僧侶を定額のお布施で派遣する「お坊さん便」が、お盆になってまた取り上げられるようになってきました。
アマゾン「お坊さん便」、反発する仏教会に想定外の批判(朝日新聞デジタル)
私もこの事については自分の経験から当コラムで以前に書きました。(私はAMAZONで「注文」される僧侶)その後、テレビや宗教誌などの取材を随分受けてきましたが、最近になってまた何件か取材が来たので驚いています。
この話題、大体が上記の朝日新聞の記事に見られるような、全日仏の対応に代表される硬直化した仏教界と、一般の人のニーズに応えた新しいサービスとの対立が先にあって、そこに「高額なお布施を請求してきた僧侶」に反発する人たちと、「経済的に成り立たない過疎寺院」の問題が加わるという構図が加わるというのがいわゆるこの手の記事の「既定路線」という事になります。
私自身も、「こうしたネットでの僧侶派遣サービスというのは、寺院間の固定化された経済格差をある程度解消し、お寺の仕事で生計を立てて仏法を弘めたいと思っていてもなかなか叶わなかった人に、突破口を与える機会になるのではないか、という期待もあるのです。」と以前コラムで書いたこともあります。ある意味、僧侶が救われるサービスであるという認識は今も変わりません。
さて、上の朝日新聞の記事のインタビューによると、「みんれび」の秋田将志副社長自身も、このサービスを「経済的に困っている僧侶の方のお手伝いをさせていただいているつもりです。」と語っています。
前述のようにそういう一面もあることを認めつつも、実情として果たして手放しにそう言えるのかどうかという事も、このコラムでは考えてみたいと思います。
お布施の4割は紹介料
「月刊住職」の2016年8月号に「アマゾン僧侶派遣の紹介料4割はお布施の搾取ではないのか」という記事が載っています。この取材には自分も協力しましたが、記者は多くの関係者にあたって丁寧にこのサービスの実態を解明しています。
実にストレートなタイトルの通り、お坊さん便の紹介料は4割。これはつまり、僧侶に渡した(と思っていた)お布施の大体4割を「みんれび」がバックマージンとして徴収している、ということです。
具体的には35000円で法事を依頼したら、うち15000円は「みんれび」に入り、僧侶に入るのは20000円。僧侶はその中から交通費等も出すので実際には半分以下くらいしか「お布施」にはならないということです。そしてこれは戒名(法名)なども同じです。記事では一例として、院居士・大姉号の戒名のお布施20万のうち、5割にあたる10万円が「みんれび」の取り分になると書かれています。
実は「みんれび」にかぎらず多くの先行業者も同様の割合のバックマージンを設定していました。中には5割を超える要求をされたという話も聞いています。
さらに記事では、《弊社規定額以上のお布施を納められたいというお客様のご対応の際は、全体費用の40%の手数料を頂く形となります》との「みんれび」内部資料をあかし、規定されたお布施額の他に、「お気持ち」で僧侶に渡される志についても、40%のバックマージンを収めるように定めていたとあります。つまり決まった額の他に別途お志を包んだり、少し多めにお布施を出しても、それすら4割は業者が持っていくというのです。
また、法要後新たな依頼を受けてもすべて「みんれび」を経由する必要があるともあります。「いいお坊さんを紹介してもらった」と信頼関係を構築し、お葬式の後に四十九日、一周忌と同じ僧侶がお参りしても、すべて都度4~5割のバックマージンを間接的に支払うことになるわけです。
新たな搾取構造
さて、こうした業務にはバックオフィスでのサポート業務が不可欠ですし、広告宣伝費、葬儀社との提携に関わる営業活動等経費もかかるわけですから、バックマージンがなくていいとは思っていません。
ただ、少なくともこのサービスを申し込む人は、例えば人材派遣会社に払った費用の半分くらいしか実際の労働者にわたらないのと同じように、支払った「お布施」の4~5割は業者に抜かれるという事実は知っておいていいでしょう。
在庫も倉庫も持たず、僧侶の教育コストは各教団に丸投げで、保険や交通費の負担もなく、ネットで注文を受けて僧侶に指示をだすだけでこのマージンが適正かどうかは、実際にサービスを使う人が判断したらいいと思います。
そしてそれらは、コツコツと本堂を修繕したり、法話会を開いて仏教を伝えたり、子ども会を開いて仏様の心を伝えたりといった、全国のお寺が地道に進めている活動には一円も使われることはありません。
私は前回の「お坊さん便」を扱ったコラムで、こうしたサービスの勃興には寺院間の格差問題が背景としてあると論じました。
かつては多くの末端の寺院は格上の大寺院の下請けとして、葬儀や法事、月参りの仕事を受けて生計を立てていました。現在はそうした慣習は一部地域を除いてありませんが、代わりに都市部と過疎地の寺院の間に深刻な格差が生じています。そして全日仏はもちろん、各寺院が所属する教団や宗派が、貧窮寺院に経済的な支援をしたという話を私は聞いたことがありません。
有り余るほどの財を成す寺院が存在する一方で、今まで何百年と教団を支えてきた困窮寺院は経済的に破綻するに任せているのが今の仏教界であり、経済的に成り立たなくなった寺院が新宗教に譲渡されるという事件まで起こっているのが現状です。
私はなんとか仏教を伝えるご縁を維持し、お寺の仕事で生計をたてたいと思う住職が、こうしたサービスに活路を見出すのは当然の流れであり、留めることは出来ないと思っています。
その一方で、かつての寺院間の搾取構造が復活し、その頂点に位置していた大寺院がこうした営利企業に取って代わられつつあるのではないかという危惧も感じます。今は多くの業者が入り乱れてサービスを展開していますが、いずれ淘汰されて寡占が始まれば、真っ先に搾取されるのは「こうしたサービスに頼るしかない」僧侶なのでしょう。
「お坊さん便」のHPを見ると、「お布施料金は定額35000円」というタイトルの下に、「一般的にはお布施の他に、お車代・お膳料・心づけなどが必要になり、合計50万円程度が相場です。」とあります。
「みんれび」が35,000円と提示するのは法事のお布施ですが、私は自分に関しても他の僧侶に関しても「法事で50万円」というお布施を聞いたことも頂いたこともありません。この「相場」っていったい何処の星の話なのでしょうか。
ネットでは「今まで散々高額なお布施をせしめておいて、こういうサービスが出来ると反対するなんて」といった感想がよく見られるのですが、あなた方がこういうサービスを申し込んで来る僧侶の多くは、人口の減少し続ける地方で、地域と共に必死になって生活とお寺を守っている人です。そして、その僧侶が普段檀家(門徒)さんから頂いているお布施は、あなたが「お坊さん便」に支払う額よりきっと少ないはずです。さらに、あなたがそうしてやってきた僧侶に渡したお布施で、実際に僧侶に渡るのは半分程度なのです。
言うまでもなく、この流れを作ってしまったのは、私達僧侶の責任です。ここを真剣に考えなければ、仏教界に未来なんてありえません。