱や四華(紙華)に銀濃といって銀箔や銀粉を押したものを使うのですが、どうしてだと思います?というご質問でした。

「銀箔はね、すぐに酸化して真っ黒になっちゃうんですよ」
それが、答えでした。

葬儀に使うお道具やお供えは、その都度その都度一から作り直すなり、誂え直したりして使うもの。そういうご教示だったと思います。
「手間暇をかけて勤めるもの、それがお葬式だと思います」ともお聞きしたように覚えています。

10169028_683681135026716_154939493_nご葬儀に限らず、行事の際にはその都度打敷をかけ 瓔珞を吊り 五具足とし、終われば打敷や瓔珞を外し三具足とするのも、杉盛や須彌盛、仏花等法要の度に使い回しのできないお供えを用意するのも、真鍮の仏具を毎回磨くのも大切な意味があることなのだと教えていただきました。

さすがに本山や別院以外で瓔珞までかけたり外したりするお寺さんは数ヶ寺程しか存じ上げませんが、少しでも手をかけるところを残しておかないと、見た目は美しく綺麗でも中身のない上辺だけのものになってしまうのではないかと思います。

最近は、御仏飯や杉盛、須彌盛の精巧なレプリカ、見事な立花の造花、金箔を推したりセラミックでコーティングされた仏具、そして山型(お東)・箱型(お西)の灯芯の炎の形まで再現したような輪灯や菊灯の電飾まで発売されていると聞きます。
そのすべてがすべて悪いとは言いませんが、どこか一つか二つくらいは手間暇をかけることのできる場所を遺しておいて、お荘厳の本当の意味を思い出させていただく機縁とさせていただきたいものです。

見た目だけご本山の両堂と同じに見えるようにしても、それはお荘厳でも何でもなくただの自己満足にすぎないと思います。

10248795_683681131693383_589665077_n毎朝、油を差し火を灯し灯芯の形を整える。突出や盛相でなくともまず炊きたてのご飯をお供えさせていただく。
杉盛や須彌盛の形にはならなくとも、レプリカを廃して本物のお餅をお供えしてみる。
蝋燭を立てる時は朱のいかり型が用意できず白い棒状の蝋燭しかなかったとしても、まず電飾を外してマッチを擦ってみる。
何もあれもこれも一度に全部しようと思わなくても良いのです。
一つでも二つでも自分の手でやってみれば、ただ本山通りの形の電飾を飾って悦にいっているよりは、よほど得られるものが多いのではなかろうかと思います。

どんな一張羅の着物でも365日着たままでは、よそ行きにはなりません。
打敷やお供物を載せる供笥もまた、普段はしまっておいて出しっ放しにはせず、ご命日や報恩講にのみ荘るからお荘厳になるのです。

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「なかま」ということ 【朝戸 臣統】

スタッフネタですが、けっこう大切なことかも。(*^_^*)

bannerこの、リレーコラムのサイト、最近少しだけ変わりました。右上にある説明が、
「浄土真宗のなかまによる連載コラム」
になったんです。そうなる前までは、
「浄土真宗のお坊さんによる連載コラム」
だったんですよ。気が付きましたか??

ご法話でなくても、浄土真宗に関わる身近なことをリレーコラム形式で掲載しては、という企画からスタートしました。当初は、執筆陣がお坊さんばかりだったのであの表記になっていたのですが、お坊さんじゃない方もコラム執筆に加わって下さるようになりました。そうなると「お坊さん」という括りでは合わなくなったんです。
「お坊さんでダメなら、門徒にしてみたらどう?お坊さんも門徒だし。」
「いや、門徒というのはお寺に所属する人だから、それ以外の人を除外しちゃうんじゃないの?」
「そうか、じゃあ、なかまという表現にしようか?」
というようなやりとりの中で、新しい説明へと変更になりました。

今回のことを通して知らされたのは、ひとつのカテゴリーを作るということは、その外側にカテゴリーから疎外される者を作り出している、ということでした。内側にある者はそのことに気付きにくいのですが、疎外された者は傷みと共に感じてしまうのです。仲間作りという行為そのものが、実は仲間はずれを作る行為につながってしまう危険性をはらんでいるのですね。
Jリーグのサポーターによる「○○○ONLY」という横断幕が差別的だと処分されたのも、同じ理由なのでしょう。

