蕚慶典 のすべての投稿

お寺ネコ 【蕚 慶典】

お寺にはネコが4匹います。全ては「ノラ」出身。

IMG_1625隣接する大阪市の墓地で、お参りの方々のお供えがたっぷりいただけるので、捨て猫などが育ったとみえます。15年ほど前からその数が目立つようになり、恋の季節にはお寺の塀近辺でも、「あまーい」声がひびきます。
気が付きますと、小さなネコちゃんがうろうろ。「可愛い」といってエサだけを与えに来る人もできたのですが、そうなると今度はお墓詣りの方々から「お供えを荒らし、糞便が汚い」と苦情も増えます。中には、ネコ嫌いの人もいますから暴力を受けて、傷を負うネコも目立ってきました。
そんなこんなで坊守や娘たちが、賛否両論はあるかもしれませんが、費用を払って去勢手術をした上で放つということを始めました。そうしますと、手術後に保護しているネコちゃんが懐いてしまい、勢い飼いネコになるということになり。それで4匹おります。
その中に1匹、歯の抜けた子猫がいまして、獣医さんに見ていただく中で先天的な糖尿病であることがわかりました。十年前のことです。なにせ元はノラですから、なかなか人に身体をさわらせません。診察にも餌付けでボックスに誘い込んで連れて行くぐらいですから、すばしこくって慣れないのです。
IMG_1626引っかかれたり噛まれたりしながらとっつかまえてインシュリン注射。朝晩二回です。大変な作業となります。ところがしばらくしますと、このネコ、我々夫婦のお布団の上で寝るようになってきた。また、注射の際にはじっとうずくまってくれつので、二人がかりで押さえつけての注射が、一人で十分となります。ネコ自身が、あんなに嫌がりにげていた注射が、むしろ自分の命を支えるものであることがわかったのでしょうか。不思議な思いでした。そして、一日のウチ半分は外にいたネコは、今、おひざの上で居眠りをしています。

ネコさえも、知りたくないしたくないと思えることであっても、真実自分を救うてくれることならば順う。今、大悲のお心でどのように背こうとも、「必ず共にあって浄土へすくうぞ」と、はたらきつづけの如来さまに遇いながら、私たちはどうだろうかと思うのです。
満開の桜の下、さっきから子ネコが1匹、またお寺の庭でミーミーと鳴いています。

【執筆者はこちら】

ベテルギウスの光 【蕚 慶典】

orion冬の夜空をいろどる代表的な星座のオリオン座。日本ではその姿が「鼓星」といわれ、航海の目印になってきました。オリオンのベルトのあたる三連の星は、宗像三神や住吉三神であるともいわれて、月星の天体の運行と地上の生活が密接であった時代を知らせてくれます。
星の神話では、狩人オリオンは月の女神アルテミウスの想い人であったが、双子の太陽神・アポロンがそれをよく思わず、ある日海で泳ぐオリオンを海獣と偽って、弓の名手であるアルテミウスに射殺させてしまう。事実を知ったアルテミウスは悲しみに沈み月が見えなくなったのです。
父神ゼウスがこれを憐れみ、オリオンを天上に召してアルテミウス=月の通り道におき、二人が並んで夜空を運行するようにしたのだといわれます。
ところで、そのオリオンの右肩にあたる星、おおいぬ座のシリウスとこいぬ座のプロキオンで「冬の大三角」を構成するベテルギウスは、ひょっとしたらもう消滅しているかもしれない星なのです。実際地球上で、星の臨終=超新星爆発の光が観測された時には、本体は500光年から800光年かなたですから、その500年~800年前に消滅していることになります。
星でさえ無常の理の外ではないと、ベテルギウスの光が教えます。この宇宙の中で唯一変わらないものは、アミダー無限と名乗られて、はたらき続けられる如来さまの「本願力廻向」一つでありました。

【執筆者はこちら】

ひそかな楽しみ 【蕚 慶典】

インターネットの普及で、メディアの世界が大きく変わりました。今までテレビで見ていたものやレンタルで借りていたものが、動画とくくられPC上ですぐに手に入るようになりました。生中継としてライブでいろいろなイベントが見られたり、過去のものも検索して見つけることが容易です。読書と視聴の幅がうんと広がっています。

そんな中で、「ひそかな楽しみ」があるのです。それは閲覧できる様々な表現の中に、ほのかであっても「仏教や真宗の味わい」を見出し感じ取ることです。
akb48たとえば 「AKB48」を「A=あみださまが、K=きっと B=ブッダにするぞ との48願」と読むのです。NMB48は明らかに「NMB=南無阿弥陀仏、48願」と読むのでしょう(笑)。わざとらしくてもいいのです、テイストですから。

若い人たちが支持するアイドルやミュージシャンの歌やダンスにも、生老病死や無常を説いたフレーズがあったりして、「おお」と驚くこともあります。バリバリのロックバンドに阿弥陀さまのおはたらきを思わせる世界を感じ取ることができたりもするのです。

さらに、ドラマや映画のシーン。お葬式に法事、墓参り。お寺やお仏壇にお墓が映ると、ブディストアンテナがびんびんになります。「このお仏壇はお西!」「ああ、 御文章を読んだはるがな」「ははん、わざと真ん中に位牌をおいて撮影して、宗旨をごまかしとるな」「けったいな僧侶の格好やなあ、どの宗派かわからんようにという配慮か」「うむ、1カット写った墓標に釈○○と法名があるからこの家は真宗である」……等々。

時には推理を加えて、本筋とは関係ない人物や家族の背景を想像して楽しみます。耳を澄まして、「おお。これは阿弥陀経だ」「ありゃ、正信偈さんやないか」と、寺内のもので盛り上がったりします。 お経さまの世界の浸透や広がりを感じ、一人ほっこりすることもしばしばです。また、お説教の話題にもなって一挙両得?でもあります。

あなたもひそかに、この楽しみに参加しませんか?

【執筆者はこちら】