新しいリレーコラムの更新を楽しみにしておられる貴方へ。
更新が滞っておりますこと、まことに深くお詫び申し上げます。
そこで、ちょっと新しい形で、コラムを公開したいと思います。
「お題」を提示しますので、皆さんのコメントをどんどん挙げていただきたいのです!
つまり、読者参加型のリレーコラムにしてみたいと思います。
第1回目のお題は、「浄土真宗で良かった!と思ったこと。」
それぞれの想いを、コメントとして綴って下さい。
他の方の想いに「そうそう!」と反応していただくのもアリです。
皆さんのコメントをお待ちしております。
※誹謗中傷など、不適切なコメントについては、管理人権限で削除する場合がありますので、あらかじめご了承下さい。皆さんの「大人」なご対応をよろしくお願いします。<(_ _)>
3年前、大きな交通事故に遭ったときに、自分の意識があることを確認した瞬間、
「ああ、生きてても死んでても、今の私に間に合う教えにであえてたんだなあ」
と、ホントに思えたときに、「浄土真宗で良かった!」と感じました。
「前念命終 後念即生」
ではないけれど、ホントにここで人生のリセットをしたような気がします。
今の自分に間に合っている教えなんだということを実感できた気がしました。
幼少の頃、先天性の心臓病の手術をしたこと。二十代の頃、祖母が自殺し、別れの悲しみと自殺という行為への当惑を持ったこと。三十代でC型慢性肝炎に罹患し、仕事にも生活にも多大な影響をもたらしたインターフェロン治療を計二回経験し、副作用でうつ病になったこと。インターフェロン治療を一緒に受けていた方が亡くなったこと。会社の縮小で職を失ったこと。私と全く同じ病気(心臓病でC型肝炎→肝臓ガン)で亡くなった母に衝撃を受けたこと。その環境から死にいくほかないような環境に父を置いて(父は脳梗塞で右半身不随)父を見殺しにしたこと。これらのことが全て、今、私が真宗の教え、念仏の教えに繋がっていった。というか、この道しかないことを指し示す事柄だったように思います。お念仏の教えとは、「私」からの「解放」でした。ありがとうございます。
その良かったと思うのは、お守りを持ってて、何かあったときに、「お守りのおかげ」と思うのと同じでしょ?
子どもの頃から、自己決定的に生きられなかったこと。何かを自分で決めるというより、縁によって動かされて行く主体性というような感じのものをいただいたのかと。受け身のポジティブという感じでしょうか?
自分の方から願ったり、持ったりすることで助かったのなら、「お守りのおかげ」ということになるのでしょうね。
ナンマンタブ、ナンマンタブ。
もしよろしかったら、野村さんの「浄土真宗で良かった!」をお聞かせいただけたら嬉しいです!!
どうも、私の設問の文章がおかしかったのかもしれません。
何かに比べて、こっちが良いんだ、ということではないんですよ。
この教えがあった、とか、
この教えに出会えた、とか、
そういうことなんです。
私が書き込んでいただきたかったのは。(^^;;
私は浄土真宗で良かった!というよりも、自分には浄土真宗に遇うべくしてあったんだろうと思っています。どんな人生を送っても、いずれはこの教えに遇っていただろうという思いを最近ことに感じています。
お念仏に遇うための人生を今まで歩んできたんだと思います。
「よかった」という言葉とうまく結びつかないのですけど、「今の私に間に合う教えにであえてたんだなあ」というお気持ち、わかります。
学生時代、ほとんど「女性」とかいう生き物に相手にされなかった私は、毎年、クリスマスといえば夜勤のコンビニでレジを打っていた。
「き~よ~し~♪こ~のよ~る~♪」だとか「じんぐるべ~る♪じんぐるべ~る♪」だの浮かれたBGMの元、夜中までやってきやがるカップルどもの接客をしつつ、強く心に思った。
「浄土真宗でよかった!」(血の涙)
私の場合は、真宗に出遇う為に今生の一生をいただいたとしか考えられないので、「浄土真宗でよかった」というテーマによる感慨は、今一浮かんでまいりません。
今の自分がここにあるのは、ただこの道しかなかったという思いだけですね。
宿世の因縁をよろこぶばかりです。
南无阿弥陀佛
「親鸞さんはありがたいねえ、ワシに浄土があるということを教えてくれた。」とは、5年前に奥様を亡くされて途方に暮れていた方の一言です。
幼少より宗教大嫌いの家庭で育ちました。社会人になり「ペテン」を学ぶ為、あらゆる宗教と呼ばれるものを体験致しました。総括は全て「搾取の手段」でありました。そして親鸞聖人のみ教えに出遇いました。目から鱗が落ちました。これは宗教では無いと感じました。真に出遇えて良かった。
「良かった」のか?
「悪かった」のか?
どちらも未だに分からないですね。
そもそも、「浄土真宗」が何なのか分からないですねw
「ただ念仏申すのみ」
なんまんだぶつの一声に出遇いたいですね。
私の「浄土真宗で良かったと思った事」人生を強く生きれるようになったと思います。私の実家は真言宗で、両親は誰が見ても「善人」でした。でも善人だけが救われるの?御経をあげる人だけが救われるの?と、子供のころ仏教に不信を抱いていました。そんな仏教には興味がありませんでした。青年になって、歎異抄に出会い衝撃を受けました。般若心経を読み直した時、凄いの一言でした。人はいつも大なり小なり、岐路に立たされています。どの道を選ぶか、大きな判断基準を頂いた気がします。