コラムを執筆して下さる方はもちろん、このコラムを読んでくださっている皆さんも、お念仏のみ教えをよりどころとして生きている「なかま」です。だから私は、ここに「なかまはずれ」と感じる人がいなくなるようなサイトでありたいと願っています。
だって、如来の願船に乗せていただいた、お互いですからね。

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お寺ネコ 【蕚 慶典】

お寺にはネコが4匹います。全ては「ノラ」出身。

IMG_1625隣接する大阪市の墓地で、お参りの方々のお供えがたっぷりいただけるので、捨て猫などが育ったとみえます。15年ほど前からその数が目立つようになり、恋の季節にはお寺の塀近辺でも、「あまーい」声がひびきます。
気が付きますと、小さなネコちゃんがうろうろ。「可愛い」といってエサだけを与えに来る人もできたのですが、そうなると今度はお墓詣りの方々から「お供えを荒らし、糞便が汚い」と苦情も増えます。中には、ネコ嫌いの人もいますから暴力を受けて、傷を負うネコも目立ってきました。
そんなこんなで坊守や娘たちが、賛否両論はあるかもしれませんが、費用を払って去勢手術をした上で放つということを始めました。そうしますと、手術後に保護しているネコちゃんが懐いてしまい、勢い飼いネコになるということになり。それで4匹おります。
その中に1匹、歯の抜けた子猫がいまして、獣医さんに見ていただく中で先天的な糖尿病であることがわかりました。十年前のことです。なにせ元はノラですから、なかなか人に身体をさわらせません。診察にも餌付けでボックスに誘い込んで連れて行くぐらいですから、すばしこくって慣れないのです。
IMG_1626引っかかれたり噛まれたりしながらとっつかまえてインシュリン注射。朝晩二回です。大変な作業となります。ところがしばらくしますと、このネコ、我々夫婦のお布団の上で寝るようになってきた。また、注射の際にはじっとうずくまってくれつので、二人がかりで押さえつけての注射が、一人で十分となります。ネコ自身が、あんなに嫌がりにげていた注射が、むしろ自分の命を支えるものであることがわかったのでしょうか。不思議な思いでした。そして、一日のウチ半分は外にいたネコは、今、おひざの上で居眠りをしています。

ネコさえも、知りたくないしたくないと思えることであっても、真実自分を救うてくれることならば順う。今、大悲のお心でどのように背こうとも、「必ず共にあって浄土へすくうぞ」と、はたらきつづけの如来さまに遇いながら、私たちはどうだろうかと思うのです。
満開の桜の下、さっきから子ネコが1匹、またお寺の庭でミーミーと鳴いています。

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星とたんぽぽ 【藤堂 尚夫】

星とたんぽぽ

春のくるまでかくれてる、tanpopo

つよいその根は眼にみえぬ。

見えぬけれどもあるんだよ、

見えぬものでもあるんだよ。

この詩「星とたんぽぽ」の作者である金子みすゞさんは、「若き童謡詩人の巨星」と言われながら二十六歳でこの世を去った薄幸の人でした。しかし、その優れた感性は、通常では見えないところにまで及んでいます。

私たちの命は、実に多くの人やものによって支えられています。しかし、そのことを私たちは、いつも意識してるわけではありません。では、私たちは自分の命を支える根について、忘れたままでいいのでしょうか。

みすゞさんに深い理解を示しておられる矢崎節夫さんは稲の根について書いています。(『金子みすずこころの宇宙』)それによれば、八十センチほどにのびた稲は三十メートルもの根を張るのだそうです。そして稲の根は地面の中で様々なものに出合い、その出合いを糧として稲が育っていったと矢崎さんは言います。

私たちも多くの出会いを糧として、地面の中にしっかりと命の根を張っていきたいものです。

阿弥陀様のお働きは、直接目にできるものではありませんが、「見えぬけれどもあるんだよ/見えぬものでもあるんだよ」というとき、私たちは、阿弥陀様のお働きの実在を信じることができるのですね。

【執筆者はこちら】

浄土真宗のなかまによる連載コラム