長願寺お盆法要|長願寺・本堂
神奈川

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2019年 07月 14日 (日) 10時 30分  
行事説明 勤行:『佛説阿弥陀経』と『正信偈』をお勤めいたします。
法話:海法龍師(長願寺住職)
講題:「死者からの問いかけ」-お盆のこころ-

・正午過ぎ(午後十二時過ぎ)までを予定。
※7月の「正信会」は、お盆法要に振り替えです。8月の「正信会」もお休みです。

※長願寺「お盆法要」のご案内より


  一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである。                    『続氷点』三浦綾子


 六月も半ばを過ぎ、七月の八月のお盆の月が近づいてきました。亡くなった方への思いも強く深いものになっていく季節だと思います。
 私たちの心の中には、その人の生前の姿や思い出が残っています。亡くなったらそれで終わりではありません。作家の三浦綾子さんは『続氷点』という小説の中で、生きているときに「集めたもの」は残らないと書いておられます。「集めたもの」とは、「モノ」ということでしょう。お金・財産・土地・家・車など、生きるのに必要なモノを集めながら、私たちは生きているのですが、それは死んだら残らない、本当の意味では残らないと。
 そして「与えたもの」が「残る」とおっしゃいます。それは上から下へ「与えてやったぞ」ということではなく、亡くなった方の人生が、生きてきた事実が、私たちの中に「残る」、それを「与えたもの」と表現されているのです。亡くなっていった人たちの人生そのものが、私たちに、結果として「与えたもの」があるのです。どう生きたのか、何を大切にして生きていったのか、が与えられると、そのことが私たちの中に残っていくのです。虐待が与えられると虐待が残っていくということでしょう。
 私たちは自分の生き方が、何を与えることになっているのか。何を残して死んでいくのか。何を残したいのか。死者から、死という事実から問われているのです。
 お盆の行事を通して、亡くなっていった人たちのいのちの重みを確かめつつ、生きることの本当の意味を、親鸞聖人の仏教の心に、皆さんとご一緒に尋ねて参りたいと思います。万障お繰り合わせの上、是非ご参詣ください。お待ちしております。

・最寄り駅京急安針塚駅


講師 海法龍
主催 長願寺 (真宗大谷派)
会場 長願寺・本堂
神奈川横須賀市長浦町3丁目19
問い合わせ 0468226256
参照URL
注意事項 申し込み不要、駐車スペースに限りがあるため公共交通機関にて参詣推奨。
登録者 微風
更新日時 2019-06-26 20:52:00

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