限りなき道を共に 【畠山 浄】

どれだけ頑張ってみても、老いと病と死の苦しみからは逃れることはできません。戦争や圧政、経済格差などによってこの世にあふれる愁い嘆く声も限りがありません。だからこそ私たちは道を求めずにはおれないのですが、道を求めているにも関わらずかえってお互いを傷つけあってかえって迷いを深くしていっているのが私たちが開いている世界のすがたではないでしょうか。

そんな私たちのすがたを悲しんでくださって阿弥陀さまは、苦しみ悲しみにおしつぶされてうごめいている私たちに南無阿弥陀仏という声となってはたらいてくださるのです。受けとめてくださっているのです。娑婆の苦しみには限りがないからこそ、南無阿弥陀仏と今ここで悲しみの中に立ち上がり、未来へと歩む力をたまわるのです。

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阿弥陀さまの真(まこと)が、私の上に南無阿弥陀仏と実(みのり)になる。真実を宗(むね)として生きていく私が誕生するのです。真宗門徒の誕生です。南無阿弥陀仏とご信心をたまわり、阿弥陀さまのお浄土への往生の道を歩かせていただくのです。

人間が人間として実っていくことを願って。未来のいのちが清らかならんことを願って。どこまで歩めるかとか結果が出るかどうかとかは関係ありません。自分一人救われる道ではなく、同じ願われてあるいのちとして他者と共に生きていくことを願いとする道なのですから。この世のありとあらゆるのいのち生きるものが皆、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と浄土を願わずにはおれんいのちを生きている、そんな世界をたまわって生きる。限りなき終わりなき道を共に歩んで往くのです。

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