観覧車 【山岸 幸夫】

息子がまだ小学校に上がったばかりの頃、家族4人で初めて遠くの遊園地に行きました。
よほど嬉しかったのでしょう、入場ゲートを通ったかと思うと、「わーい」と歓声をあげて行ってしまいました。
放送してもらっても見つかりません。お母さんはおろおろするばかり、「事故にあったのではないか、誘拐されたのではないか、警察に連絡して捜索してほしい。」とまで言い出す始末。
涙の再会を果たしたのはそれから2時間も経ってのことでした。

こうして半日が過ぎたあと、レストランでお昼ごはんを食べて、僕はなにか乗り物にでも乗ってみようかなと思っていると、息子はお母さんの手をひっぱります。

池の近くで手をたたけば、鯉やアヒルが寄ってきますし、その次は噴水だったり、花壇だったり、お菓子の試食だったり。
こちらは肝をつぶす思いで待っていたのに、そのあいだ息子は、このひろい遊園地の中を家族がむやみやたらと歩き回ることなく、エッセンスを楽しんでもらおうと、先発隊員としての使命を果たして、家族を案内してくれているわけです。
私は思わずげんこつを食らわしてやりたい気持ちをぐっと我慢して、後をついていきました。

10728862_652180871554577_1131384094_n家族に一通り遊園地の案内をして得意満面の息子を前にして、お母さんがいいました。「お母さん、あれにに乗りたいな、やっくん(息子の名前)あそこまで、お母さんを連れて行ってほしいな。」お母さんが指さしたその先には観覧車が小さく見えていました。「やっくん、お母さんを観覧車まで連れてってくれる?」

「うんわかった。」また得意な顔をして息子はお母さんの手をひっぱります。
歩いてみると広い遊園地で、ときおり立ち止まってはちょっとづつ大きくなっていく観覧車を見上げながら、「お母さんもう少しだからね、がんばって。」そう言って息子はお母さんの手をひっぱります。

こんな時の息子を見ていると、頼もしくもあれば滑稽でもあります。息子はついさっきまで、はしゃぎすぎて疲れていて、ホントはもう歩きたくないのだけれど、お母さんを観覧車まで案内するという使命をもっていますから、へこたれるわけにいかないのです。もしここでへこたれてしまって、「じゃあお父さんとお母さんとお姉ちゃんの3人で観覧車に乗ってくるから、やっくんはここで待っててね。」そういわれてしまってはそれこそ実もふたもありません。「お母さんがんばって」というかけ声は、おかあさんに向けられていますが、その実自分を励ましているのです。
やっとの思いでそこについたときは4人とも汗をかいてハアハアと息をしていました。

観覧車に乗って(近頃の観覧車はエアコンがついているのですね。涼しくてびっくりです。)高いところに上がっていくと、さっき息子が案内してくれたところが見えてきます。池があったり広場には噴水があってそこで大道芸をしています。お菓子を試食した土産物店もあります。遠くの方からはジェットコースターの轟音と歓声が聞こえてきます。

お母さんはこういいました。「やっくん、こんどお父さんやお母さんがいなくなったら、観覧車の下で待っててね。お父さんもお母さんも観覧車の下で必ず待ってるから、約束できる。」

「うん、わかった。」

この日、息子は自分が迷子になったことすらわからずに一日を過ごしました。それでも、自分がおとぎの国のどこにいても観覧車はちゃんと見えるところにあって、たとえどんなに遠くはなれていても、仰ぎ見ればそこにお父さんとお母さんが必ず待っていてくれることを学んだようです。

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