初心忘るべからず 【吉峯 教範】

二十歳の成人式の夜、その流れで中学時代の同級生やその友人たちと夜遅くまで飲みながら語りあっていた時のことです。
yankee当時の流行だったツッパった暴走族風の格好をしたその中の一人が、「まあワシらも、若い頃にはいろいろ無茶なこともして随分親に迷惑もかけたけど、この歳になるまで無事におらいてもろえたがやもんな。喜ばいてもらわんなんぞいや(この年齢になるまで無事に娑婆に命をいただくことができたんだものな、感謝して喜ばさせていただかなければいけないなあ)。」としみじみと口にしたのです。

リーゼントでヤンキー風の兄ちゃんの口から、まるで篤信のお年寄が言うようなセリフが飛び出したことに滑稽さを感じるよりも、むしろこうした言葉が仲間内の会話の中で何気なく普通に出てきたことの方に私は強い衝撃を受けたのです。

当時私は大学で仏教の勉強していたのですが、自分も含めて当時の大学の友人同士の会話でそんな言葉が出てくるような場面には一度も出会ったこともなかったし、私自身そんなことを考えたことすらありませんでした。
土徳とでもいうのでしょうか、おそらく仏教の教えなど学んだこともない彼の口から、妙好人が話すような言葉が実感を伴ってサラッと出てきたのを耳にして、私はただただ恥じ入らずにはおられなかったのです。

そう、私は仏教の教義や歴史、文献ついての知識はあっても、仏教そのものがまるで我が身についていないということを思い知らされたのでありました。

「仏法は知りそうもない人が知るぞ」(蓮如上人聞書166)

後に、蓮如上人のこの言葉に出会った時、とっさにこの時の事が思い出されたものであります。

その後、大学を終えて帰省した私が更に驚かされたのが、地元の年老いた門信徒たちの姿でありました。
irori世間にあるような迷信を歯牙にもかけず、お念仏ひとつで習俗や民間信仰にも迷うことのないお年寄りたち。身内の葬儀の翌日に涼しげな顔で遺品を焼いておられる姿を見かけて驚く私に「おかげさんで結構なところへやらしていただいたんだから」と微笑み、「私も同じところへやらしていただけるがでしょう。ありがたいことです、なむまんだぶ、なむまんだぶつ」と笑顔で答える姿に、正直逆立ちしてもかなわないと感じたものです。
貧しい山の村故に、親や我が子の死を目前にしても(死亡診断書を書いてもらう時以外は)医者を呼ぶこともできず、生きるために親や子を見殺しにしてきたという思いを抱きながらお念仏と共に生きてきた人々。雪深い谷間で食うにも事欠く厳しいギリギリの日暮しの中、すべてをわが身に引き受けてお念仏ひとつを支えに生きてこられた人々。田畑でも道中でもお念仏申しつつ日暮を送る大地に根のはえたようなお念仏の姿に、ただただ驚かされるばかりでありました。
朝夕のお参りの和讃や御文の繰り読みは別にして、それ以外のお聖教は『歎異鈔』や『教行信証』すらほとんど読んだことも聞いたこともなかったであろう人々の深いお念仏のお領解のおすがたに、自分が大学で学んできたものは何だったのだろうかと、つくづくと思い知らされ、この名も無き一人一人の御同行の方たちこそ私の師とせねばならない方々だと痛感させられたものでした。

あれから、四半世紀。
いつの間にやら、そのようなお念仏申す人々は私の周りからは姿を消し、替わりに「死んだ人は今どこにいるんですか?」「阿弥陀様って本当におられるのですか?」「信じてさえいれば阿弥陀様がみんな救ってくださるんでしょ?」と尋ねられる御門徒さんたちを半ば小馬鹿にしたように高いところから見下して答えている私が取り残されておりました。

お釈迦様が説かれたお経に『四十二章経』という経典があります。
その中で、仏道を歩む上での20の困難な問題、たとえば「貧しくして施すことはむずかしく、慢心にして道を学ぶことはむずかしく、仏の教えを聞くことは難しく・・・」といった教えを示されているのですが、その第12番目に、「初心の人を軽んじないことはむずかしく」という言葉があります。

お恥ずかしいことに、まさに私の今の姿でありました。

考えてみれば、“家族を見殺しにせざるを得なかったような苦しみ”も衆生の苦悩ならば、“友引に葬儀を出すことが気になって夜も眠れぬ苦しみ”もまた衆生の苦悩でありました。
それを自分の勝手な物差しで、程度の高い苦悩だの低い苦悩だのと分別しては、御門徒さんの真摯な問いを初歩的なものと決めつけて鼻で笑っていた自分のなんと愚かなことであったか。人には「浄土宗の人は愚者になりて往生す」(親鸞聖人御消息16)とお説教で話しながら、教義と知識だけで生きていた私でございました。
如来(お釈迦様)がこの世にあらわれて説いて下さった仏法は、「除苦悩法(苦悩を除くおしえ)」だと言われます。そのみ仏のお心から最も遠いところにいるのが私でありました。
まさに「初心忘るべからず」。五十歳となって迎えた今年こそ、あらためてこの思いで再スタートさせていただきたいと思います。

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