法話へのお誘い

法話って何ですか?

法話風景

法話という言葉を聞いたことがありますか? 説教とも説法とも言われますが、もっとわかりやすく言うなら“仏さま教え(法)についての話”です。聞いたことがない、という人も少なからずおられるでしょう。それもそのはず、仏さまの教えは、いまではふだんの生活のなかではほとんど話題には上ってきません。またテレビ・新聞ではほとんど聞くことも読むことはできませんから。確かに、仏さまの教えなど、現代社会では必要ないと思われているのでしょう。しかしそうではありません。現代社会にこそ必要な話なのです。なによりもこの世に生まれることができた人間には、ぜひとも聞くべき(読むべき)話だと思っています。

ほんの小さなご縁から

法話風景

私たちは生まれるときは白紙の状態で生まれてきます。言葉も知らないし、挨拶もできません。社会生活のノウハウもわかろうはずはありません。しかし親に、家族に、そのうち親戚や近所の人や先生や友人たちを通していろんなことを教えられ成長していきます。さらに、テレビを見たり新聞・雑誌を読んだり、さまざまな情報源から、知らなかったことをたくさん学び、経験することで一人前の人間に成長していきます。ところがその過程の中には、法話を聞くという機会はほとんどありません。つまり教えられなければ、仏さまについもその教えについても、何も知らないまま人生を過ごすのです。

かつてはおばあちゃんに連れられてお寺参りをした子どもたちが少なからずいました。そこではお参りをした他の人たちから「かわいいねぇ」という言葉をかけられ、お菓子をもらえる心地よい場であったのではないでしょうか。そのうち、ほとんどわけもわからない説教師(布教使)の話を聞きながら寝てしまうのです。しかし大人になって、つらい毎日の生活のなかで、どこかのお寺で30年前に名前も知らない説教師が「お慈悲ひとつで救われてゆく」と言ってたことをフッと思い出して、無性に法話を聞きたくなり聞法生活が始まった人がいます。また、わが子と死別しなければならないという人生最大の悲劇に遇ったある母親は、小さいときにおばあちゃんに連れられてお寺で仏さまの話を聞いたということを手がかりにして聞法を始め、仏さまの教えによって悲しみを乗り越えることができたと言います。

法話の楽しみ

法話風景

人間に生まれて聞くべき話を聞かずに一生を過ごすというのは、宝の山に入っても手を空しくして帰るようなものです。この世で初めて仏さまの教えを説かれたお釈迦さまは、亡くなった人に向けてなさった説法など一つもありません。今を生きる人に向けて説かれたのです。この世を明るく楽しく生きたいとのに、それを逆なでするような「生・老・病・死」という深刻な人生の問題があります。その解決への道が示されているのです。重い、暗い、つらい状態にはいない私には、そんな話は必要ないと思われるかもしれません。聞きたくないと思う人もいるでしょう。しかし法話は、人生の節目や、深刻な状態に陥った人だけが聞くのではありません。

もともと落語や講談は、浄土真宗の説教がその発祥起源です。いまでも、落語や講談には浄土真宗に限らず、仏教的な要素が散りばめられています。もちろん法話は落語ではありませんが、笑いあり涙あり、また元気をもらったり明るい気持になったりする話もあるのです。

それは説教師(布教使)の個性とも大いに関係があります。難しい仏さまの教えを、筋道を立てて話される人、おもしろおかしく話す人、涙を誘うような話をする人、・・・それぞれの人柄を感じることができるでしょう。男性も女性もいます。高齢で味のある話をされる方も、若くて元気なイケメンもいます。そんな「人」を感じる楽しみも得ることができるでしょう。

法話の聞き方

法話風景

そんな楽しみいっぱいの法話ですが、ただ漠然と聞いておればよいというものではありません。法話を聞く上で大切なことが二つあります。その一つは、ありのままの私の心であり私の姿です。教えを鏡として自分の姿を知ることです。知らなかった、気づかなかった自分が教えられます。「自分探し」「自分発見」なんて必要ありません。すでに仏さまは教えの中には、自分の姿が示されているのですから。

もう一つは、そのありのままの私の身(=心、姿、ふるまい)にかけられている仏さまの願いです。重い、暗い、つらいという思い、あるいは楽しくおもしろく思い通りに生きたいという思いに、仏さまの教えは正面から応えてくださっています。そして私たちを救い、護ってくださるはたらきをいただくことができるのです。それは元気になれる力となるでしょう。難しそうな話だなぁ・・・と決めつけないでください。実際に聞いてみれば、そんなに難しいことではありません。私に向かって語られている話ですから。

どこで聞けるの?

法話風景

そんな話なら一度は聞いてみようかなぁ・・・と思う人も、前から機会があれば聞きたかったのよ・・・と思う人も、「どこで聞いたらいいの?」と言う人は少なくありません。浄土真宗の法話は、全国の寺院や会館で毎日のように聞くことができます。とは言っても、いつ、どこで、どんな人の法話があるのか、という情報を簡単に入手することができません。

私たちは、法話を聞いてみたいという気持ちが起こった人に応えることができるよう、このサイトを開設しました。どうぞご利用ください。

寄稿 西光義秀 浄土真宗本願寺派布教使