声と共に生まれ、生きる仏 【國分 大慶】

赤ちゃん人間は産まれてくる時には必ず産声を上げます。赤ちゃんはお母さんのお腹の中にいる時は、羊水に浸かり、へその緒を通じて酸素と栄養を供給されています。やがて月が満ち時を迎えると、産道を通ってこの世に生み出されます。その時に、それまで肺の中を満たしていた羊水が鳴き声と共に押し出され、肺の中を血液がめぐるようになり、自発的な呼吸を始めるそうです。
「いのち」という言葉は「いきのち」という言葉がその語源だと聞いています。息をし、血が巡っているということが命が生きているということを表わすことに由来しているのでしょう。
悲惨な災害現場では、言葉になっていなくても「う~ん」という呻き声がすれば、生存者がいると認識され、早速、救出作業が始められます。つまり、声が生きていることを具体的に表しているわけです。
従って、我々に先だって亡くなった人は身は滅びても、後に残った人が姿や言葉・声を思い出す時、亡くなった人は後に残った人の心の中に生きて現れていると言えます。また、たとえその人の声はなくても、後に残った人に言葉を発させます。
南無阿弥陀仏の声は、私達の声を通じて、いつでもどこでも誰のいのちにも寄り添うことを願われた仏自らが現れたということができるでしょう。

【執筆者はこちら】

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です