日々のご給仕 【吉峯 教範】

10250955_683681128360050_1249638353_n某所で御葬儀の手伝いをしていた時に、ある方が仰った。
「どうして、ご葬儀のお道具は皆銀箔が押してあるのかわかりますか?」
お東の寺院の葬儀では、蝋燭や供笥、四方といったお道具や、根菓餅の柱や四華(紙華)に銀濃といって銀箔や銀粉を押したものを使うのですが、どうしてだと思います?というご質問でした。

「銀箔はね、すぐに酸化して真っ黒になっちゃうんですよ」
それが、答えでした。

葬儀に使うお道具やお供えは、その都度その都度一から作り直すなり、誂え直したりして使うもの。そういうご教示だったと思います。
「手間暇をかけて勤めるもの、それがお葬式だと思います」ともお聞きしたように覚えています。

10169028_683681135026716_154939493_nご葬儀に限らず、行事の際にはその都度打敷をかけ 瓔珞を吊り 五具足とし、終われば打敷や瓔珞を外し三具足とするのも、杉盛や須彌盛、仏花等法要の度に使い回しのできないお供えを用意するのも、真鍮の仏具を毎回磨くのも大切な意味があることなのだと教えていただきました。

さすがに本山や別院以外で瓔珞までかけたり外したりするお寺さんは数ヶ寺程しか存じ上げませんが、少しでも手をかけるところを残しておかないと、見た目は美しく綺麗でも中身のない上辺だけのものになってしまうのではないかと思います。

最近は、御仏飯や杉盛、須彌盛の精巧なレプリカ、見事な立花の造花、金箔を推したりセラミックでコーティングされた仏具、そして山型(お東)・箱型(お西)の灯芯の炎の形まで再現したような輪灯や菊灯の電飾まで発売されていると聞きます。
そのすべてがすべて悪いとは言いませんが、どこか一つか二つくらいは手間暇をかけることのできる場所を遺しておいて、お荘厳の本当の意味を思い出させていただく機縁とさせていただきたいものです。

見た目だけご本山の両堂と同じに見えるようにしても、それはお荘厳でも何でもなくただの自己満足にすぎないと思います。

10248795_683681131693383_589665077_n毎朝、油を差し火を灯し灯芯の形を整える。突出や盛相でなくともまず炊きたてのご飯をお供えさせていただく。
杉盛や須彌盛の形にはならなくとも、レプリカを廃して本物のお餅をお供えしてみる。
蝋燭を立てる時は朱のいかり型が用意できず白い棒状の蝋燭しかなかったとしても、まず電飾を外してマッチを擦ってみる。
何もあれもこれも一度に全部しようと思わなくても良いのです。
一つでも二つでも自分の手でやってみれば、ただ本山通りの形の電飾を飾って悦にいっているよりは、よほど得られるものが多いのではなかろうかと思います。

どんな一張羅の着物でも365日着たままでは、よそ行きにはなりません。
打敷やお供物を載せる供笥もまた、普段はしまっておいて出しっ放しにはせず、ご命日や報恩講にのみ荘るからお荘厳になるのです。

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