華やかさのかげで 【菅原 昭生】

あの水戸の黄門さま(徳川光圀)が、こんな歌を詠んでいます。

      ただ見れば     何の苦もなき水鳥の
      足に閑(ひま)なき     わが思ひかな

swan

湖面を滑るように泳ぎながら優雅な姿を見せる白鳥も、水面の下では、休むことなく足ひれを動かしている…。

つまり、外(側)からみれば、楽(簡単)そうに見えることでも、その影(裏) には他人の知らない苦労(努力)があるという意味でしょう。

米国野球で活躍しているイチロー選手は、他の選手ならとても追い着きそうもない打球をさり気なく、いとも簡単そうに捕球すると聞いたことがあります。それは、抜群に素早いスタート、的確な判断、鍛え抜かれた瞬発力に裏付けられたものです。

しかし、それを得るためにイチロー選手が平生から積み重ねている不断の努力を私たちは目にすることはありません。影の努力(苦労)が、大きければ大きいほど、表舞台はかえって 平然と見えるのかもしれませんね。(その反対もあると思いますが…。)

ところが、私たちは どうしても他人を自分の見える範囲で判断してしまいます。そのくせ、反対に他人が自分のことを、上辺だけで決めつけようとすれば、「何も知らないくせに…」と腹が立ちます。

思えば、葬儀の会葬者が故人の人生に対して、「幸せだった」とか「気の毒だった」と無責任に評することも要らぬお世話でしょう。人はだれも、他人に知られることのない苦しみ・悲しみを抱えて生きています。ただ、それを言わないだけ。聞かれたくないだけ。

仏さまは、人知れず苦しみ悩む私を知りぬいた上で、「何も言わなくていい。わかっているよ」と、ただ、黙って寄り添っていて下さいます。だから、こんな自分でも前を向いて歩いていけます。強くなくてもいい、立派でなくてもいい…そのままでいいと抱いていて下さるのですから。

笑顔の下に隠された涙…。さりげない言葉・仕草の中に込められた 優しさ。華やかさのかげにつつまれた悲しみ・苦しみは、その人生に深みと愛おしさを感じさせてくれるのかもしれません。

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