長願寺 お盆法要|長願寺・本堂
神奈川

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2018年 07月 14日 (土) 10時 30分  
行事説明 勤行:『佛説阿弥陀経』と『正信偈』をお勤めいたします。
法話:海法龍師(長願寺住職)
講題:「何のために生まれて 何をして生きるのか」-お盆のこころ-

※7月の「正信会」は、お盆法要に振り替えです。

※長願寺「お盆法要」のご案内より
 私の好きだった女性シンガーソングライターが四月に亡くなっていました。六六歳、二十代の中ぐらいまでの八年の活動、突然の引退でした。いつもサングラス、カーリーヘアーで顔もわからず、素顔や生い立ち、近況などのプライバシーも謎のままでした。初めて聴いたとき、彼女の歌声、歌詞は私の胸に突き刺さりました。「僕たちの失敗」という楽曲があります。1993年に放送された「高校教師」というテレビドラマの主題曲にもなりました。失敗や挫折、心に痛みを抱える私たちです。それをストレートに歌い、時代の中で生きづらさを感じていた多くの若い方々に共感を与えていきました。
 死もまた悲しみという痛みです。それは喪失という挫折感です。もうすぐ7月、8月。お盆の季節。身近な死者。先祖先輩たち、その死に向き合い涙してきた私たち。亡くなっていった人たちも、きっと同じように喪失という挫折感を経験しながら、その人生を生きて行かれたに違いありません。
 そして、今を私たちは生きています。楽しいことや嬉しいことはあっても、この身に受けてきた悲しみという痛みは、そう簡単に消えていくものではありません。でもその中を生きていかなければなりません。何を<b>依りどころ</b>として生きていくのか。
 経典は言葉です。その言葉は悲しみという痛みの中にある私たちに、生きていく勇気や力を与えてくるものです。お盆にはお盆の大切な心があります。その心に言葉を通し触れていくのが法要という儀式です。
 お盆の行事を通して、亡くなっていった人たちのいのちの重みを確かめつつ、生きて在ることの本当の意味を、親鸞聖人の仏教の心に、皆さんとご一緒に尋ねて参りたいと思います。万障お繰り合わせの上、是非ご参拝ください。お待ちしております。
                             長願寺住職 海法龍

※参考 浄土真宗のお盆
 お盆は正式には盂蘭盆と言われています。インドの古い言葉、サンスクリット(パーリ語)ではウランバーナです。意味は倒懸(とうけん)。わかりやすく言うと「逆さまになったような苦しみ」という意味です。他の宗旨は、亡くなった方が死後の世界の餓鬼道で、逆さまになったような苦しみの中にいるから、供養して助けようという意味から、餓鬼に施すで「お施餓鬼」と言ってきました。
 浄土真宗ではお盆のことを「お施餓鬼」とは言いません。餓鬼は亡くなった人たちのことを指しているのではないからです。人間存在が餓鬼の心で生きているという意味です。餓鬼とは「欲望」です。仏教は貪りの欲で「貪欲(とんよく)」とも言います。何事も自分中心で、「自分さえよければ」という心が私たちの中に潜んでいます。だから上手くいかないと周りのせいにして、死者のせいにしているのです。餓鬼の心で生きている私たちに、そのことに気づかない私たちに、亡くなった方を縁として、お経の心が生きている私たちの為に施されているのです。そのお心をお盆法要をとおして一緒に尋ねて参りましょう。
                             以上
講師 海法龍
主催 長願寺 (真宗大谷派)
会場 長願寺・本堂
神奈川横須賀市長浦町3丁目19
問い合わせ 046-822-6256
参照URL
注意事項 参加資格無し・申し込み不要・駐車場有り
登録者 聞信
更新日時 2018-06-28 15:53:12

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