先日、北陸のあるお寺にご法話に行ってきました。五日間で合計すると約十時間のご法座です。
五日間連続で話をするというのは、今日ではそう機会のあることではありません。最初は十数人のお参りでしたが、お参りされる方は徐々に増えてきました。どうやら田植えのシーズンで、農作業が一段落ついた方からお参りに加わるので増えてゆくのです。
最初から最後まで全部お参りされている方も何人もおられました。聞けば毎日ご法話を聞いているといいます。農作業や病院などでどうしても行けない日以外は本当に毎日法話を聞きに来ているのです。最終日には三十人近くになりました。そのお寺の門徒さんだけでなく、近隣の方々が隔て無く聴聞に来られていました。
私は自分より何倍も多く聴聞しておられる方を相手に、一生懸命お話をさせていただきました。休憩時間になっても本堂は賑やかです。お参りされた方がそれぞれに聞かれた仏法をお話されています。またよく講師控室に仏法のことを質問しに来られる方もありました。
そのお寺は明治時代に一般の末寺での布教が許されてから100年以上の間、毎年120日以上のご法話がなされて来ました。北陸ではこういうお寺は他にも幾つもあったそうですが、今は「うちの寺しか残っていない」と住職さんは言われます。かつては本堂の障子をはずさないと入れないくらいに参詣者であふれることもあったようです。
都会では「直葬」といい、お葬式も読経もないままに直接ご遺体を火葬場におくることが急速に増えています。お葬式をお寺に頼むにしても、特定のお寺の門徒や檀家になることを嫌がりその場だけのお付き合いを希望される方も少なくありません。都会でお寺とのお付き合いが全くない家庭が増える一方で、田舎では過疎化で次々と無住のお寺が増えてきています。そうでなくても、維持するだけで精一杯というのが現状です。
その中で、いわゆる「お寺の中の人」の多くが自分たちの存在意義に悩んでいます。本当にお寺はなくてはならないものなのか。ある人は長く続いた伝統を守らなければならないからと言い、ある人は人のつながりやみんなが安心できる場がそこにあるからだといいます。これからのお寺は社会に奉仕する活動をやらなければならないのだという人もいます。新しいお寺をつくろう、お寺は変わらなければという人もいます。私はそのこと全てに深く同意します。
今までお寺や教団は変わらなかったわけではありません。あるときは戦国大名と対等に渡り合える武装集団だったこともあります。あるときは国家の出先機関として役所のような働きをしていた時もあります。あるときは開拓や戦争に協力し、その中には今から考えると安易な権力への迎合として反省しなければならない点がたくさんありますが、時々の価値観のなかで一生懸命に「役に立つ存在」であろうとしてきたと言えるでしょう。
しかしそういう歴史の中で一つだけ絶対に忘れてほしくない役割があるのです。それは「仏法が伝わる場」としてのお寺です。仏法を話し、仏法を聞く場としてのお寺です。浄土真宗ならば、念仏の道場としてのお寺の役割です。社会や教団、お寺がどう変化していっても、このことだけは変わらなかったはずです。
お寺で仏法が説かれなくなったら、どんなに伝統を守って安心できる場を提供できていても、それは別に寺でなくても構わないはずです。社会の足しになるためだけにお寺があるのではありません。私が生きる根本の問題を解決する場として存在してきたのがお寺です。オウムの元信者が伝統寺院を「風景に過ぎなかった」と言ったように、教えが説かれない寺はただの文化財に過ぎません。そこで仏法が伝わってゆくことで、初めて生きた宗教としての寺は成り立つのだと思います。
北陸の小さな町のそのお寺で私のような若輩者が話をし、それを毎日のようにお参りし居眠りもせずに熱心に聞かれる方々を見て、私はそのことを改めて確かめさせていただきました。私が仏法を聞かせていただくのがお寺です。私を救うとおっしゃる阿弥陀様の本願を聞かせていただくのがお寺です。お寺の「未来」や「本来」を語るとき、そのことを決して忘れないでいたいものです。